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私は、最初の仕事(金融業界)で「マーケット」の洗礼を受け、次の仕事(外資系企業)で、ひたすらに「ロジック」を鍛えられました
「マーケットで勝負する世界」と、「情報を分析し、論理で考える世界」の二つを学んだことが、私のバックボーンとなっています。
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右脳と左脳が両方尖がってる、とあるクリエイターの方と話したとき、「ごくごく普通の日常の所作を、いかにアートにできるかが大事」と言われててナルホドと思った。
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『 企業が「帝国化」する 』を読んだら、「グローバルビジネスパーソンとして生き残るために必要なのは、創造性です。アートと言ってもいい」と書いてあった。
「グローバルビジネスの成功に必要なのが、英語でもリーダーシップでもなく、アートなの?」って思った。
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で、あたしは「ロジック」と「マーケット」だけで生きてきたけど、もしかしたら「アート」が抜けてたのかもしれないと考えはじめ、こんなエントリを書きました。 → 「Logic, Market and ART」
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上記のエントリを読んだプロ棋士の方が、「研究者・勝負師・芸術家」とツイートされているのを見ました。
ロジック=研究者
マーケット=勝負師
アート=芸術家
もしかして、将棋界にはそういう言葉があるの?
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と思って調べたら、谷川浩司九段(十七世名人)が、2004年に臨床心理学者の河合隼雄氏との対談で話された言葉だとわかりました。
以下この本から引用
(文庫なのに絶版? みんなで「この本のキンドル化を希望します」ボタンを押しましょう)棋士にはどういう素質が必要かということで、少し考えたことがあります。
そこで思ったのですが、将棋の棋士には「勝負師」の部分と、「芸術家」の部分と「研究者」の部分がある。
あまりにも芸術家の部分が強すぎると、ちょっと自分が悪い手を指した時には嫌気がさしてしまって、勝負に対して淡泊になってしまうことがあります。
逆に勝負師の部分があまりに強すぎると、その一局だけ勝てばいいということで、見ていて面白い、価値のある将棋が指せないということになってしまう。それはまたそれで、プロ棋士としてはどうかと思います。
今は本当に情報化社会で、お互いの対局の棋譜がすべてパソコンで検索できるような時代です。ですから、事前に情報を調べておいて研究をするということの比率が非常に高い。
(中略)
ですから、今の棋士には研究者としての資質が欠かせなくなっているのですが、ただ、それだけに偏ってしまうと将棋に面白味がなくなってしまいますね。
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対談の前に、梅原さんの本を読み直していたら、こんな言葉に出会いました。以下この本から引用
- 作者:梅原 大吾
- 発売日: 2012/04/02
- メディア: 新書
10の強さを手に入れるのは、さほど難しいことではない。
それは誰かが歩いた道を辿りなおすような作業で、道は当然、明るく照らされている。
一方で、10を超える強さを手に入れるための道は暗闇に包まれている。
10の強さをもった人は、素人が見てもその強さがわかる。
この必殺技を使っているから強い。このコンビネーションを繰り出しているから強い。
この守り方ができるから強い・・・。すべて言葉で分析できる強さだ。
しかし、よくわからないけど強いというのは、おそらく究極だろう。
言葉で言い表せない以上、だれもその強さを分析することはできない。
強さの秘密を知っているのは、強さを手に入れたものだけ。
だから、そういうプレイにのみ「神」が宿り、だれもが興奮して、心を動かされる。
・・・もしかして、みんな同じこと言ってない??
どんな世界でもトッププレーヤーになるには、
・研究者 = 過去のすべての打ち手・指し手を知識として学び、研究し尽くす
・勝負師 = そのうえで勝つための大胆な決断が必要
・芸術家 = さらに「説明できないけど、すげえ。感動する!」ってものがないとダメ
過去の情報を徹底的に調べて分析し、数多くのセオリーを勉強すれば、
理屈的には最高の商品ができるけど、
勝てないし、売れない。
・・・うん。あるよね、そういう商品。「いいのに売れない」
それらを極めたうえで、勝ちにこだわり、ここぞというタイミングで独自の判断に踏み切れば?
勝てるし、売れる!
けど、それらは“ベスト・コモディティ”にしかなれない。
ベスト・コモディティってなんだって?
韓国製のテレビとか、ハイアールの洗濯機とかですね。
コモディティの中でベストなもの
そこに「アート」が入ると、どういう商品、どういうサービスになるか。
書かなくてもわかるでしょ?
★★★
梅原さんは言っていた。
「勝ちにこだわると、アートの部分が犠牲になる」
だから勝ちにこだわらないの?
まあたしかに「コモディティの中でトップになったってしゃーないでしょ」とか考えてそう。
でも、だとしたら「トッププレーヤー」と「それ以外の人」って、最初から優先順位(目指すもの)が違う世界に生きてるってことだよね。
ふーん
ところであたしの本は?
こういう本読むと、「ベスト・コモディティ」にはちょっとだけ近づけますよ(超自虐的)とか言ってみる。