行動提起としてのノーベル平和賞&文学賞

ノーベル平和賞がEUに与えられたと聞いて、アタマが“???”になった人も多いでしょう。

受賞理由では、「昔は戦争ばっかりやってたのに、今はみんな仲良くやっててエライ!」ということらしいけど、昨今のユーロ危機が世界から奪った富の総額を考えると、「まじですか?」と言いたくなります。


でも、これで明確になりました。それは、ノーベル平和賞はもはや「過去の優れた功績への報償」ではなく、「お前、これから問題を解決しろよ!」という将来の行動提起のための賞である、ということです。

今回のケースで言えば、EUにノーベル平和賞を与えておけば、「こんな賞を貰っておいて、“ヨーロッパは破綻します。世界にどんな影響が出ても僕らは知りません!” とは言えなくなるだろう」的な効果を狙ったのでしょう。

平たく言えば、「ドイツは全資産をなげうってでもヨーロッパを救え。平和賞やるから世界の平和を全力で守れ、ばーろー」ということです。


この流れは、就任直後のオバマ大統領がノーベル平和賞をもらった時に明白になっていました。当時、ちきりんは下記のエントリの中で、「賞を与えることによって、受賞後のアメリカ大統領が戦争を起こせなくなる効果を期待したのだろう」と書いています。
 → オバマ氏 ノーベル平和賞の裏側

中国の劉暁波氏のような反体制活動家に賞を与えるのも、「これで中国は彼を殺せなくなる」という、“未来への抑止力”が期待されていると推定できます。



そして実はちきりん、今年は平和賞だけではなく、ノーベル文学賞にも同じ意図を感じました。

文学賞の方も、過去には政治性の高い作家が多々選ばれています。ソビエト連邦(当時)や中国の体制に反対する作家、中東に爆弾を落としまくるブッシュ元大統領や、トルコのクルド人弾圧を糾弾する作家たちが、その栄誉を与えられています。

それらを見ていると、あたかも「ノーベル文学賞を取るには、卓越したレベルの文学作品を書くと同時に、極めて“政治的な存在”であることが強く求められる」、かのように見えていました。


日本で、「今年こそは!」と期待されていた村上春樹氏も、これまで政治的な発言を繰り返してきました。イスラエルにおけるパレスチナ人擁護のスピーチは、その代表的なものでしょう。

しかし今回の文学賞は、中国の作家、莫言氏が受賞しました。(受賞前の)発言の政治性という意味では、莫言氏の方が(村上氏より)穏やかでした。中には彼のことを、体制派だと非難する人もいたくらいです。それなのに、彼らは村上春樹氏ではなく、莫言氏を選んだのです。


この「莫言氏が“あからさまな反体制派”ではない」ことに、ちきりんは興味を覚えました。平和賞と同じような“先物買い”が、文学賞でも行われたように思えたからです。

ここ何年か中国は、ノーベル賞平和賞、文学賞に強く反発をしています。こんな中で、あからさまに反体制派である作家に賞を与えても、中国はさらに反発するし、本人は授賞式にも出られず、亡命しないかぎり、海外渡航さえ禁じられてしまいます。

それよりは寧ろ“その芽がある人”に賞を与えておき、中国政府にもさんざん(受賞を)喜ばせておいて、後々その人が“言論の自由や人権擁護、民主主義を求める運動の精神的支柱になることを期待する”方が、よほど実が得やすい、とは考えられないでしょうか。


莫言氏の発言や作品は、あからさまに反体制的ではないけれど、その根本には、中国共産党が推進する一人っ子政策、急速な都市化、中国オリジナル文化を駆逐した共産主義への複雑な思い、も透けて見えます。そしてなにより彼自身、文化大革命により、人生に影響を受けています。

そう考えれば、彼が受賞後に、そして将来において、人権や民主主義、言論や芸術の自由に向けて、なんらかの発言をしてくれることは、十分に期待できるでしょう。


今日のエントリの最初に「過去の功績より、未来の行動への提起としてノーベル平和賞が贈られ始めている」と書きました。文学賞にも同じ流れがあるとすれば、村上氏と莫言氏の“ノーベル財団にとっての価値”は決定的に異なっています。

村上氏に賞を与えるとすれば、それは彼の過去の功績に対してです。優れた作品と、イスラエルでのスピーチなど「これまでの勇気ある発言」にたいして贈られることになります。

しかし、ノーベル財団側として「村上氏には将来、こういうことを期待したい。そうすれば世界がより平和になる!」と強く思えるような、「提起したい未来の行動」がどれほど見つけられたでしょう?


翻って、莫言氏について考えてみてください。彼が今回、中国人初のノーベル文学賞受賞者として「国民的栄誉」と共産党政府から認められ、しかるべき後に、反体制的な発言をする人になってくれたら?

ノーベル財団としては、それこそ「してやったり!」の結果になるはずです。そのインパクトの大きさたるや、中国政府としては地団駄を踏みたいくらいアタマにくることでしょう。

結局のところノーベル平和賞、文学賞の選考委員達はもはや、「いいことした人を表彰する」という地味な役回りには満足できなくなっているのです。そうではなく、「世界平和により強力に貢献するため、期待できる人に賞を与え、選考委員等からのメッセージを伝える」という、一歩踏み込んだ、よりアクティブな役割を担いたいと考えているように見えます。



中国は劉暁波氏に平和賞を与えたノルウェーに対して、渡航ビザを出さないとか、サーモンの通関を遅らせるとか、未だにネチネチと嫌がらせを続けています。北欧としては「どうすんねん、あの国」的な頭痛の種なのです。

ところが今回、莫言氏がノーベル賞をとったことは中国もすごく喜んでいます。ノーベル賞を与える側としては、とりあえずそれだけでも
「よっしゃ!」
的に嬉しいことなんじゃ、ないでしょうか。


「西欧かぶれしていないユニークな作家。アジアの重要性が高まっていることの表れともいえる」という受賞理由も、「我々といたしましても、西欧と異なる文化や価値観も大事だと思っているんすよ」的な“擦り寄り”にも聞こえます。

そしてその裏で、彼らが本当に期待しているものとは?



これからの莫言氏の言動に注目です。莫言氏の作品は日本語訳もいくつかでています。この機にぜひ、ひとつでもそれを読み、「ノーベル文学賞の選考委員達が、彼に何を期待したのか」考えてみてはいかがでしょう。どの本も当然に在庫切れですけど。


赤い高粱 (岩波現代文庫)

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白檀の刑〈上〉 (中公文庫)

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牛 築路 (岩波現代文庫)

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そんじゃーね