原発について考えるにあたって

原子力発電については、福島の事故以来、推進派、反対派入り乱れて、様々な議論が起こっていますが、ちきりんとしては、賛成・反対の前に、いろいろ知りたいこと、検討して欲しいことも多いので、それらについてまとめておきます。


1.個別の原発のリスク洗い出しと対策検討

いったん原子力発電所に問題が起こると、広範囲に影響が及ぶことを福島の事故は教えてくれました。そしてそれらの問題の大きさと種類は、個別の原発立地によって大きく異なります。

今、存在している原発を(稼働するしないに関わらず)そのままの立地に残すのか、廃炉にして放射性物質自体を移動させてしまう(その地に置かないようにする)のか、ということを決めるには、「万が一の時、何が起こりえるのか?」について理解しておく必要があります。

原発のリスクというと、その原発ができてからの年数(老朽化度合い)や、地震の発生確率(活断層の存在云々)ばかりが取りざたされますが、ちきりんとしては、下記のようなことも知らなければ、「万が一の時のリスクの大きさ」は判断できないと思えます。


たとえば、
(1) それぞれの原発立地の周りの人口・・・5キロ圏内に何万人、10キロ圏内に何万人と、距離別にせめて30キロ圏内までの人口は、まとめてリストにしておくべきでしょう。避難命令を出した場合の影響度合いは、この数字に大きく左右されるはずです。


(2)影響を受ける社会インフラも洗い出しておくべきですよね。よく言われるように、琵琶湖は関西の水源となっており、琵琶湖の水が汚染されると関西全域で飲み水に困る状況にも陥りかねません。また浜岡原発の近くには東名高速道路や東海道新幹線が走っており、これらが使用できなくなると、原発事故そのもの以上の経済的問題が発生します。

それ以外でも、原発の周辺地域に特定の産業が集中しており、「この地域に避難命令がでれば、この産業は麻痺する」というケースもあるはずです。

それぞれの原発に万が一のことが合った場合、どのような影響がでるのか、それらのリスクにたいして、どういう対応策がありえるのか、といった一覧表を作って対策を検討しておくことが必要でしょう。



2.廃炉技術と廃炉コストをどう捻出するのか

脱原発、反原発を実現するには、ふたつの問題があります。ひとつは「いかに電力を確保するか」であり、もうひとつが「いかに廃炉を実現するか」です。

「いかに電力を確保するか」は方法論が見えています。こちらをご覧ください→「自然エネルギーか原発かという議論の不毛


問題は、「いかに廃炉を実現するか?」という方法論がなんら話し合われていないことです。廃炉には、新設の原発を作るのと同等以上の時間がかかります。(もっと長いのかもしれません。)しかも技術は確立しておらず、これから多大な「研究」、「開発」が必要になります。

その間、必要な「資金」と「技術」をどう確保するのか、という計画や戦略が、廃炉には不可欠です。福島原発の廃炉に関してであれば、「当然、東電が払うべきだ」という人もいるのでしょうが、それはつまり「電力使用者が払う電気代、および、税金」で払うべきという意見です。

では、今はまだ事故を起していない原発の地下に活断層が見つかり、その原発を廃炉にすると決まれば、その費用は誰が払うのでしょう? その地域の電気代に上乗せするのでしょうか? それとも、その地域の電力会社に、税金を投入しますか? 

今、北陸電力管内の志賀原発の地下に活断層があるのではないかということで調査が始まっていますが、もしその結果、廃炉が決まれば、必要な経費は北陸電力の電気代に上乗せして払うのでしょうか?


福島の事故前、日本は原発輸出国になろうとしていました。原発建設に関して高度な技術を持っている国は世界にいくつかしかありません。一方で、経済発展のために原発が不可欠な国は世界にたくさんあります。日本が原発を使い続けるか否かは別としても、「国際原発ビジネスで稼いで、そのお金で廃炉プロセスを進める」という考え方は、ひとつの選択肢です。

「技術」確保問題はさらに深刻です。これから優秀な技術者の卵達は、原子力発電に関わる技術を専攻し、学ぼうとするでしょうか? 廃炉には数十年が必要と言われています。それらを支える技術者を、日本はどう確保していくのでしょう?

これについても、「廃炉ビジネス」を国策産業として育成していく、もちろん海外輸出もできるビジネスとして育てる、といった考え方もありえるはずです。



3.立地都市の生活をどう支えるのか
国全体としては脱原発の意識が高まっても、原発立地の地方選挙では、「原発維持」を掲げる候補者が選ばれることはよくあります。

周辺自治体や都市部でも、自家発電体制が未整備であるために、原発稼働に賛成せざるを得ないケースは今後もでてくるでしょう。

原発によって支えられきた生活を、(もしも廃炉にするのなら)何によってどう支えていくのか、という点について現実的な議論が必要です。


前者(原発立地の自治体)に関して言えば、「廃炉ビジネスで食べていけるようにする」か、「近隣市町村との合併(=単独の自治体として存続し続けることを諦めること)」も含め、大胆な発想が必要になります。

もともと原発立地に選ばれているところは、それ以外に産業がないからこそ、原発を受け入れてきたところも多いのです。そういった地域の首長候補者が「我が自治体の解散」につながりかねない廃炉を公約に掲げ、選挙に勝つのは、並大抵のことではありません。なんらかの代替案が示せなければ、今後も地元では「原発維持」の首長が選ばれ続けることでしょう。

周辺の都市部に関しても、病院や警察・消防など、クリティカルな都市インフラのすべてに自家発電設備を配置したり、都市全体での本格的なコ・ジェネレーションシステムの確立に向けたロードマップの作成が、まずは必要になるはずです。



他にもいろいろと考える点はあると思いますが、まずは上記のような議論が始まらないと、脱原発も廃炉も絵に描いた餅です。

人間には、それぞれに果たすべき役割があります。自然エネルギーの開発に注力する人、暑い中プラカードをもって練り歩く人など、いろんな役割の人がいていいと思いますが、それに加え、上記のようなことを考える人も必要なんじゃないでしょうか。


そんじゃーね。



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