危機の中にある“日本経済再生への糸口”

先日ニュースで次の数ヶ月に製造業だけで40万人の雇用が失われると報じられていました。数万人だの数千人だのという数字とは異なり、いよいよ現実的な数字がでてきたなという感じではありますが、この40万人はまだ雇用を失う人の第一陣に過ぎません。

そもそも大企業にとっては「ボーナスが減る実感」がもてるのは次の6月が最初なわけで、そういう人達が消費を本当に抑え始める今年後半から、二段階目の市場縮小、それに伴う雇用調整が始まるのではないかとも思えます。


と悲観的なことを書こうと思えばいくらでも書けるのですが、反対にちきりんは今までいくつかのエントリを書いたように(例:“円高が日本を救う!(かも))、今回の経済危機について「でもこれって結構チャンスなんじゃない?」とも考えています。


今回の衝撃は余りに大きいので、「ちょっとずつ」「まあまあ」「ぼちぼちと」が大好きな日本人もそんな悠長なことは言っておられず、構造的なこと、根本的なことをばっさり変えていく必要に迫られるんじゃないかなと、いう気がしているからです。そして、それは決して悪いこっちゃない、とちきりんは思ってます。こういう大衝撃がないと、この国にとって「痛みを伴う構造改革」を受け入れることは本当に難しいことだと思うので。


その構造改革として提案、支持した一つが上で書いた「特定産業の輸出(外需)依存の経済体制からの脱皮」であるわけですが、最近の動きを見ていると、他にもいくつか“構造的な変化”が起こるかもね、と言う気がしてきたので、どういうことが起こりそうか、いや、起こって欲しいと思っているか、まとめて書いてみるです。

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まず最初に起こること。それは「供給過剰状態の解消」です。

日本はそもそも多くの業界で供給過剰です。簡単に言うと「会社多すぎ」「店多すぎ」「キャパ大きすぎ」 それが過当な価格競争を呼び、「社員は過労死しそうなほど働いているのに誰も儲かってない」とか、「法律なんて守っていては商売できない」という無茶な状況を招いています。(その理由・背景についての関連エントリ→Exit)

供給過剰であることは皆わかっていても、誰も積極的に会社をつぶさない。「うちを吸収合併してください」ともちかける会社や社長は極めて希だし、強者がリーダーシップを発揮する買収はほぼすべて「敵対的」と見なされてしまうこの国では、多くの企業が余剰の設備、人員を抱え、余分な会社がいつまでも存続していた、わけです。

それがさすがにこの経済状態において“もたなくなって”きた。特に固定費系の産業は相次いで一部の生産設備の稼働をストップし始めました。

そしてこのまま市場縮小が続けば、それでもすまなくなる。合併して設備を統合し最も生産性の低い設備を閉じる、本社部門も統合でスリム化する、というプロセスが不可避になるでしょう。製造業だけではありません。小売業、金融などのサービス業、大学などの教育機関にも同じことが起ると思います。

既にいくつかの大型合併の発表が行われていますが、この動きは今後いっそう加速すると思います。そして、それによって日本にとって昔年の課題であった「市場原理による供給キャパシティの適正化=供給過剰状態の解消」を実現できる可能性がでてきた、とちきりんは感じているのです。

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次に「終焉産業の退出」を促進するチャンスかも!と思います。

まだこの経済危機が起る前にちきりんは「新聞業界崩壊の理由5つ、いや6つ」というエントリで新聞業界が長くはもたないだろうと書きました。しかし実際には商売としての新聞稼業に長期的な成長力がなくても、豊富な不動産等の資産の上にあぐらをかいていた彼等は、改革を先延ばしにしお茶を濁すような時代錯誤の対応策(あらたにす、みたいなね)しかやってきませんでした。

しかし、これも先日「業界別“壊滅度”リスト」というエントリで書いたように新聞業界にたいする今回の経済危機の影響はまさに“壊滅的”です。

今年の元旦の新聞はどれも別冊の数が昨年より1〜2部少なかったと思います。家電メーカー等の元旦特別一面広告が大幅に減少したためですが、これら家電系と求人広告というドル箱二つを失った新聞に、この不景気のなか広告料が戻る可能性はもうほぼありません。ではもう一方の購読数がこれから増える可能性があるでしょうか?

いよいよ「使命を終えた産業」の終焉が見えてくるかもしれません。



それ以外にも不況が深刻になれば、「お歳暮・お中元市場」「年賀状市場」なども消滅するかもしれません。少子化と定員割れ大学の狭間で「受験産業」が消え、未だにあちこちの地方で毎年赤字を補填されながら存続している「ご立派な地方空港」やら「第三セクターの諸事業」やそのための立派な立派な建物も、たとえ100円ででも売却した方がまし、となるかもしれません。(簡保の宿も同じです。あんなの売らずにずっともっててどーすんだ??)

つまり、今回のようなことがなければ「だらだらと生き延びる」ことができてしまったような“既に役割を終えた事業や企業”に、きちんと「退出」してもらえるかもしれないのです。こんなことは日本ではこんな危機でもないと実現しえないことであったと言えるでしょう。(いやまだ起ってないけどね・・)



そしてそうなると必要となるのが新規産業の創造です。上記に書いたようなことが起れば、余剰な企業や終焉産業で働いていた人達は職を失うことになります。それらの人達を吸収する新しい産業や市場が興る必要があるのです。

でも大丈夫。日本には、先日、“失業者”と“人手不足”が併存するわけでも書いたように農業や介護市場など、規制にがんじがらめにされ民間の参入を厳しく(事実上)制限しているような市場があります。

これらの市場は、ニーズ(内需)があり、成長性と可能性に溢れる有望市場であるにも関わらず規制と既得権益保護のためにいかにも使い勝手の悪い分野として放置されているのです。

先日「散歩」が高齢者のリハビリや予防に非常に効果があると思われるのに介護保険では「散歩同行」が認められていない、という話が新聞に載っていました。あほみたいな話ですよね。“混合介護”が可能になれば散歩の時間分だけは保険を使わない料金を貰えば済む話です。その分を払ってでも、という人はたくさんいるし、散歩の同行なんて一番初心者に入りやすい部分でしょう。

そう、ここで4つめの大改革が必要となるのです。それが「規制緩和と規制市場の大開放」&「それによる新市場振興」ということです。

(規制緩和なんてしたら大変なことになる!という意見の方はこちらをご覧ください→“規制”と“規制の監視監督”の違い

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そして最後に「地方分権」です。「道州制」までいってもいいけど。

先日の壊滅度リストでも国や地方の税収が大幅に減って大変なことになるよと書きました。国や地方自体もすさまじい勢いでの改革が必要となるでしょう。

しかしご存じのように公務員は解雇できません。この不況下ではむしろ「公の団体が雇用を増やせ」と言われるのが自然です。ではどうするのか?行政サービスや福祉を切り捨てるか?

経済危機で福祉の必要性は今まで以上に高くなるのにそれを切るなんてありえないですよね。行政サービスの一部は切ることができるかもしれないけど、それだけではとても足りないほどの税収不足がおこるであろうことはもう明白です。



知ってる人は知ってると思いますが、中央が資金と権限を独占するのはこういう時代には本当に効率の悪いやり方なんです。(高度成長の時にはよかったと思いますが)

全国一律の基準を個別の地方ニーズにあわなくても皆守らなくてはならない。そのために多額の無駄な設備を作る必要がある。工夫をして予算を余らせても別のことに使えるわけでさえない。国の企画にない分野の投資は、何度も何度も何度も何度も何度も知事が霞ヶ関詣での出張を繰り返さないと認められない。等々。

そもそも昔のようにどの地域も学校と大学を欲しがってるし、新幹線の駅を欲しがってるし、地域中核病院を欲しがっていて、ついでに文化施設もひとつくらいは欲しい!という時代ではない、ということです。地域によって「今、どこに、何にお金を使いたいか」は全然違ってきてるのです。なんだから中央で一律に決めずに、お金をどう使うかは地方に近いところで判断した方が圧倒的によいってこと。

東京に住む息子の仕送りを、田舎の母親が「食費には2万円当てなさい。本は1万円は買いなさい。」とか指示するってどー思う?ってことです。単に母親の方が「エライ」という理由で。「息子はいい加減で当てにならない」という理由で。いつまでも遠くに住む「偉いお母さん」の指示通りに動くべきなのでしょうか?


道州制は地方分権の受け皿となるだけでなく、それ以外にも多くのメリットがあります。行政単位をまとめることで政治や行政体制もスリム化できるし、「自分の範囲内での優先付け」ができることが大きい。また規制や制度の独自性も今より圧倒的に出しやすくなります。(説明不足なのは重々承知してますが、道州制について書くと、ここからまだ数千字は書かないといけなくなるので詳細はまたそのうち)


というわけ。


★★★

まとめときます。


つまり、今回の経済危機により強制的にでも、

  1. 特定産業の輸出(外需)依存の経済体制からの脱皮
  2. 供給過剰状態の解消
  3. 終焉産業の退出
  4. 規制緩和と規制市場の大開放による新市場振興
  5. 地方分権の推進、道州制への第一段階の実行


などが少しでも進むなら、それはそれで「よかったじゃん!」なのではないかと。
これこそまさに日本経済がその再生に向けて、次のステップへと進むための糸口となりえるんじゃないかと。


そう思ったりしたということです。





てか、
長くてごめん。
ホントすみません。
最後まで読んでくださった方、ありがとございます!


じゃね。