輸出を想定せずに作られたもの

ある韓国ドラマで、日本占領下の朝鮮を舞台にしたドラマを観てます。多くの若い朝鮮人の人達が独立運動をしています。当然、日本の警察は彼らを取り締まります。

ドラマの中で日本の官憲が若い朝鮮人の独立運動家を逮捕して射殺するという場面。独立運動家達は新しく就任してくる朝鮮総督府の総統の暗殺計画を練っているところでした。

活動家が夜道を歩いていると、建物の陰で待ち伏せしていた日本の官憲が突然現れ、ピストルを活動家の目の前に突きつけ、すごんだ目つき&ドスのきいた声で言う台詞があります。官憲役も韓国人俳優が演じているのですが、一応(なまりつつ)日本語で話します。

が、これは韓国で作られたドラマなので、本来の視聴者である韓国人のためには字幕がでます。その字幕は「お前らの企みは全部お見通しだ!」と出ています。なるほど、総督暗殺計画の情報が漏れてしまっているわけですね。


で、字幕はそうなんですが、その韓国人俳優が口にだして(音声で)言っている日本語の言葉はこうです。



「お前達の作戦は、もうバレちゃったぜ!」



吹き出しました。なんだよ、その子供の喧嘩みたいな台詞は??
まじめに作ってよ!!シリアスな場面なのに。


これが「輸出を想定せず、国内市場だけを念頭において作られた商品」ってことなんです。韓国ドラマは日本だけでなくアジアでも大人気だけれど、それでも(この時期のドラマは)「最初からアジア市場に向けて作られたわけではない」とわかります。ハリウッド映画とは違うということです。

日本のデジカメとかテレビ、自動車なんかは、今はもう当然のように最初から世界で売ることを前提として作られてるでしょ。一方でアニメのように「日本で売れていた物がたまたま海外で受け始める。」というものもあります。

「最初から世界で売ることを考えて作る」というのは、「たまたま日本で受けたものを海外にも売る」というのとは細かいところで全然違うことなんだなと、そのドラマを観ていて思いました。


人も同じかな?と思った。

日本で成功することを念頭に教育を受けた人が、あとから世界に出て行くのは結構大変だったりする。最初から世界で活躍することを念頭に教育されてたら全然ちゃうんだろうな、と。

教育制度そのものもそう。どういう人を育てたいと思って制度設計しているのか。よく聞くのは技術立国を支える人材かな。それは悪くないと思うけど、もうひとつ必要だよね。

日本ってすでに人口が減り始めている。「日本発」で世界初に売れるものが車と電気製品だけ、ではいつまでももたない。「人」自体が世界で通用するようにならないともたないでしょ。世界を舞台にリーダーになれる人を(一定数は)育てる必要がでてきてると思います。

最初に「いい大学をでていい会社に入る」ことを目的にして育てられちゃうと、あとから世界に出たときに、上のドラマの台詞のような、滑稽なことになってしまうのだよね、と。思ったりしたわけです。

んじゃ。