“昔の若いモン”は・・

「若者の海外旅行離れ」という話をよく聞く。それがホントなのかどうかは別の検証にまかせるとして*1、今日は別の視点から考えてみる。

というのも、この話に関して聞くのは「なんで、最近の若者は海外旅行に行きたがらないのか」という方向の話ばかりだからだ。たとえば、


最近の若者は
・内向き思考だ。
・知的好奇心に欠ける。
・バイタリティや冒険心に欠ける。などなど。


ひどい人になると「若者が海外旅行をしないようでは、日本の将来が思いやられる」とかおっしゃる。でもね、一回反対に考えてみたらどうよ?と思う。つまり

「いったいなんで“昔の若者”はそんなに海外旅行が好きだったのか?」という方向の問いもあり得るはずでしょ。


たとえば・・

1)ハイソ・ライフへの憧れ

昔の一時期、子供はやたらとピアノ(オルガン)を習わされた。これはその親の世代に「ピアノ=上流階級」というイメージがあったから。一方で今の親は、実家の放置された黒い箱を見て育ってる。ピアノへの憧れなどない。

同様に「海外旅行」は昔は憧れの商品だった。JALパックの肩掛け鞄が金持ちの印だった。空港で見送られながら旅立つ人達、ドラマの中では山口百恵のおばさまもパリに在住。そういう時代の人にとっては「海外に行く」は「ピアノを買う」と同様、形として憧れの対象であり、誰も彼もがピアノを子供に習わせたいと思ったように、誰も彼も海外旅行をしたがった時代だと思う。

でも、今の人達にはそういうのはもうない。ピアノと同様、海外旅行も陳腐な“虚構の金持ちグッズ”に過ぎない。


2)娯楽の少なさ

昔の若者はよく「俺が小さい頃はよく外で遊んでいた」というけど、それって家の中で子供が遊ぶ道具(ゲーム機やパソコン)がなかったからだよね。海外旅行も同じだと思う。昔の大学生って、パソコンも携帯も持ってない。それどころか下宿だとテレビもない。娯楽ってマージャンと飲み会くらいしかなかったんじゃないかな。

学生の活動だって、政治活動の他は超健全な運動会くらいしかない。今みたいに学生が起業してみたり海外の大学生と一緒に活動するような団体はほとんどなかったと思う。

つまりは“エキサイティングでおもしろいもの”が少なかったと思うよ。だから「海外へのバックパッキング旅行」が受けていたんじゃないかな。


3)情報の少なさ
昔は、海外がどんなもんか誰も想像もできず、そこには何か「すばらしい世界」があると思っていた。日本にはない何かがね。

ところが、情報が行き渡り実像がばれた。で、「なんだよ、日本の方がよほどいいじゃん」とわかった。安全で清潔で人がまとも。食事も美味しくて、しかも今や日本の方がモノが安く、おまけに品質もよい。

たとえば昔、外貨が貴重だった日本は輸入品に高い関税を掛けていた。だからブランドモノや洋酒は「すごく価値がある高級品」に見えた。なので海外旅行にいって“免税”で買ってきた。重いのに。

しかし行ってみて皆わかった。イギリスにいけば別にスコッチウイスキーとか普通の酒だし、と。フランスに行ってみれば、ヴィトンとかおばさんの鞄だし、と。何をありがたがる必要がある?マイルドセブンの方がマルボロより旨いし、と。しかも内外価格差もどんどん小さくなり、海外で買い込んでくる必要もなくなる。

情報が行き渡り、「洋物はハイカラ」とか「海外には(日本にはない何か)特別なものがある」とは皆思わなくなった。これが3番目の理由。


4)飢餓感、希少価値感覚

昔は海外旅行は高かった。為替レートも悪かったし、飛行機も高かった。人は「なかなか手に入らないもの」に憧れる。海外旅行は「新婚旅行で一生に一回」とか、「定年後に退職金で行こう!」という対象だった。それが「生協で申し込める!」となったからブームになった。HISの創業者の方だって「普通の人でも旅行ができるように」という気持ちがベースにあったと思う。

が、今や海外旅行にそういう「希少価値」は全くない。人はいつでも手に入るものに飢餓感を持たない。昔は粗品とか全部もらったけど今はもう受け取らないって人もたくさんいるでしょ。そういうもんなんです。


★★★

つまり“昔の若いモン”は、娯楽の少ない時代に生きており、情報も少なかったから、海外にさえ行けば何か特別なものがあると信じていた。しかも、そうそう行けるもんでもないし、行けるのは「金持ちだけ」という時代。

そこへ学生でも若くてたいしてお金がなくても海外にいける時代がきたもんで、「海外旅行に熱中した」ってことなんじゃないかな。


まとめるとこんな感じ↓

1)ハイソ・ライフへの憧れ
2)娯楽の少なさ
3)情報の少なさ
4)飢餓感、希少価値感覚


というわけで、この件に限らず、「最近の若者論」の裏側には常に「昔の若者論」があるというお話でした。


そんじゃーね。