言葉は歴史

ちょっと思いついたので言葉の成り立ちについて。


「たわけ者!」というのが大バカ者を意味するのは、豊臣秀吉の時代からです。
“たわけ”というのは“田を分ける者”で、兄弟2人の家で、親の田んぼを分けて相続することをいいます。そんなことしたら田んぼが小さくなって、生産性が悪くなってしまう。田は「分けずに」長男だけが相続し、次男は小作にでるなり別の商売をするべきだ、と。豊臣秀吉が「田畑を分けてはいけない」という法律を作ったことは教科書でも習うと思います。というのが“たわけもの!”の語源。

「くだらない」という言葉は、戦国時代にできた言葉だ。戦国時代に京都が戦争の場となった時、多くの貴族が「貴重なお宝は田舎に避難させよう」ということで、毎晩、かごに満載したお宝を地方の館に移したそうな。当時は京都が日本の中心だから、京都にくることが「上り」で、京都から離れることが「下り」ですね。「江戸に下る」の方向です。

で、貴族・公家の皆様は「高いコストをかけても、戦火の京の都から避難させるだけの価値のあるもの」を「下るもの」と呼び、そこまでせんでもいいで、燃えたら燃えたでいいか、という程度の価値のものを「京都から地方へくだらないもの」と決めた。それが「くだらない」という言葉の語源です。値打ちのナイもの、という意味ですね。

で、「とりとめない」ってなんなのさ?と思う。「とりとめる」ものがあるんだと思う。で、そうでないものが「とりとめないもの」なんだと思う。なんだい。とりとめるって・・

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英語で「電話を切る」という意味での「切る」は「hang up」です。なんで「切る=hang up」なのか?昔の電話は長方形の箱が壁などにかけてあって、切るときは受話器を受話器受けに「掛ける」システムだったわけですね。今の公衆電話(緑の)もそうですよね。電話機の横についている受話器受けに、受話器を「掛ける」でしょ。あれです。昔は家の電話も含めすべてあの形だった。だから「hang up」です。今は受話器は「置く」と切れます。

ちなみに、「hang up」に相当する日本語は思いつきません。これは、日本で電話が普及した時には、既に電話は「置く」形のものに進化した後であったということではないかと推理しています。英米では電話の普及が早く、そのころは「掛けて切る」式の電話だったのではないかと。一方、英語で「受話器を置く」というのはplaceでしょうか。ほとんど聞きません。「最初に」「普及」した時の形態によって、使われる言葉が決まるとしたら、固定電話より携帯電話が先に普及した南米や中国の言葉などでは「電話を切る」というという動作がどのような言葉で語られているのか興味深いところです。push the redつーよーな感じかも??

電話を「かける」という動詞は未だに「dial」が使われることがある。でも、もう電話は「ダイアル」しないよね。日本語でもまだ「電話番号を回す」と言うこともありますよね。でも、既に「電話番号を回す」って何を回すの?と質問したい人もいるかも。そういう人には「お父さんが小さい時にはね、電話番号は回すものだったんだよ」と懇切丁寧に教えてあげねばなりません。だって、自分が電話をかけ始めたころには既に、電話番号は「押す」ものであった、という人も多くなっているから・・・。(ちきりんブログの読者にはそんな若い人はいないかも?)

「私は彼の電話番号を押した」

どうですか?違和感のある人は、おじさんおばさん以上。違和感ない人は若者です。

★★★

「録画する」という言葉もビデオの時代の言葉ですね。HDDなら「保存する」ですよね。DVDは「焼く」なんだろうか?

昔→「お母さん!今日のドラマ、録画しといてね!! 行ってきまーす。」
今→「お母さん!今日のドラマ、保存しといてね!! 行ってきまーす。」
となります。

「記録する」という言葉ならどの媒体でも使えそうです。



なんで、こんな「とりとめもない」ことを夜中に書いているのか、とても不思議です。我ながら。

もしも「とりとめる」という意味が「とっておく」「記録しておく」という意味だとしましょう。(いや、知らんのですが、想像で)。つまり、「記録しておく価値のあること」=「とりとめる(べき)こと」だとしましょう。

すると、まさに今ちきりんは「記録する価値のないことを、とりとめている」という状態です。「とりとめないけど、とりとめておく」行為をやってます。ああ・・・・くだらない!



もう寝ます。

おやすみなさい。また明日。