事件は会議室で起きている

最近、私を悲しくさせるのが、“1000円カットハウス”(1000円散髪屋)が、存続の危機というニュース。

「全国理容生活衛生同業組合連合会」=いわゆる普通の床屋さんの業界団体が、「洗髪設備がない1000円カットハウスは不衛生である」と言いだし、全国の自治体で洗髪台の設置義務を条例化する動きが拡がっているんです。


1000円カットはコストが勝負。洗髪設備を整えると大きなコストがかかるし(洗面台代金だけでなく、給排水工事が必要)、駅前や地下街の小さなスペースで開業している場合は、そもそも設置場所が確保できない。

設置できても洗髪は時間がかかり、「15分で終わって1000円」という回転率も維持できなくなる。事実上、1000円カットハウスは消滅させられるかもしれない。


これ、どー思います?


「本当に不衛生だから、市民のために条例ができたのだ」と考える心の清らかな人もいるんでしょうけど、「客を取られた床屋が怒って、新規参入者を追い出しにかかっている」と思ってしまう、心の汚れたちきりんのような人もいる。

もしかすると「1000円カットがデフレの元であり、日本経済不振の元凶だ」みたいなファンタスティック!な意見もあるのかも?

1000円カットハウスを潰せば、既存の床屋は嬉しいでしょうが、この仕組みがあったからこそ店が持てた人、就職できた人、そしてなによりも、客として1000円カットハウスを選んでいた消費者には大きな不利益になる。


いやもちろん、そんな消費者だの、起業家だの、新規参入者だのの利益は、長年にわたりナンも考えずに頑張ってきた既得権益者の利益に比べれば、取るに足りないものなんだろうけどね。

なにしろ“既得権益者の保護”はこの国の基本ルールだから。たしか憲法にも書いてあった。1874条めくらいに。


ちきりんの読んだ新聞記事には、全国理容生活衛生同業組合連合会の広報部のコメントが載ってました。

いわく、「洗髪自体の義務化は現実的には難しく、最低限の措置として洗髪台設置の条例化を求めています。子供の毛ジラミなどの問題に対応する意味からも、洗髪台は必要です」と。


へっ? 求めているのは洗髪自体の義務化じゃないの?

そうか、洗髪を義務化したら、お父さんがひとりでやってる既存の床屋も手が回らなくて困るからね。

だから名前の長い団体の人が要求しているのは、洗髪義務化ではなく“洗髪台を置け”ということらしい。なるほど、これなら困るのは1000円カットハウスだけです。

・・・でも、読解力が弱いちきりんには、“洗髪と毛ジラミ”ならまだしも、“洗髪台の設置と毛ジラミの関係”が、一晩考えてもわからない。



とか、アホみたいなことばっかり書いてないで、そろそろ本題に入らねば。


今回ちきりんが不思議に思ったのは、「何を食べたら、こういう発想になるのか?」ということです。

もし、ちきりんの実家が昔ながらの床屋だったとする。実家の近くに1000円カットハウスができ、実家の売上が減っている。これじゃあ生活できなくなると、父や母が嘆いていたら?

ちきりんだって両親を助けたい。じゃあ何をするか? いきなり市会議員を菓子折持って訪ね、条例作ってくれって頼むなんて、私には全く思いつかない。


あたしが考えることは、せいぜい何か工夫をして、商売を盛り返せないか、ということくらいです。

すぐに考えつく浅はかなアイデアは、「何かいいサービスを始めて客をとりかえせないか?」とか「うちも1000円カットを始めたらいいんじゃないの?」とかでしょう。

安普請とはいえ、新規出店の1000円カットハウスは初期投資の減価償却費も家賃も必要。だけど、古くからの理容店である我が家は設備投資も家賃も不要。コストならこっちの方が有利なんだから、なんなら800円で営業して、あいつらを追い出すのはどうよ?とまで考えるかもしれない。

そのためには、何日か1000円カットの店の前を見張っていて、どんな客がどんな時間に入っていくのか“正の字”を書いて数えるくらいのことは、愛するおとーさんとおかーさんのためにやってあげる。

だって、特価の800円にするのは相手の店に客が多い時間帯だけでいいし、そこに入っていく客のタイプだけ(たとえば子供とか)だけでいい。


そうなんです。私が考えつくのは“市場でどう戦うか?”というくだらないアイデアばかり。

そうではなく、「洗面台の設置義務を条例で作って、市場から新規参入者を追い出そう!」という根本的な解決策を考え出せるようになるには、どんな勉強が必要なんだろう? 高い金でも払ってもう一度、MBAにでも行く必要があるの?


とはいえ、実際にこの対策を考えたのは個別の床屋さんではないでしょう。彼らがそんなことを思いつくわけがない。

このすばらしい案を提案したのは、床屋ではなく、やたらと名前の長い業界団体「全国理容生活衛生同業組合連合会」のメンバーに違いない。彼らが定期会合かなにかで話し合って出てきたんでしょう。


妄想再現テープによると・・

「1000円カットハウスが消費者に選ばれてるで。子供や金のない会社員がどんどん流れてる」「しかし頭ごなしに“アカン!出て行け!”とは言えへんやろ」「ほな、なんかええ言い訳が必要やな」

「おっ、ええこと思いついた!」「なんや?」「不衛生やとか言うたらどうや?そんで洗面台設置せなあかんてなことにすんねん、ほんならあいつらみんなアウトやで。」「おお、ええ案やなそれ」みたいな。


そう、ちきりんが言いたいことは、つまりこれ↓


「事件は現場で起ってるんじゃない。会議室で起きているんだ!」




とか、アホみたいなことばっかり書いてないで、そろそろ本題に入らねば。


名前の長い連合会から相談された市議の人も、そりゃーなんとかしてあげましょう、と思うはず。

なぜならここで尽力すれば、次の選挙の時に連合会組合員の組織票が期待できる。それだけじゃない。床屋さんがみんな「店の前にポスターを貼ってくれる」じゃん。

それも、連合会の事務局の人にポンと100枚渡せば、市内の床屋に自分達で届けてくれる。これだけでも市議にとってはどれだけ有利なことか。


1000円カットハウスで起業する人も、そこで働く(引き継ぐ親の店を持たない貧乏な)理容師も、そこを利用する客も、選挙なんか手伝わない。それどころか、国政ならともかく“市議選”なんて一生、投票にいかない人達だ。そんなやつらは絶対、条例に勝てない。


そうさ、これこそ民主主義!

選挙に行く人のために、市会議員は存在するのだ。選挙に行く人のために政治家は汗を流すのだ。社会は小沢先生のおっしゃるとおりに動いている!


ところで、そんなことして1000円カットハウスを追い出さないといけないほど、床屋が多くて余ってるのか?というと、実はそうでもないらしい。こちらの記事によると、

理容師国家試験の受験者が過去最低を記録した。美容室で髪を切る若者が増え、「床屋離れ」が影響した。また、理容室の9割が個人経営で、高齢化、後継者不足による閉店もあり、理容店の数は年々減っている。このため業界団体、専門学校、行政が一丸となり、担い手不足に歯止めをかけようと動き出した。


えー、ということは、
客:1000円カットハウスに取られて減っている
理容室:後継者不足で減っている
理容師:なりたい若者も減っている


あれっ?

供給側も減ってるのに、客を取り戻してどーすんだろ。これなら、ほっとけば全部なくなって、それでいーんじゃないのか?
という自然な疑問を、またしても名前の長い団体の担当者に聞いてみると

東京都理容生活衛生同業組合の担当者は、

「今後はフリーターの若者に理容室に就職してもらい、雑務をしながら収入を得て、資格学校に通うという仕組みを作っていきたいと考えています。理容室は地域密着を強化することが生き残る道。お年寄りの家庭に出向く出張理容も構想しており、まだまだビジネスチャンスは見つけられます」
http://news.biglobe.ne.jp/social/031/jc_091006_0314596605


ちょっとちょっとフリーターの皆さん、聞きました?

あなたたち、何でもやると思われてますよ。農業に介護に理容師まで とりあえず後継者のいない業界にはフリーターでもつっこんどけと。そういうのが大人の社会のトレンドみたいです。


しかも上の記事をもう一度読んでみると、「業界団体、専門学校、行政が一丸となり」と書いてある。

つまり、需要と供給が両方減って市場が消えたら困るのは、客ではなく「業界団体」「専門学校」「市議会と行政」の皆さんなんです。“一丸”の意味は“癒着”ってことだよね。


さらに「雑務をしながら収入を得て、資格学校に通うという仕組みを作っていきたい」との記述も。なるほど、フリーターを“雑務”で働かせて、その給料は専門学校様にお納めしろと。・・・世の中は深いね。実に深い。おちゃらけていては、とてもついて行けなくなる。


つまりは、
洗面台設置を義務づけて、1000円カットハウスを市場から退場させる
→そこで働いていた理容師が失業する
→その人はフリーターになる
→後継者不足に悩む理容室で採用する
→フリーターに雑務をやらせて給与を払う
→その給与を専門学校が巻き上げる
→巻き上げたお金の一部を次の条例を作る時の献金原資とする、
という壮大な作戦です。



とか、アホみたいなことばっかり書いてないで、そろそろ本題に入らねば。


と思ったけど、既にすごい長文になってるので、もうやめます。かわりに 20年前のベトナム、ハノイで撮った写真を載せておきましょう。

街角の壁を利用して開かれる“青空床屋さん”です。なんの規制もないから、手に職のある人がこうやって自分でビジネスを始められる。まさに“1ドンカットハウス”です。

彼らには理容店を開くようなお金はない。それでもはさみと鏡だけ手に入れれば、自分で事業が始められる。

人気がでて儲かるようになれば、店を構えることも可能になるでしょう。自由な競争の中で実力のある人がのぼっていき、自分の店や収入を手に入れる。これぞ資本主義!



と思ったけど、ベトナムは社会主義の国でした・・


そんじゃーね。


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