理系は隔離して田舎にとじこめろ?

先日、「大学間競争が激しくなっており、一昔前に郊外に移したキャンパスを都心にもどす大学が増えている」というニュースを読んだ。

んだけど、その中身がちょっと気になった。


記事で最初にとりあげられていたのは、実践女子大学&短期大学。今は日野市にある大学・短大のうち、文学部と人間社会学部、短大の日本語コミュニケーション学科と英語コミュニケーション学科を渋谷に移す計画とのこと。で、日野市には、理系・実験系学部学科だけが残るらしい。

青山学院大学も同じようなことを考えていて、文学部や経済学部など人文・社会科学系の7学部の1,2年生は青山キャンパスに集約するとのこと。相模原キャンパスには理工学部と社会情報学部が残り“キャンパスの特色が明確になる”って。

関西も同じ。同志社大学は13年度から今出川校地に文系学部を集約。京田辺キャンパスは理系中心のキャンパスにするらしい。京都大学も同じようなことやってなかったけ。吉田キャンパスと桂キャンパスの分離は、文理が軸になってるように思える。


背景はよくわかるよ。私立大学はどこもJALと同じくらい経営が厳しい。顧客集めに四苦八苦だ。応募数を増やすにはそりゃあ田舎よりは都会にキャンパスを集約したい。だけど全員を都心に呼ぶのは無理。じゃあ、文系だけ分離して移そうという話になる。

京大に関しては学生集めに困っているとは思わないけど、理系は実験施設など広いスペースが必要だけど、既存の街中キャンパスでは敷地の拡張は無理。じゃあ集約して(広い土地が確保できる)田舎へ、ということだろうか。



ん〜。


これ、本当に教育目的に照らして、いいことだと思います?


理系と文系が同じ学部にいれば、否応なく違うタイプの人達と混じり合うことになるじゃん。でもキャンパスをわけちゃうと、クラブやサークル、学食や寮まで分離されちゃう。キャンパスの近くでバイトして出会う仲間もみんな同じ学部。アパートに住む他の学生も同じ学部。

同じキャンパスにいれば目に入ってくる文系学生の生態(就職活動の様子とか)も、理系学生には全く目に入らない。特に「郊外で集中」すると、他の大学の学生や、学生以外の人と触れる機会も限定される。

もちろん文系学生の方も同じ。キャンパスにいるのは皆、同じような学問をやっている人達ばかり。20歳をはさんだ4〜6年間、自分達と異なるタイプの人と遊んだり、議論したり、飲んだりしにくくなるってどうなんだろ。特に学業が忙しく、郊外側のキャンパスに集約される理系学生はかなり画一的、閉鎖的な環境でその時期をすごすことになる。


理系のリーダーの皆様に聞きたいんだけど、そういう環境で教育を受けた人って、これから日本が育てていきたいと思ってる理系人材の姿と合致してるんですかね。田舎に理系だけ分離した方が、くだらない事に気を取られず、アホな文系にも惑わされず、研究に没頭できて、よさそうってことなんですかね?


どんな人を育てようとしてんだったっけ?


技術立国の人材育成方針として、手始めに「理系学生を田舎に隔離せよ」ってことなのかな。そんでもって研究に没頭させたら世界に通用する研究者や技術者が生まれるだろうという作戦?


ふーん。


じゃーね。