「人生の時間配分」 = 「どう生きるか」

先日“「ゲームは一日15分」の時代背景”というエントリを書いたら、「我が家はこんなルールでした」というツイートをたくさんいただきました。(Thanks!)


子どもの教育や育て方に関しては各家庭に様々なルールがあり、どれかのみが正しいということはありえません。

ゲーム機も買い与えず、一切ゲームをさせないという方針で育てたら、子どもが勉強にも運動にも積極的に取り組み、期待通り文武両道の優等生になることもあるだろうし、

そういうものに一切触れずに育ったがために、将来、巨大な成長産業となるゲーム関連分野に興味もセンスも持てない、みたいなことも起こりえるでしょう。

何が良くて何が悪いかなど結果論に過ぎず、親は子供のために良かれと思ってそうしているのだから、

子どもから見て(それがたとえ結果的に、イマイチな教育方針だったとしても)、それで親を怨むようなことはありません。

子どもに必要なのは正しい教育方針ではなく、親の愛情だからです。


ただ学校に関して言えば、できる限り「思考停止にならないよう」教育したほうがいいかなとは思います。

たとえば、「なぜ本は学校に持ってきてもいいのに、マンガを持ってきてはいけないの?」とか、
「なぜ読書は一日 3時間でもよくて、ゲームは 1時間しかだめなの?」という問いは、
論理的に物事を考える訓練をするための非常に良いトピックです。

なのに、「それは我が校のルールなのだ」(から、そんなことを説明する必要も、議論する必要もない!)と、思考停止するよう求めたり、

「ゲームのやりすぎはよくないからだ」などという、なんのデータも理屈もない結論を押し付けるのは、

教育機関が子供たちに対して「組織や年上の人の言う事には、何も考えずに思考を止めて従え」と教えてるようなもので、それってさすがにマズイでしょ。


★★★


前回のエントリで、ゲームは一日 15分というルールだと、ドラクエが一生クリアできないと書きました。

「じゃあ、一回セーブしたら終わりというルールにしたらどう?」と聞いたら、「雑魚敵相手に延々とレベル上げするだけならまず死なない。

宿屋と往復してたら、一度もセーブしなくても何時間でもプレイできるから、それじゃあ子供は何時間でもやってる」と言われ、

「じゃあ、一日 1時間というルールならいいの?」と聞けば、「ラストダンジョンは 1時間じゃ終わらない」と言われる。


ではどういうルールが適切なの?

ってことを、親子なり先生と生徒なりで話し合って考えればいーじゃん。


そんな中から、一日 30分ルールなんだけど持越可能で、3日我慢すれば1時間半やってもいいとか、(外で遊べない)雨の日はちょっと長くやってもいいというルールはどうだとか、いろんな案が出てくるし、そもそも何がよくないんだっけ? という議論だってできるはず。

こういうルールを、子どもに自分で考えさせることの方が、「一日一時間」とかのルールを上から決めるより、よっぽどいい教育になるのでは?

社会は「組織や上司が決めたことに素直に従う人」ではなく、「自分で判断できる人」を求めてるのに、なんでそういうふうに教育しないのかなという話。


★★★


ちょっと長くなるけど、先日の呟き



ちょっとあちこち行っちゃってるツイートですが、言いたいことは、「自分の時間をどう使うか、それについて自分の基準をしっかり持つって大事だよね」という話。

人生の時間を「成長につながること」、「社会に価値の出せること」、「人に評価されること」に使わないといけない、みたいな強迫観念は、ちきりんにはありません。

ひたすら自分が好きで、楽しいことをやっていたい。


人間にとって最も限られてるリソースは「人生の時間」なんです。

「お金がないと何もできない」的なことをいう人も多いけど、実際には何より限られているのは時間であってお金じゃない。

お金は工夫で増やせるけど、時間は無理。お金は貯めておいて一気に使うこともできるし、貸し借りも可能。

でも時間だけは刻々とリアルタイムで消費されていく。20代は 10年しかないし、30代も 10年しかない。

どう生きるかを決めるというのは、「自分の人生の時間を、何にどれだけ配分するか決める」ということなんです。

なのにそれをいつまでも他者(親や所属組織)に決めてもらってるようじゃ、どーしようもない。


小学校から高校までは決められた一定の時間、学校の教室に座ってないといけない。でも大学に入れば、時間の使い方はほぼ自由になる。

だから初めて「人生の時間配分の全権を持った」大半の人が、自分の時間を何に使うべきか、わからなくなってしまう。(私も最初の半年くらい、生活がめちゃくちゃになってました)

でも、それを通して「あたしは自分の人生の時間を、どう使いたい?」ってのが理解できる。

シムシティや韓国ドラマにはまるのも同じ。なにかに時間を取られると「私は自分の人生の時間を、何にどう使いたいんだっけ?」って自問することになる。

それを通して、自分なりの「人生の時間配分の方針」が決まってくる。


多くの人は、就職して会社に入ると再び「人生の時間配分権」を自ら組織に献上し、手放してしまう。

そして 20年。40代半ばになって、ふと気が付く。「これってホントにオレの人生?」、「あたしってこういうふうに生きたかったんだっけ?」


子供たちは大人から「○○は一日○時間」と言われる生活から、どこかで「俺は人生の時間のこれだけを○○に使う」と、自分で決める人にならなくちゃいけない。

もちろん中には「自分の人生の時間を何にどれだけ使うのか、自由度が少ないほど気楽だ」みたいな人もいるんだけど。



そんじゃーね

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タンザニア サファリの写真集
とても素敵な写真です。ぜひお楽しみください。


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