世界の美術館の違い

美術館、博物館について。特にNYのメトロポリタン美術館に関して感じたこと、考えたこと、などなどを書いておきます。

メトロポリタン美術館って結構特殊です。世界の主な美術館・博物館をちきりん流に分類すれば・・・


(1)ウイーン美術史美術館・・・ここは「ハプスブルグ家」のお膝元で、この美術館で展示してあるのはほぼすべてがハプスブルグ家の一家の所蔵品か生活用品=工芸品です。彼らが使った食器、アクセサリー、家具、そして、彼らの家や部屋を飾っていた絵、が所蔵されています。

つまり、美術館は「所蔵品を集める」という作業をしてない、とも言えます。そもそもウイーンの街自体=ハプスブルグ家の庭、だし、ホールも教会も公園も「あの一家」のためにある、って感じだからね。

これはエルミタージュ美術館やプラド美術館も同じ。その地に栄えた王朝一家が使っていたモノ、持っていたモノが飾られてるわけです。すごいのは美術館ではなく「王朝そのもの」なんです。

台湾の国立博物館も同じだね。故宮の至宝を持ち出した蒋介石政権側が台北に移ったことにより、あれだけのお宝が台北にある。それを展示しているだけ。彼らも展示品を「収集する」という作業はしていない。


(2)ルーブル美術館は、上とはちょっと違います。ルーブルに飾られているものは、ブルボン王朝が集めたり使ったりしたものは、そんなに多くないです。ルイ14世が使った工芸品も確かに飾ってあるけど、展示のメインはそれではないです。

ルーブルの展示品の大半は、「パリに集まった芸術家達が作製したもの」なんです。スペインからピカソが、オランダからゴッホが、というように周囲の各国から芸術家がパリに集まった。彼らはパリで絵を売って生活するわけですから、作品の多くがパリに散らばる。それらが環流して集まって集大成としてルーブル美術館ができています。

ウイーンやサントペテルスブルグと異なり、パリは「その街の魅力自体で、美術品を収集した」街なのです。


なお、パリのポンピドー美術館は、現在パリに集まっている「生きている芸術家」の作品を積極的に買い入れ展示している美術館で、彼らが死後にでも「巨匠」になれば、美術館はまたしても「街の魅力により」強力なコンテンツを手に入れることができる。

なんせ今の段階ではそれらの「未来の巨匠」は自分の作品を「展示してもらえるなら」とただ同然でポンピドーに差し出すのだからすごく格安で作品を集められルのです。

パリでさえ・・・「二匹目のどぜうを狙っている」と言える。


(3)大英博物館・・・上記の(1)とも(2)とも異なります。そもそも「美術館」ではなく「博物館」と訳される。(英語だとどちらもミュージアムなのにね。)

大英博物館が展示するものは、英国王室の所蔵品でもないし、英国に集まった芸術家?そんなの聞いたことないです。


彼らが展示するのは、「大英帝国が植民地から持ち帰ったもの」なのです。エジプトやギリシャ、そしてオリエントの様々な古代文明からの出土品が大英博物館の展示のハイライトです。

これらの植民地は文明国ではないから、当然あるのは油絵ではなく石像であり神殿であり宝石でありミイラ。だから「大英美術館」ではなく「大英博物館」なわけですね。


では、(4)メトロポリタン美術館は? 「巨額の資金で買い集めたものを展示」してます。大英博物館と同様に他国から略奪して持ち帰ったものも、もちろんたくさんあります。

(余談ですが・・・前に「違法コピーを取り締まって欲しい。オリジナルの価値を尊重して欲しい」と米国高官に言われた中国の大使が「メトロポリタン美術館にある、我が国のオリジナル美術品も返して欲しい」って言ってました。おもしろすぎるよね、中国って・・)

まあとにかく、ここで一番多いのは「買い集めたもの」です。だってそりゃそーでしょ。この国の歴史は200年ちょい。大半の美術品はそれより何百年〜何千年も前のものなんだから、後から集めるなら奪うか買うしかない。


で、この「財力」が「すげ〜」って感じな訳です。大英博物館に行って驚くのはエジプト文明ではなくて「大英帝国のすごさ」なわけですが、メトロポリタン美術館では「アメリカの資本力のすごさ」に圧倒されます。


なんなんだ、この金持ちの国は!!!です。



この美術館の特徴は、多くの展示室に「個人の名前が冠されている」ということです。そう、個人から寄付されてるわけです。美術品はまず「大金持ち」によって収集され、時間がたつとメトに寄付される。それ以外でもアメリカでは多くの大学が個人の寄付によって学部を開いたり校舎を造ったりするし、オペラやバレエなんかも寄付で成り立っている。

メトロポリタン美術館も同じです。一番新しいロバートレイマン・コレクションなんて、「まじ??これを個人が集めてたって??????」って感じですよ。びっくりです。あんたは王様か?って感じです。すごいレベルの金持ちがいるんだよね、アメリカって。


こういう個人の名前が冠された部屋は他の(1)〜(3)の美術館ではほとんど見ません。芸術は国家の責任範囲なんです。アメリカ以外では。でも、この「資本主義をショーウインドウに並べて売る国」では、美術、文化も資本主義のルールの上に成り立っています。

アメリカの美術館にだけある大規模な「個人の名前の展示室」は、この国の美術館の「展示品の集め方の違い」を非常によく表している、と思うです。

★★★

で、この「収蔵品の集め方」が、「展示方法」にも影響を与えている。それも非常におもしろい。


(1)のウイーンやマドリッドの美術館は、建物もその王朝の宮殿だから、展示方法はきわめて「自然」です。もともとの入れ物に、もともと入っていたモノが並べてあるだけ。分類も「文化学的」に行われるのではなく、「自然に」わけてある。


(2)のルーブルは、工芸品と美術品に大きく分けて、その後は「トレンド別」です。後期印象派とかフランドル派とかあるでしょ。(いや、ちきりんもあんま知らんけど)ああいうの別に展示するんです。工芸品なら「ロココ様式」とかなんとか。

これは、その作品がどういう芸術潮流の時代のものか、でわけているわけで、街が芸術家を呼び込むことでその展示品を集めてきたパリ、ルーブルにふさわしい展示方法だよね。そういう潮流が流行っていた、それぞれの時代ってのが実際にパリにあったわけですから。


そして、(3)の大英博物館は? そう、もちろん「植民地国別」の展示です。エジプトコーナー、インドコーナーとかに別れているわけ。どこから持ち帰ったか、で展示するのです。


ではメトロポリタン美術館は?

ここの展示は他の美術館・博物館と全然違います。ここは「その文化の全体像を再現しよう」という工夫をしているの。北海道の旭川に“行動展示”とやらで人気の動物園があるでしょう?あれの美術館・博物館バージョンです。

ヨーロッパの彫刻はヨーロッパのお城みたいな展示室につくり、エジプトの神殿をある程度の大きさで再現し、日本の展示室にはワビサビな庭や畳スペースを作り、中国の王朝の神殿も再現する。

もちろんそれぞれの本物の地を見たことある人にとっては、「にせもの〜」な作りなんです。ちゃちい。いや、作り物としてはかなりすごいんですよ。でも本物を見たことあったら、やっぱりかなりちゃちい。嘘っぽい。

なんだけど、その努力は「すごい!」って感じではある。


これね、気持ちはわかるんです。彼らは、これらの文化の展示品を「お金で買ってきた。」つまり、ここ(=NYだったり、アメリカ)とは何の関係もない土地の芸術品なわけです。自分の街に集まった芸術家の作品でも、自分の街の王朝の所蔵品でも、そして、自分の国の植民地から持ってきたものでもない。単に、お金で世界から集めてきたモノ、なんです。

だからこそ、その文化環境をまるまま再現して展示しようとする。まるで、それらの所蔵品が「ここにあること」に意味を持っているかのように、展示する。


ってことなんです。



おもしろいな〜。



って感じでした。



そんじゃーね!