官から民へ(後編)  組織の攻防

官業民営化、後編は組織を巡る攻防について。

ご存じのように、元官業組織の多くは民営化の際に「分社化」というプロセスを踏む。日本国有鉄道がJRになる時にJR東日本、JR西日本など6つの旅客鉄道会社と貨物鉄道会社等に分割され、NTTもNTT東日本、NTT西日本などの地域会社の他、NTTコミニケーションズなどに分けられた。道路公団も同様だ。

そして今問題になっている日本郵政公社も、日本郵政株式会社になると同時に郵便業務、銀行業務、保険業務(かんぽ)、窓口業務の4つに、事業分割されている。


なぜ官業は民営化される際に「分割される」ことが多いのか?

その理由がいくつかあるのでまとめておきましょう。


(1)都市から田舎への利益補填の停止

どの官業も長年の間に、ユニバーサルサービスの美名の下、「都市で儲けた利益を、次世代のための投資ではなく、地方の赤字埋めあわせに使う」という図式ができあがっている。国鉄も電電公社も郵政公社も皆同じだ。

巨大な公社とは「都市から地方への金脈ルート」ともいえるのだ。旧守派の政治家の政治基盤である日本の“地方”において、これらの公社は、極めて安定した良質な雇用の提供者であり、また公共事業に加え様々な投資を行う主体ともなる。

公社の地域分割がなされれば、地方では身の丈にあった投資しかできなくなるし、赤字も東京の利益を使って補填することができなくなる。それはそのまま地方に地盤を置く政治家の政治生命に響いてしまう。

しかし、そもそもニーズのない地方に投資を続けても回収できる見込みはない。巨額の赤字はいつかは税金で補填することを余儀なくされる。この赤字補填資金ルートを断ち切ることが「分社化」のひとつの目的だ。


(2)既得権益集団、労組の分断
これも重要な理由だ。官業で働く人達は極めて恵まれた労働条件で働いており、しかも自分の会社(公社)がどんなに赤字をだそうとも解雇される怖れも倒産する怖れも全くない。

そんな環境で、働くモチベーションを維持できるのかという点は今回は棚上げするとしても、それだけの既得権益をなんとしても死守したいと思うのは当然のことだろう。特に人数の多い官業では、労働組合の力も圧倒的に強い。

そこで民営化を機に分社化をし、その分断を図る。たとえば、全く儲かっていない「東北地方で働く職員の賃金を上げろ!」という労働闘争のために「朝の東京の山手線でストをするぞ!」という脅しは使えなくなる。また長期的には地域の収益力や平均賃金に合わせた給与水準の設定が可能になる。

ものすごい数の職員を抱える官業公社は、集票マシンとしても圧倒的な力をもち、○○族と呼ばれる政治家を何人も国会に送り込んでいる。郵政公社も以前は「100万票組織、100万票神話」と呼ばれていた。が、これも分社化によりその力を一定レベル抑えられる。

そもそも社会運動というのは、「母集団にいる人間の頭数」がパワーの源だ。大人一人はそのまま選挙の一票であり、月平均の労働組合費が数千円にもなるような組織では、人数の多さはそのまま政治家への献金パワーとなる。

まずは「組織を小さくする」ということが、巨大権力を誇る大規模公社を民営化(まとも化)するために非常に重要な一歩となるのだ。


(3)疑似競争環境の創出
大半の公社や国有企業というのは、民営化しても大半が独占企業か、よくて寡占企業だ。民営化する意義は「市場の中で生き残れる組織になること」であるのに、大半は民営化しても(自分たちがあまりに巨大すぎ、また特殊すぎるために)競争する相手さえいない。

これでは彼らのメンタリティの中に民間企業としての常識(たとえば“加入者ではなく、客なのだ”という意識を持つなど)を植え付けるのが難しい。また赤字が続いても「特殊な環境なのだから仕方ない」という言い訳がいつまでも通用してしまう。

そこで会社を分割する。そうすると「東日本ができたのになんで西日本は・・」とか「四国が黒字になってるのに九州が無理だという理屈は通用しないだろ」みたいな話ができる。グループ内に擬似的な競争状態を作り上げる。これが組織の意識変革に非常に役に立つのだ。

実際JRなど表面上は私鉄と競合してるとか言ってるが、心の中での最大のライバルは今でも他のJRであろう。相手が同じ条件であれば「負けることの言いわけ」が見つけられないからだ。

この「競争状態におかれる」ことが、公社の実質的な民営化を進する原動力となっている。


(4)管理可能単位への縮小

分割直前の国鉄の職員数は30万人弱。ピーク時には60万人を超えていた。電電公社も20万人程度(その少し前まで30万人)、郵政公社も分割前で30万人規模だろうか。

参考までに、鳥取県の赤ん坊までいれた人口が60万人弱、杉並区が54万人。行政単位なら人は一地域に集まって住んでいるが、公社では数十万もの職員は全国に散らばっている。こんなのまともに経営するのはほぼ不可能な規模だ。

特に経営をいちから見直す必要がある民営化の際に、30万人もの組織をそのまま温存するというのは、経営の舵取りの効率、効果という点からみてもあまりにも難しい。まずは管理が可能な規模にしよう、とすることも分社化の理由だろう。

★★★

このように「組織分割」は、巨大官業を民営化する際に多くのメリットがあるとしてよく使われる方法だ。反対にいえば「民営化を阻止したい勢力」にとって最も抵抗すべきコトがこの「分割案」であるとも言える。たとえ株式会社化や民営化が避けられないとしても、組織が分割されることだけは避けたいと彼らは考える。

日本郵政に関しても、なんとか4分割案を撤回させたいと思っている人達は多数存在する。彼らは「ある部門の人が忙しくても、他の暇な部門の社員が手伝えないのは顧客サービスの観点からおかしい」という、いかにも“正義感の強いお子ちゃま”が賛成しそうな理由を挙げているが、実際の理由は上記にかいたようにそんなに単純なものではない。


いったん分社化された組織は、「自らの事業価値、組織価値の向上」に自律的に邁進を始める。たとえば「かんぽ」と呼ばれる保険会社は、独立した保険会社としての自覚が次第にでてくれば、どうやって民間の保険会社と競って業績を伸ばし勝てる会社になるかと考え始めるであろう。

また将来的には海外の保険会社とも競い合い、アジアに進出したり、買収をしたりして世界有数の保険会社を目指そうと考えるかもしれない。

そういった目標を与えられる日本郵政の保険部門(いわゆる“かんぽ”)にとって、温泉地での保養所を経営する、というのは、全くお門違いの業務だ。


郵政解散の際、小泉元首相は「みなさん、郵便を配るという事業が公務員でなければ本当にできないと思われますか?」と有権者に問いかけた。

温泉地などの保養施設である“かんぽの宿”を、本当に日本郵政が、その保険部門が運営すべきだろうか?そうではなく、できるだけ早く切り離して本業に集中し、自分たちの専門分野で新たな価値を生める組織を作っていくのが新生日本郵政の使命とはいえないか。


しかし、この「組織の切り離し」を、抵抗勢力は簡単に許しはしない。いったん切り崩しが始まると、組織はとことん解体されてしまう。彼らもまたそのことの威力をよくよく理解している。彼らにとって、組織の規模こそがパワーであり、組織の分離や切り離しを阻止するのは組織防衛の基本中の基本だ。

旧守派の政治家が、今やほとんど言いがかりに近いような話まで持ち出して西川氏を退任に追い込もうと必死なのは、彼らがなんとしてもこの「組織の解体」を止めたいと考えているからだ。


「官から民へ」という動きは歴史の大きな流れであり、それが逆流することはないだろう。しかし残された時間は十分にあるとは決して言えない。今や日本経済は構造的にも危機的な状況にある。

このような中において、今だに時計を戻したいと考える人達、自分たちの既得権益を守るために改革を少しでも遅らせたいと考えている人達の罪は、あまりにも大きい。

そして「手続きに問題があったのだから一回立ち止まるのはあたりまえでは?」と主張する“正しいこと好きな人達”も、ちきりんからみればほとんど同罪に近い。

今この国の経済が、どういう問題を抱えているのかそれらの人達は理解しているのだろうか?後ろから溶岩が流れてきて逃げている時に、走り方がおかしいからいったん立ち止まり、フォームを直してから再度走りましょうと提案する人達は、あまりにも危機感がなさすぎる。


アメリカ発の恐慌で日本は傷が浅いとか、欧州、英国のほうが深刻だというが、昨年末のGDPの落ち込みを見ればいい。日本の経済が受けたダメージは米国の落ち込みの倍だ。欧州の落ち込みよりもはるかに大きい。

私たちが目標にしているのは、東京駅の対面に重要文化財の古いビルを持つ、経済破綻した国なのか?



そんじゃーね。