震災が問う私たちの“地方ビジョン”

地震の報道を見ていて、いろいろ考えた。


ひとつめ。日本は神戸の震災以来、一定規模以上の都市で地震が起こった時の初動動作など、地震後の対策をすごく学んだと思う。

神戸という日本を代表する都市の一つで、死者だけで5千人を超える規模の地震があったことで、関西だけでなく日本中がパニックに陥った。いろんなむちゃくちゃがあり、いろんなミスがあった。水もお湯もないところに大量のカップラーメンが届き、交通規制が行われなかったために緊急車両が動けなかった。悲惨だった。

けれども、そういった経験は次の学びにつがなった。幹線の交通規制を何より優先するとか、避難所の状況をまずは把握すること、ボランティアは一元管理、など様々な学びが活かされた。

神戸の時は、仮設住宅に人を割り当てる際、経済的に困っている順に、先にできた仮設住宅を割り当てた。当然そうするべきだと皆が思った。ところが、ご近所さんがそれぞれ違うエリアを割り当てられたため、コミュニティがぶっこわれた。一人暮らしの高齢者の中には、見知らぬ人しかいない仮設エリアで自室に引きこもり、そのまま寝たきりや認知症に陥る人さえ多発した。

この教訓は非常に大きく、そもそも地震でがっくり来ているときにコミュニティを壊してしまうことが、どれだけばかげたことか、多くの人が学んだ。新潟の地震の時には、「同じ村の人は同じエリアの仮設住宅にそのまま割り当てる」ということがなされている。

全国の都市が神戸の状況を見て、どういったものをどれくらい備蓄すべきか研究した。今回の地震の対応を見ていても、そういった教訓がすごく生きていると思う。


すごい。よかった。えらい。と思う。

★★★

もうひとつ、今回の地震報道を見ていて思うことがある。「地方の復興」とはなにか?が問われている、と。


中越沖地震の時も感じたのだが、今回はよりビビッドに感じる。なぜなら今回のエリアはあの時よりさらに「過疎エリア」だからだ。

ほとんど神戸と同じ規模の地震であり、実際に山並みを通っていた道路がぷつりと途中から消えてしまっている。それなのに、倒壊家屋数も死傷者数も信じられないくらい少ない。

さらに、ヘリコプターで救助されてくる人達の年齢を聞いて驚く。“一人暮らしの90才”のおばあさんを救助とか、77才同士の夫婦で避難所に、とか。

他所の地震報道にくらべても、圧倒的に子供の映像が少なく高齢者の映像が多い。そして、神戸の時には報道もされなかった「生活道路の分断により孤立した村」というのが何度も登場する。しかも「その村には10戸の民家があり・・」とか報道される。10戸??

新潟の時、それは「やまこしむら」という固有名詞だった。今回は、特定の村の名前は報道されない。だって被害を受けた多くの村がそういう状態だから。

ちきりんが思うのは、この人達にとっての「再建」「復興」とはいったい何なのか?ということだ。

★★★

生活道路を再度つないだとしよう。10戸の家庭に本当に人は皆、戻ってくるのか?壊れた家を立て直し補修して、家具や家電を買い直し、本当にもどってくる?その手間をすべて都会に住む息子や娘(彼らも60才だが)やボランティアが手伝ってくれ、家を補修するお金をすべて村が出すといったら、本当にそうする?

そんな高齢でも今までその村にいたということは、当然「ここで人生を終えたい」と考えてた方が多いのだと思う。だから、いきなり仙台の息子の家に身を寄せるとか、どこかの施設に入りたい、ということが本意だとは思わない。地震がなければ、当然に皆、その村に、その家に住み続けておられただろうと思います。

しかし、地震が起こり、すべてが「いったん振り出しに戻った今」、すべてを復旧して、その村に皆がもどるのか?

全員が戻らないとも全員が戻るだろうとも思わない。しかしたとえば10戸のうち半分の人が「戻る!」と決めれば、集落の規模は半分になる。10戸とか数十戸の集落が、地震から復興して「同じ規模で再スタートできる」とは、ちきりんには正直とても思えない。

そこに住んでいたのが自分の親なら、それまでいくら説得しても出てこなかった親でも、できれば自分と一緒に暮らすか、もしくは、もう少し別の(便利で安心なところに)居を移してほしいとお願いするだろう。もしくはそれが自分なら、地震がなければそこにずっと住みたいと思っていた場所であったとしても、いったんすべてが壊れてしまったのなら、もうあとの余生は市営住宅で過ごそうかと思うのではないか、と言う気もするのだ。

そもそも復旧までには早くても半年、道路の決壊が山の崩落によるのだとしたら元に戻るのに1,2年かかるようなエリアがあってもおかしくない。その間、行政が提供する市営住宅や仮設住宅で暮らしながら、本当に「元の場所に」「元のように家をたてて」「道路を直してつないでもらって」戻るのが、被災者の共通した望みであり、現実的にありうる策なのか?


すんごい考えてしまったよ。ヘリコプターの風によろめきながら一人では歩けず、両脇を抱えられながら避難しているおばあさんを見るとさ・・・この人はたとえ道路や電気が復旧しても、本当に元の村に戻るのか?戻れるのか?って。


あの流された旅館だって、地震の時「客が2人に従業員が3人、それに家族が4人いた」っていうのだ。どう計算しても経済的に成り立つ感じのしない人数構成比だ。

彼らはお金を全部行政が出しますよといったとしても、だよ。あそこにもう一度、旅館を建てるだろうか?それが「復興」なのか?


あなたが90才なら、本当にもう一度そこに家を建てる?


「日本の地方の将来の姿が問われている」と思う。こういう「限界集落」的な村落はたくさんある。放っておくと「いずれ大変なことになる」と皆が思っている。でも、実際に「大変なことになる」のは、日本人は長生きだし、まだまだ先でたぶん30年くらい後なのだ。だから皆、口では問題だというけど実際には全然危機感がない。

なんだけど、それが地震で一度「リセット」されてしまうと一気に「未来の選択」を今、決断せよと迫られる。

「この山の中に10名の高齢者が暮らす村を、本当に維持したいのか?」という問いにたいして、地震さえなければあと30年間、棚上げしておけたのに、地震のせいで、すぐに答えを出せと迫られる。

★★★

実は同じようなことは都会でも起きる。

震災で神戸の都市計画は100年進んだ、と言われている。どこの大都市もそうだが、戦後復興の中で事実上なんの計画性もなくぐちゃぐちゃに発展してきた。東京にも大阪にも消防車さえ通れない路地が山ほどある。建築基準を全く守っていない建物が密集するエリア、誰も権利関係を整理できない地区がたくさん存在する。

神戸でこういったエリアは最初に火事の被害に遭い、そして消え去った。

民主国家の日本では都会では道路ひとつ引くのも30年仕事だ。人が現に居住している土地を別用途で使用するのは並大抵のことではない。

しかし、震災はすべてを白紙からやり直せるチャンスを与えた。だからといって東京に震災がきてほしいわけでは決してないが、少なくとも、もしも震災がきたら、都市計画者は一気に「50年後に考えればよかったこと」を「今決めろ」と言われるだろう。

そして実は都会の場合、そういった「50年後の計画」は、もうすでに各自治体の「都市整備局」の課長の引き出しに入っている。大都市はたいていの場合、そういうプランをもう何十年前からもっているんだが、全く実施のめどが立たないので放ってあるだけなのだ。

だから、もしも地震がきて、何もかもがぐっちゃになったら、一気にそういう計画は日の目を見る。もっと露骨な言い方をすれば、そういった「机上の計画」が日の目を見るのは、大震災が起こった時だけなのだ。


ところが、地方は反対なのだ。

プラン自体が存在しないのだ。これらの限界集落をどうするのか?この過疎村をどうするのか?50年後に今の居住者の寿命とともに消滅するままに放置しようというのか、なんらか維持していこうとするのか。

なんのプランも行政にはない。村ひとつひとつについてだけではない。地方全体に関して、どうしていきたいのか、というプランがない。

行政だけの問題でもない。住民にも、これらの村々を事実上支えている都会の納税者にも、日本の中央官庁にも、どこにもその「ビジョン」がない。


日本の田舎をどうするのか?



この課題に対するビジョンを、最後に提示したのは「列島改造論」を提唱した田中角栄だった。彼は「全国の田舎を都会にする!」というビジョンを示した。

そして、それ以降、新しいビジョンは全く提示されていない。だれからも。


だから、ちきりんは思うのだ。「このエリアの復興って、どういう意味さ?」と。「誰かアイデアあるのん?」と。「まさか地震の前と全く同じ村を今からまた一から作り上げることを“復興”と呼ぶことに何の疑問も議論もないのん?」と。

★★★

震災直後の対策について、過去10年の間に私たちは多くを学んだ。

同じように、「地方の復興の意味」についても私たちはこれからたくさんを学ぶことになると思う。

地震から学べるものは結構多い。


そんじゃあね。