“声が聞こえるように”

ちきりんがブログを書く時に一番気を配っているのは、読んでいる人に「ちきりんの声が聞こえるように書く」ということです。

読者の方が画面の文字を目で追うと、まるで画面の向こうから声が聞こえてくるかのような、「ちきりん」が自分に話しかけてきていると感じられるような、そういう文章が書きたいと思っています。


書き手として読み手に「声を届けたい」と思うと、こちらも「相手を思い浮かべながら書く」必要があります。画面の向こうの読者を想像して書かないと「声」は届かないと思うんです。

別に誰か特定の人を想像するわけではないのですが、たとえば誰かと飲みにいって何時間もその人に向かってぎゃーぎゃーわーわー話し続けているというような感じで、「聞いてる?聞いてる?ほんとに聞いてる?」ってな感じで書いています。



何が言いたいかって?


つまり、ちきりんが伝えたいのは個別のエントリの中身ではない、ってこと。首相がどうしたとか、経済がどうのとか、正直どうでもいい。

伝えたいのは、それらの社会の出来事を「ちきりん」がどう見ているのか?ということなんです。伝えたいのは政治や経済の話ではなく“ちきりんの考え方であり人となり”だということ。

いろんな事象について「こー思う」「あー思う」と綴ることによって、そのこと自体について書いているように見えて結局のところ「あたしはこーゆー人間だよ!」ということを書いてます。ちきりんブログってそーゆーブログなんです。伝えたいのは「ちきりん」のことです。だから名前も「Chikirinの日記」が一番ぴったり。


ちきりんブログでは、社会事象についての意見や感想を書くのが中心だけど、時には個人的な内容も含まれます。料理の写真や旅行の話などですね。

個人情報を開示する気がないので仕事については基本的に書かないし、(知っている人も読んでいるので)一定以上プライベートなことは書かないようにしていますが、できる範囲で個人的な趣味嗜好関連のエントリも取り混ぜています。

これらは、このブログで伝えたいのが「ちきりんという人間そのもの」と考えれば非常に重要なエントリだとわかっていただけると思います。社会派系のエントリだけでなく、パーソナルなエントリも併せて読んでいただくことで、よりいっそ「ちきりん像」が形成され、より「画面から声が聞こえてきやすくなるだろう」と思ってます。

★★★


つまりちきりんブログの特徴は、“書き手”として“ブログ・プロファイリング”をやろうとしてるってことだと思うんです。


このブログを読んでいる人には実際のちきりんを知っている人も一定数います。でもじゃあ彼ら、彼女らがちきりんのことをどれくらい知っているか、っていうとたいして知らないと思う。

名前と勤務している会社とか外見とか、そういうものを知っているとなんとなく「私はちきりんさんを知っている」って言いたくなるけど、「ほんまに知ってるか?」というと何にも知らないよね、実は。

そういう意味では実際にちきりんという人間を「見たことあるか」(知っているか、ではなく)というのは、プロファイリング上のひとつのピースに過ぎない、とも言える。もちろん実際に話したことがある、見たことがあるというのは「大きなピース」だとは思います。百聞は一見にしかずっていうのはかなり正しいと思う。

それでも、それだから、と書くべきか。ちきりんが挑戦したいのは、「ブログを通じてどこまで正確にそしてビビッドに、読み手側の思考世界にちきりんプロファイルを形成できるか」ってことなわけです。

ブログのエントリを書く作業は、ジグソーパズルのジグソーをひとつずつ(読んでくださっている方に)渡していく作業、という感じなのです。


実際にちきりんを知っている人は最初にひとかたまりのピースを持っている。けど、実はそれが全体としてのプロファイリングに有利か不利かは言い切れない。強烈な一面を知っていると他の面が見えにくくなる、ということがあるから。

ちきりんがもしここで仕事内容を含む個人情報を開示したとしたら、多くの人が「そっちの情報」に引きずられてしまうでしょ。それによってプロファイリングの骨格が決まってしまう。そしてそれは正しくさえないし、むしろあまりに一面的で不正確だとさえ言える印象になってしまうと思う。

たとえば見えない何かが目の前にある。見ることはできない。見えない。なんだけど、いろんな情報を多角的にばらばらに大量に与えられて、うーん、こんな感じ?みたいな、イメージ形成のプロセス。帰納的な、インテグレーションの作業。それを情報提供側(書き手側)としてどうコントロールしていくか。実現していくか。(コントロールですよ、マニピュレートではなくて)


この作業が結構おもしろいな、と。チャレンジングだな、と思っているわけです。


もちろん個別のエントリだけを読んでくださる方にも感謝しています。別に皆が皆プロファイリングなどという面倒なゲームに参加していただく必要は全然ないわけで。

私が誰か当てろ、と言っているわけでも、私を理解しろ、と言っているわけでもないんです。文字が、見るとか聞くとか触れるとか、そういうものにどの程度迫れるのか、というのは、世の中のすばらしい文筆家の方々が過去に多くの作品を残してその挑戦を形にされている。

残念ながらちきりんはそういう才能には恵まれなかった。もしくは、そういう道を選ぶだけの勇気がなかった。だけど、ブログというツールで、ちきりんも「文字を使った挑戦」に参加することができている。しかもその対象はちきりんにとって最も興味をそそる“人間”というものなのだ。

文字がひとりの人間をどこまで表現できるのか。文字でひとつの人格をどこまで伝えることができるのか。


それは結構楽しいことだし、なんとか挑戦してみたいと思わせる、おもしろい試みなのです。

ってことが言いたいわけです。


そんじゃーね。


でかいピースだ〜、今日のは。