「輸出・輸入」→「市場の一体化」

最近よく感じるのが、「輸出・輸入」→「市場の一体化」の流れの加速です。これは今後、ほぼすべての地域、分野で顕在化し、定着することになるでしょう。

たとえば、エンターテイメント市場。今までは「ハリウッドが世界に映画を輸出する」、「日本が世界にアニメを輸出する」、「韓国が日本にドラマを輸出する」のように、「原産国」が世界にそれを売る、という感覚でした。

でも今起こっていることは、エンターテイメント市場自体の世界での一体化です。どの国にもハリウッド映画を観る人もいるし、嫌いな人もいる。どの国にもアニメが好きな人もいるし、全く興味をもたない人もいる。というように、「市場が一体化」しているのです。


ふたつの違いをみてみましょう。「輸出・輸入」においては、輸出する側と輸入する側に明確な境界線があり両者は分断されています。

たとえば原産国では1万円の汎用品が、輸出されると3万円のブランド品として売られる、というのは、典型的な「輸出・輸入」型の市場です。昔の洋酒や欧州のブランド品がそうでした。今やそんな価格差はほとんど存在しません。


発売タイミングに大きな差がでる、というのも市場の分断の証拠で、「輸出・輸入」型の特徴です。本国で公開されてから、他国で公開されるまでに年単位のタイムラグがある。もしくは、他国での公開予定は最初には決まっていない、といったスタイルです。

今は映画でも「世界同時公開」や「世界での公開スケジュールが最初から決定されている」ものが増え、プロダクトでも「世界同時発売」が増えて来ました。明らかに市場は一体化しつつあります。


さらに商品企画についても、「輸出・輸入」型では「原産国のニーズに基づいて商品企画が行われ、完成される」→「その後、海外仕様に少しだけ変更して輸出」というパターンでしたが、「市場一体化」モデルでは、最初から世界で売ることを前提として商品企画が行われます。

iPhoneやWindowsなどは言うまでもなく、既に韓国ドラマも「日本で受けるか?」ということを存分に意識して企画されるようになっているし、テレビゲームは巨大な北米市場で人気があるもの、というのが開発の最重要ポイントです。


さらに教育も同じです。今までは日本で教育を受けるのが当たり前で、海外の大学に進学するのは「境界線を越えていく、特殊な動き」でした。しかし次第に「どこの国で大学に行くか」をゼロから考える人達が増えています。研究者レベルでは事態はもっと進んでおり、「在外研究」などという「輸出・輸入」型のコンセプトは早晩消え去る運命にあるでしょう。

労働市場も急速に一体化が進むでしょう。「海外駐在」とか「本社採用・現地採用」という概念はまさに「輸出・輸入」型時代の制度です。

世界中の支社で同じ基準で人材を採用し、どこで採用されてもおなじように育成し、同じ基準で優れていると判定された人が、グループ全体の経営者に抜擢される。こういった「ビジネスパーソン市場の一体化」も欧米系企業ではごく普通になりつつあります。


日本は今まで「輸出国」というアイデンティティにこだわりすぎ、「市場の一体化」モデルへの対応が遅れていました。自国市場が十分に大きかったこと、日本で優れているものがそのままに世界で受け入れられてきたこと(日本ウェイで経済成長が達成できたこと)も、その背景にあったのでしょう。

テレビや自動車などの機械モノについても、日本の市場が成長頭打ちになってからは「最初から世界市場をみて考える」が常識になりつつありますし、これからは食料品や生活雑貨さえ、そうならざるをえないでしょう。人に関しても同じです。

コンセプトとしての「輸出・輸入」型思考から逃れられない人や企業は、「市場一体型」でキャリアを積み、ビジネスを展開する人や企業に太刀打ちできなくなるでしょう。


また、今までは世界の「貿易秩序」も「輸出・輸入」型の市場を前提として、いかにその上でモノやサービスの移動をスムーズにするか、公平にするか、という観点で作られてきました。関税交渉やFTA、為替レートの調整など、すべてそういった視点からでてきた「調整のための手段」であったと思います。これも今後は大きく変わっていくでしょう。

今、ヨーロッパの財政危機、ユーロの危機を見て、「市場の一体化、通貨の一体化の失敗例だ!」と思う人もいるのかもしれません。

でも、ちきりんは反対だと思います。市場は否応なく一体化します。ヨーロッパは一足先に、そのチャレンジを受けているに過ぎません。


一般的に自国と他国の境界線に一番こだわるのは、人、企業ではなく「国」です。国こそ、その境界線の存在に、自己の存在がかかっているからです。もちろん日本の役所もみーんな「輸出・輸入型マインド」です。未だに「輸入反対!」とか言っていて、論外すぎてコメントする気にもなれない役所もありますが、そうでなくてもせいぜい「日本のいい物をいかに世界に売るか」しか考えていません。

でもこれから大事なのは、「いかに自国のモノを世界に売るか」ではなく、「いかに一体化された世界市場で生き残っていくか」という感覚です。

そういう感覚がないどころか、このふたつの概念の違いさえ理解できない人が舵取りをしているような組織は、早晩“あっちゃっちゃー”な状態に追い込まれることでしょう。


そんじゃーね。


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