○○になる!  →  ◎◎をやる!

菅直人さんが余りにも存在感がなく大変そうなので、なんでかなーと考えてみたのだけど、やっぱり一番大きな理由は「総理大臣にはなりたかったけど、なった後にやりたいことは特に(考えて)なかった」という状態で、総理になっちゃったのが厳しかったんだろうなーと思います。

よく言われていることですが、野心に溢れた市民活動家にとって、「総理大臣になるぞ!」というのは、それほど大きなことだったのでしょう。


小泉元総理は、「総理大臣になって、郵政民営化をやりたい!」という気持ちに溢れていたし、
鳩山元総理も、「総理大臣になって、世界を友愛にしたい!」という理想をもっていました。
(話は逸れますが、鳩山兄弟はお金持ちすぎて、2人とも経済とかにはあまり興味がありません。一定レベルを超えたお金持ちって、環境とか、綺麗な心とか、みんな仲良くとか、そういうことにしか関心がもてないもんなのねー、とわかっておもしろかったです。)


「総理大臣になる!」とだけ叫んでいる人は、なってみると(自分のやりたいことが明確でないために)次々に起る外部事態の収拾だけに追われ、官僚のいうままに政策を語る政権になってしまいます。

市民活動家だった菅総理なのに、消費税増税や貿易協定、法人税減税など、元々の立場から考えてどうなの?と思えるようなことについてばかり積極姿勢を示している現状は、この人は市民活動家としてさえ、やりたいことが明確でなかったのだ、という哀しい事実を如実に表してしまっています。


★★★


これ、よく考えたら他も同じですよね。


「オレは将来、総理大臣になる!」  → 「総理大臣になって、◎◎をやる!」

「オレは将来、社長になる!」 → 「社長になって、◎◎をやる!」

「将来、起業する!」 → 「起業して、◎◎をやる!」


などなど。社長としてその会社を世界でトップ3の売上にするとか、○兆円企業にする、もしくは、日本のITインフラを世界一にする、とか、なんでもいいんですが、「社長になった後、何をしたいの?」というのがないと結局は社内の出世勝ち抜き競争だけに必死な人になってしまう。そして社長になったら、「社長の立場と権限」だけを存分に楽しもう、みたいな社長になるわけです。

起業したいと思っている人も同じで、起業して何をしたいのか。なにか実現したい価値があるとか、どんだけの雇用を生み出したいとか、どういう職場を実現したいとか、なにか「起業しないと実現できない目標」があってはじめて起業に意味があるのであって、たんに「起業したいから起業する」だけでは、「サラリーマンになりたくない」という話の裏返しにすぎません。


あと、「◎◎をやる!」の部分はある程度、具体的でないと意味がないです。
「総理大臣になって、日本をいい国にする」とか、「公務員になって、日本を改革する」、「社長になって、すごい会社にする」なんかだと、結局はやりたいことが明確になってないから、なった後「あれっ?」な状態に陥ると思う。


「いや、まずはなることが大事なんだ。ならないと話は始まらないのだから。何をやるかは、なってから考えればいい」と思う人もいるかもしれないけど、上にあげたような大きなポジションというのは、なってからそれを考えるのは無理です。忙しすぎるから。

だから、「○○になりたい!」という時に、同時に「◎◎をやる!」と明確にしておかないといけない。なるのが難しいことほど「なること」が目標になってしまいがちだけど、どんなに「なるのが難しいこと」であっても、“なる”が目標になったらだめなんです。目標は「何をしたいか」で考えないといけない。



ふむ。


というわけで、なりたい目標のある方は今後は、


「将来、総理大臣になる!」とか
「将来、社長になる!」とか
「起業をする!」ではなく、


「総理大臣になって◎◎をやる!」
「社長になって◎◎をやる!」
「起業をして◎◎をやる!」
と言うようにしてください。



そんじゃーねー