昨日のエントリを書く数時間前、とある知人が何の気なしに「生活費が足りなくなってきたから持ってる株を売ろうかな」と言ったのです。聞いた瞬間、ちょっとクラクラするくらい驚きました。
ご存じのように今、世界の株価は大暴落し始めています。だから、売るにしろ買うにしろ、今、株価についてなんらか方針を述べるなら、そういった背景を踏まえてのことだと思うのが(私にとっての)普通です。
でも、その知人はそんなコト、全く知りもしないようでした。
おそらく日経新聞も読んでないし、今世界の株価が、株式市場がどうなっているか、(少なくとも実感としては)全く理解していないのでしょう。
めっちゃ驚きました。
いくら自分の生活に関係ないとはいえ、今のタイミングで世界経済がどーなりつつあるのか、なんの興味もないんだ!?って。
でもね、その後で気が付いたのです。私の周りにいる人達は今回のことで、皆「世界経済はこれからどーなっちゃうの??」って大騒ぎしてるけど、この世の誰も彼もがそういうことに関心あるわけではないのだな、と。
その人は働いてる人です。でも、仕事はあまり国際的な仕事ではないし、マクロな動きにはあまり関係のない、消費サービス系の仕事(いわゆる“半径 50キロ系の仕事”)をしています。
そういう人にとっては世界経済よりも「清原引退」や「巨人優勝か?」の方が大きなニュースなのだろうし、映画ファンなら「緒形拳」のことの方が大事なんだな、と、私は 1時間くらい後にようやく気がつきました。(その時点ではノーベル賞のニュースはまだ伝わってなかったので)
そして、「自分とは全然違うことを考えて今日生きている人も、すぐ近くにいるのですよ」ということ、「あなたにとっての最大の関心事は、隣の人にとってはどーでもよいことなのかもしれませんよ!」というこの感覚を是非、伝えたいと思ったのです。
そして、いろんな表現を考えたあげくに、昨日の表現に落ち着きました。途中、何度か書き直してて、“関心により分断される私たちの世界”というタイトルでそれなりに長い文章を書いてたのですが、途中で捨てちゃったりしながら。
★★★
その前日に書いた「3つの理由が同じ」というエントリは、新幹線に乗ってる時、やはり「世界経済どーなるやら」と考えてる時に思いつきました。
この金融市場の混乱は間違いなく実体経済側に影響を及ぼし始めます。日本で言えば、まずは派遣社員、非正規雇用の人達にその影響がでるでしょう。
今はとりあえず仕事のある多くの方が、来年は仕事を失うでしょう。そういうことをツラツラと考えていたわけです。ようやく少し景気がよくなってきていたのに、またしわ寄せがいくよねえ、大変だなあ、かわいそうだなあ、、、と考えていて思ったのです。
「正社員を解雇するのは本当に大変だからな〜この国は」「でもさ、だったら非正規雇用の社員だって“あいつらの首を切ったら大変なことになる”と思わせる理由があればいーんじゃないの? そしたら気軽に首が切れないのでは?」って感じで考えが進み・・・
結果として一昨日に書いたような話に帰結したわけです。「実際そういう動きがでてるじゃん」と。
なので、「簡単に首が切れないような何かの武器を非正規雇用の人達が持ち得るとしたら、それは何なのか?」というのが最初に思いついたテーマだったわけです。
★★★
私はブログを書く時、テーマ探しにはあまり困りません。毎日書きたいと思うトピックスは何かしら頭に浮かびます。
寧ろ書きたいことが複数あって選ぶのに悩んだり、書きたいことがあるのに大きな時事問題が起こったので先にそちらを書くことにしたり、テーマが多すぎて困ることはあっても「書くことがなくて困る」というのはほぼありません。
けれども書きたいテーマを「どう書くか」については結構悩みます。一度書いてみてボツにするエントリも多数存在しています。
なぜなら「どう書けば、自分が感じていることを読み手にも感じてもらえるだろう」というのを理解するのはとても難しい作業だからです。
昨日のエントリだって、今日の最初に書いたように、「実は今日知り合いがこんなこと言ってきて・・私はすごく吃驚して・・」みたいに経緯をそのまま説明する方法もあったわけです。
でもやっぱそれよりも別の書き方で「ちきりんが今感じているこの感覚を、よりビビッドにわかってもらえる方法があるのでは?」と思い、昨日のような文章にしてみたわけです。
その前日のも同じですよね。「世界経済がひどくなりますよ。非正規雇用の人、来年は大変ですよ。仕事なくなりますよ。だからみなさんも“俺たちをなめたらアカンぜい”と主張した方がいいですよ」みたいな流れで書いてもよかったのですが、ちょっと違う方向からアプローチしてみた結果、ああいう構成になりました。
というわけで、テーマはすぐに浮かぶちきりんですが、文章化するにはそれなりに努力したり考えたりしています。
ご参考までに、上記に書いた「コミュニケーション」について、ちきりんがそれをどういう作業であると考えているかについて書いたエントリはこちら → http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20060205
ブログの読者が増えてくると、この作業がより複雑で難しい作業になっています。でも、それこそ=多数で、しかもお会いしたこともなければ目にも見えない多くの方々の“受動体”を意識して書くということ、が文章を書くことのおもしろみであり、まさに醍醐味でもあります。
下記はひとつの感覚を伝えるために書いたエントリのボツ原稿を後から開示したケース(テーマは秋葉原の無差別殺人事件)。
→採用原稿 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080611
→ボツ原稿 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080615
というわけで、気軽にサラサラ書いているようで、ちきりんも裏では結構まじめに努力しているだすよ!ってことだした。
そんじゃーね