(3)との遭遇(続き)

この前のエントリに書いたグラフを見ていて、いくつか思うところがでてきたので、それについて。


(1) 「やらなくては、ならないこと」が急増する時は、それについていけない人がでる。

この図によると、“やらなくては、ならないこと”が増加する時期が 2回あります。

最初が、小学校に入ってから高校卒業までの時期。たしかに毎年勉強は大変になるし受験もありますから、自由時間はどんどん減ってしまいます。

するとそのプレッシャーで、途中で“ドロップアウト”する人がでてきます。不登校、非行、高校中退などは、その表れともいえそうです。


2回目に“やらなくては、ならないこと”が増えるのは、大学を卒業して社会人になる時です。なので、この時期にも留年してモラトリアムを続けたり、就職しても短期間でやめてしまう人がでます。

“やりたいこと”に使える時間がどんどん減って、代わりに“やらなくては、ならないこと”が増えるのは、誰にとっても精神的に大変なのでしょう。

その変化についていけない人が一定数現われるのはしかたないのかもしれません。



(2) 二つめに思ったのは、30代 〜 40代で、ストレスから心の病気になる人が増えるのも理解できるなあ、ということ。

この図を見ると、そのあたりの時期は“やらなくては、ならないこと”が生活に占める割合が非常に高くて、しかもその期間が 10年以上も続くことがわかります。

“やらなくては、ならないこと”に占領された生活をそんなに長期間続けるから、ストレス過多になってしまうのです。上記の図からもここは厳しい時期だとよくわかります。


(3) 最後に「人間の社会的な寿命は未だに 60才くらいなのかも」ということ。

この図がもし 60歳のところで終わるなら、人生は (1) やらなくては、ならないことと (2) やりたいこと、だけで構成されます。

ところが、生物学的に寿命が延びたのに、社会的な寿命が延びてないから、そこを埋めるために (3) のヒマだからやっていること、というカテゴリーが大きく出現したのではないでしょうか。


寿命が延びたのは経済発展による栄養の改善や医学の発展のおかげと思いますが、そちらは進歩したのに、高齢者の生活の在り方が変わっていないので、こういうことが起っているんじゃないかと。

換言すれば、自然科学の進歩に社会科学がついていけていないということかもしれません。

人生が長くなっても「やりたいこと」「やらねばならないこと」が最後まで存在する人は、とても幸せだってことでもあります。

反対に、“ヒマだからやっていることだけで、生活が構成される”のは誰にとってもつらいことでしょう。


「やらないといけないこと」ばかりやっていると、それがなくなった時(定年退職や子供の独立で)、一気に巨大な (3) と遭遇する日が来てしまいます。

そうならないよう、若い頃から生活の中で、“やりたいこと”の占める割合を増やしていくのがいいのかもしれません。



んじゃ


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