「100年安心年金」なんて超不要!

東日本大震災の復興資金をまかなうための財源は、向こう 25年の所得税増税等でまかなうってコトになりそうなんですが・・

25年間の増税を、“時限増税”って呼ぶのは無理でしょ。完全にふつーの恒久増税ですよね。

それと、ちきりんが一番、「政治家&官僚のアタマの古さがよく表れているよね」と思うのが、この「時間感覚」です。

年金についても「 100年安心年金」という言葉が使われ、それが実現できないことに批判が集まっていますが、そもそも「向こう 100年も安心」という目標設定をすること自体が時代に合わないのだ、ということにそろそろ気がつくべきでしょう。


「 100年安心」するためには、向こう 100年、何が起こるか想定し、その上で「大丈夫!」と言わなければならないのですが、この前提には「向こう 100年を想定できる」という、あまりに傲慢(もしくは無思考)な前提が含まれています。

今から 100年前の 1911年、日本は前年の日韓併合を経ていよいよ帝国主義国家への野望に一歩を踏み出し、中国では辛亥革命で皇帝の時代が終わりを告げようとしていました。

考えてみて下さい。その時代に、今日まで通用する年金制度を作る、というのが、「 100年安心年金」の意味するところです。

そんな目標をたてるのが、本当に妥当だと思いますか?


比較的 将来推計が容易い人口政策においてさえ、日本はこの 100年の間に、

 「人口が多すぎるからブラジルなど海外に移民を送り出す」
→「戦争のために人が足りないから、産めよ増やせよキャンペーン」
→「人口が多すぎるから一家に子供は2人まで!と、中絶を合法化、家族計画の意義を強調」
→「少子化が大問題なので、少子化担当大臣を置く」と、
全く真逆の方針に何度もコロコロ転換してきているのです。


人口政策についてさえこんな調子なのですから、ましてや技術や社会の動向、世界との関係について、向こう 100年も見通すなんて不可能です。

つまり、政治家や官僚が「 100年安心年金を目指します!」と言い出したら、国民である私たちは、「あほか。そんな先のこと考えてどーするよ。10年安心年金を目指せよ」というべきなのです。


最近、年金制度はモメにモメています。

大きな問題は、会社員の専業主婦だけの優遇問題、非正規雇用の労働者の年金加入問題、そして年金の受給年齢の再度引き上げの問題です。

私はこれらのうち最初の 2点について、「制度設計の年限を長く取りすぎるから生じた問題」だと思っています。

「会社員の夫に専業主婦の妻が一般的な家庭である」という時代が 100年続くと思っていたからこういう制度設計なのです。


この制度を作った頃の官僚も政治家も(もちろん国民も)、女性が子供を産んだ後も働くなんて想定もしていませんでした。

ひとりの男性が一生の間に、会社員→起業→また会社員→自営業、になるような時代がくるとも思って無かったのです。

パート、アルバイトの人の年金加入問題も同じです。

まさかこんなに非正規雇用の人が多い時代が来るとは思ってなかったのでしょう。


唯一想定できたはずなのは、寿命が伸びることです。

にも関わらずこれについても「将来もずうっと変わらない」という前提が置かれていました。

想定していれば、最初から「年金受給開始年齢は、平均寿命マイナス 15年とする」と決めておくという発想もでてきたはずなのにね。


★★★


私が問題だと思うのは、政治家も官僚も「制度設計をする際の、想定年限が長すぎる」ということです。

というか、「長ければ長いほどイイ」とでも思っているかのようです。

この国のエリートはやたらと長持ちする物が好きだし、一般の人も「長い期間、安定していて変わらない」ことを好みます。

そして「未来は今と変わらない」という前提のもとに、数十年もの期間を想定した制度を作ろうとします。


しかし、実際には時代は大きく変わります。

そんな先のことは誰にもわかりません。

今後は「制度設計は向こう 10年のことを考えて行う」という方針を閣議決定してほしいくらいです。


私たちが、いま学びつつあることは、「変わらないという前提を持つことの愚かさ」です。

多くの人が、10年もつ制度より 30年もつ制度の方がよい制度だと思い、できるだけ長くもつ制度を作ろうとします。

しかし、それは本当に正しいアプローチでしょうか?


時代は変わるんです。

人の考えも、世界の状況も、技術も、変わります。予想を超えて大きく変わるのです。

であれば、「変化を前提とした社会を作ること。変化を前提とした制度を作ろうとすること」が重要とはいえないでしょうか。

100年先の年金について、今、安心する必要なんてありません。

常に「向こう 10年」が安心であれば、それでいいのです。


もう一度、言いましょう。

100年安心年金を求めるというのは、1911年の段階で今日まで安心の年金制度を作ろうという話です。

日露戦争が終わって 5年後、韓国併合の翌年、太平洋戦争勃発の30年前(!)の時点で、今日までもつ年金制度を作ろうというのが「 100年安心年金」制度です。


そんなもんいりません!



そんじゃーね。