虐待事件ふたつに思うこと

幼児&児童虐待のニュースをたまたまふたつ見かけた。ふたつを比較してちょっと思ったことがあるので、それについて書いておくです。


ひとつは、大阪市西淀川区の事件。9歳(小学校4年生)の女児が、実の母親(34歳)とその内縁の夫などに、ベランダに一晩放置されるなどの虐待を受けて死亡。その後、奈良の山中にある墓場に埋められていたというもの。

逮捕された大人3名の取り調べが続いているけど、周囲の人の話や女児の体のアザなどから虐待が日常的に行われていたと見られている。また、この女児には双子の妹がいて、こちらは今年の初めに実の父親に引き取られていた。それまでは妹も虐待を受けていた様子。

母親がこの双子を産んだのは25歳の時だよね。実の父親は今38歳なので当時は29歳。テレビで見る限り、実の父親は「虐待を知っていれば二人とも引き取ったのに」という感じだった。


この事件は・・・もちろん悲惨な事件ではあるのだが、じゃあどうすればよかったのか?という点で言えば、わりとわかりやすい。周囲の人も学校も「虐待」についてはある程度気がついていたようだ。早めに誰かがこの「実の父親」に連絡していれば、双子は両方とも父親側に引き取られ、難を逃れたのではないかと思われる。

また、これは殺人罪なので母親も内縁の夫もおそらく一定期間は拘置される。その後、刑期を終えてでてきても、この母親が再度、子供を産むことはおそらくないだろう。刑期が長ければ年齢的に出産が難しくなるし、そうでなくても、おそらくこの母親が再び「産む決断をする」という可能性は高くない、と思う。

というのは、この母親は、9年前に双子を産んでからは(ニュースで聞く限り)出産していない。この9年の間に妊娠したことがあるかどうかは知らないけど、少なくとも「出産」ということに関しては「産まない」という意思があった9年間であろうと思う。

なぜ「産まない」という意思があったかといえば、実際に自分が産んだ子がいる生活をしている中で、「産みたくない」「産んでも育てられない」「育てたくない」「子供なんて要らない」などの気持ちがこの母親にあったからだ。そしてそれは「極めて全うな判断であった」と言える。


整理すると、この母親は一回出産して、その後は「産まない」という決断をしている。一回経験したところで「産む」ということの意味を理解し、「産んで育てるのは無理、もしくはイヤ」と判断し、実際に「産まない」という状態を9年間継続している。

この母親をかばう気はさらさらないが、人間は一回はやってみないとわからないことはたくさんある。結婚とか就職とか親になるとか。多くのことは頭で想像しているのと全然違う現実がある。やってみて初めて「自分がどういう人か」に気がつくこともある。

だからといって生まれてきた罪のない子供を殺していいわけはないのだが、少なくともこの母親は「自分は子供を適切に育てられない」ということはわかっていたのだと思う。だから過去9年間は子供を生んでいないのだ、と思うわけ。

そして、「ちゃんとそれを9年間、守ってきた」ということから類推するに、将来また妊娠してもおそらく「産まないという判断をするだろう」と思うのです。



なんでこんなことを書いているかというと、もうひとつの事件との対比で、なんです。

こちらは足立区の19歳の母親が2歳の娘に熱湯をかけて大やけどをさせた事件。赤ちゃんのお風呂用のタライに熱湯をいれて、そこに足をつけさせ、加えて茶碗で熱湯をすくって肩からもかけた。

テレビで熱湯に入るお笑い芸人の番組をみたことがあり、「実際どうなるか見てみたかった」のでやってみた。「泣き叫ぶ長女の姿がおもしろかった」と。

お仕置きのきっかけは、この女児が、食べさせたシューマイが熱いといってはき出したことらしい。「2歳でシュウマイ」ってのは・・確かに熱いかも、だ。

ちなみこの母親には8カ月の長男もいる。長男は今年2月、“足首を持って子供を振り回した際にできやすいという頭部外傷”で入院してる。8ヶ月だよ。足首持って振り回す!?

父親は20歳で働いてる。虐待は知らなかった、とのこと。ええっと、母親は今19歳だから、16歳で妊娠、17歳で長女を産み、産後1年すぎたあたりで第二子(長男)を身ごもっている。この母親がひとりで子育てをしていたのかどうか、ニュースだけではよくわからない。たとえ専業主婦であっても、ほとんど年子に近い二人の乳幼児をひとりで育てるのはかなり大変なはずだと思うのだが。


でね。こっちの事件は・・・解が見えないんだよね。虐待に父親か誰かが気がついていた、としましょう。するとどうなったでしょう?少々この父親が育児を手伝うくらいでは虐待が収まると思えないでしょ。しかもこのご時世、20歳の父親が3人の家族を養っていくのは大変なことだ。彼が気がついていたからといって虐待を辞めさせたりできたかしら?

じゃあ、できないね、ということになればどうなっていたか。おそらく子供を福祉施設に預けることになる、というのが最も正しい選択肢なんだろう。

で、それも簡単ではないとは思うが、もしもそうなっていたとしましょう。理想的な解決方法が実践された、としましょう。すなわち、早期に父親が虐待に気がつき、いろいろ検討した結果、二人の子供は施設に預けた方がよいと判断し、行政に相談してそれが受け入れられた、としましょう。



その3年後、何が起ってると思います?

ちきりんの予想では、3年後にこの母親は22歳になり、またもや2児をもうけていて、その2歳と1歳弱の子供を虐待してんじゃないの?と思うんだよね・・・


実際にも、今回は女児はやけどはしたけど死んでいない。この女児と男児は、おそらく今後は母親と一緒に暮らすことはなく、児童福祉施設などで育つことになるでしょ。

なんだけど、母親は虐待(傷害罪)で逮捕されてもたいして長く拘置されるわけではない。反省したり、家庭環境が複雑だったり、今はまだ19歳だし、みたいな話になれば、拘置さえされないかもしれない。拘置されてもそんなに長くはないです。で、そしたら3年後、どうなってると思います?

下手したら(今回の二人の子供とはまた別の)2歳と8ヶ月の子供の母親になっていて、また虐待してるかもよ。

って思いません?


こちらのケースでは、この母親は第一子を産んでから、1年後に次の子供を身ごもり、その子を産んでいる。二人目の子供の意味は「妊娠しない」「子供を作らない」「子供を産まない」という意思が、この母親、というか夫婦にはなかった、ということの証ですよね。

それともまさかこのご時世に、避妊の方法も中絶という方法も知らなかったのだと?んなこと考えにくいよね。


ここが最初のケースと全然違うかなあという気がするところです。17歳で最初の子供を産んだら、普通は“すごい苦労”をすると思うのです。まだ自分自身が遊びたいさかりで子供に付きっきりの生活を強いられる。ちゃんと育てている人でも、普通に「きゃー勘弁!」と思うはず。

なのに、その状態で(しかも虐待とかしながら)2年以内に次の子供を産もうと思うって、どういうことだろ?

つまりこの母親は第一子を産んだ後も、「子育てが大変だ」「子育てがいやだ」「子供なんていらない」とは切実には感じてなかった、ということなんじゃないかと。だから次の子供の妊娠がわかっても産むことに躊躇がなかったのではないか、とさえ考えられる。



このふたつの虐待ケースは、この点で大きく異なると思うのです。第一子を産んだあと9年間、産んでいないというのは「育児が大変。やりたくない。やれない。」という判断が母親にあったからで、なんでそんな判断ができたかというと、子育てに関して一応は「産んだら、こうしなくてはならない」ということが意識されていたからだろうと思うのです。

が、後者のケースでは、その意識さえなかったのかな、と思います。産んで虐待して(時には死んじゃって)、そのことをなんとも思わないから、次ぎにまた妊娠したら産んで、第二子もまた虐待して・・・「それがどーしたの?」ということであるなら、さらに次の子を妊娠しても産むのかもしれない。何人でも産むことを躊躇しないかも、この人、という気さえします。


というか、今回逮捕されて、ごく短期間拘置されて、その後、まだまだ妊娠可能年齢の間に外に出てくると思うのですが(というか、そもそも拘置されない可能性の方が高そうなのですが)、その後もこの女性が子供を産み続ける可能性ってのは十分あると思います。だって、今回の逮捕の意味がわかるくらいなら、第一子を産んだ後に出産や子育ての意味もわかっていそうなものだもの。

ホラーとして考えれば、いつかどの子かを殺して長期間にわたって拘置されるか、もしくは妊娠不可能年齢になるまで、同じことを繰り返さないとも断言できない。時々、乳児・幼児の白骨死体がアパートの押し入れの中の段ボールから4人、5人分も見つかった、という事件がありますが、ああいうケースってのが、まさにこれと同じような人なんだろうなと思います。

自分で産んで、その子が死んで、段ボールにいれて押し入れの奥に放り込んで、で、次ぎにまた妊娠した時に、それでも「産む」という判断をする。


最初のケースより圧倒的に理解しにくい。
なんなんだろね、これは。


というか、多分全然違う“解”が必要なケースなんだよね。



と思います。




それではね。