ゲームと教育と研究とイノベーション

まずはこれ → EVOとニューヨーク大学が格闘ゲーム奨学金制度を創設


EVO は Evolution Championship Series っていうファイティングゲームの大会で、もとは1996年から、正式には2002年からラスベガスで行われてて、よくわかんないけど、すごい大会です。→ 英語のwikipedia about EVO

梅原さんも何回か優勝してますが、wikipediaにある入賞者リストを見ると、アメリカ人と日本人が大半。そこにちょこちょこ韓国人がいて、一昔前の全米自動車・車種別売上ランキングみたいな表になってます。 (意味不明な説明ですみません・・)

一言でいえばEVOは「格闘ゲームの世界で最もメジャーな大会」で、参加者も千人単位、集めてるお金の額も半端ないです。

で、その大会(主催者)が、格ゲーコミュニティーに属する人向けに、NYUのゲーム大学院で学ぶための奨学金制度を創設するとのこと。


以下、記事から抜粋すると・・

現代ゲームデザイン文化において最も画期的で革新的な側面の1つは、ハイレベルな競技的ゲームの存在感です。

このセンスは素晴らしいよね。

ゲーム産業を盛り立てたければ、超ハイレベルな競技が行われ、ファンを魅了し続ける必要がある。最先端が超クールじゃなくちゃ、人もお金も集まらない。

スポーツ興行含め、エンタメ産業はみな同じ。感動できないエンタメが産業として盛り上がるわけがない。だからEVOのような大会の存在意義はめちゃめちゃ大きい。

こう書くと当たり前にも思えますが、日本だとすぐ「ゲーム産業の振興? じゃあ、ゲーム資料館を建てましょう」みたいな話になるんだよ・・


別の記述

格闘ゲームはチェスにおける戦略性の深さと物理的なスポーツの技術習熟が組み合わさっています。

私は今まで、こんなふうに考えたことがありませんでした。チェスや将棋なら戦略性が大事とわかるけど、格闘ゲームに深い戦略性が必要だと思ってる人はまだ少数なのでは?

後段に関しては、先日 NYUの対談で梅原さんが「格闘ゲームは、距離が関係するのがおもしろい」って言ってました。シューティングゲームだと弾はどこまでも飛んでいくけど、格闘ゲームは距離を間違うと技が届かない。距離の概念があるのがおもしろいって。確かにそういうところ、スポーツ技術的なのかもしれません。

そして、格闘ゲームコミュニティの民族的・経済的多様性を考慮すると、EVO Scholarship制度は、ゲームデザインの世界に求められる新たな視座をもたらしうる、今のところ過小評価された意見をゲーム産業に組み上げる道程を提供する機会となるでしょう。

これはどういうこと?
NYUになんてまず留学できないような国や経済層の中の人から、次世代の格闘ゲームのイノベーションを起こす人がでてくるかもしれない。だから、その可能性のある人に奨学金を出してNYUで学んでもらおう、ってことかな?

金を出してでも、世界から才能を集めよう! というのが、いかにもアメリカ的よね。


さらに、

「ゲームは子供の遊び」なる意見はいずれ世界的に少数派になる、いやもうすでになっているのかもしれません。とくに格ゲーはやりこめば一種の学問になることはゲーマーなら誰でも知るところ。

後半の一文びっくり。「格ゲーはやりこめば一種の学問になることは、ゲーマーの常識」だったの??

そうだったのか。

マジで驚いた。

とりあえず私は、格ゲーについて全く理解できてないんだなってことだけはわかった・・


★★★


もうひとつ。先日、(以前、ちきりんも講演したことのある) NPO法人企業教育研究会の勉強会がゲーミフィケーションを取り上げてました。

講演されたのは、藤本徹 特任助教(東京大学大学院情報学環)で、下記のつぶやきは主催者側の藤川大祐教授(千葉大学教育学部)のものです。(開催要項 



だよね。車の免許を取る時に教習所で使ったマシンなんて、そのままドライビングゲームだったし、うちの母は50歳を超えてから、シューティングゲーム諷タイピング練習ソフトでタッチタイピングをマスターした。

ちきりんが前に勤めてた会社のマネージャー研修でもロールプレイングゲームが使われてました。徹夜して働くと病気になったり、家庭より仕事を優先すると配偶者が怒りはじめるとか、よくできてるゲームだった。


まじなの? 変わり身早いなー。まさか著者まで同一人物だったりはしないでしょうね?


特に教育、高齢社会、メンタルヘルス分野の3つで大きな効果が期待できると思う。どれも、これからの日本では本格的な問題解決が求められる分野なので期待大。


ゲームがあれだけ人を引き付けるのは、動機付けシステムとして超よくできてるからなんです。そういう仕組みって研究こそすべきであって、忌避してどうするよと思う。

人をどう動機づけ、いかにミッション達成に夢中にさせるかは組織運営論の中心的な課題なんだから、そのヒントをゲームに求めればいい。アイスブレーキングゲームなんて、実際すごい有効じゃん。


またしても海外先行。これだけゲーム大国の日本なのに本格的にゲームを研究する人が少ないのね。研究予算が付かないってこと? それとも興味をもつ学者の卵が少ないの?


そうそう、めちゃ向いてる。てか、学校にしろ社会制度にしろ、もう大半のことはマンガとゲームで教えたほうがいいと、ちきりんは思ってる。そのほうが圧倒的に伝わりやすい。


ゲームの短所が、「勝つことが学習より優先されること」ですって? 
だったら、この本を副読本にすればいいですよー。勝つことだけを優先してたら勝てなくなる、って、骨身に沁みて理解できます。
勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)


成績評価に経験値とレベル評価使うの、おもしろそう!

これなら親も「あんたまだレベル12なの? 隣の太郎君はもうレベル25だって言ってたわよ! 困ったわねえ。。。ちょっとママに貸しなさい。あなたがお風呂入ってる間に、ママがレベル上げしといてあげる!」みたいな感じに・・


いいなあ。ボスを倒して学期末試験終了!


日本の大学でもやってるのね。期待したい。


そういえば最近は音声認識も可能だから、アイテム名が英単語になってて、エル(L)とアール(R)なんかも含め、アイテム名を正確に発音しないと、そのアイテムがゲットできない仕組みにしたらどう? 発音の攻略本が出て、日本の子どもの英語発音がいきなり向上しそう。


★★★


これらの話を聞いて思ったのは、やっぱりイノベーションを興すためには研究活動とそれへの投資が必須なんだなってことです。

日本はクールジャパンにしても、「今あるものを売って外貨を稼ごう」みたいな発想だけど、そうじゃなくて「ゲームに関する次のイノベーションがどこで、どのようにして起こるのか」が、実は一番キモなんだよね。

だからEVOは「格闘ゲームにおいて、次世代のイノベーションを興せる人が研究に参加できるよう奨学金を出す」わけ。海外でのゲーミフィケーションに関する査読付き論文の急増も、次のイノベーションを目指して多くの研究が進行してることを示してる。


研究開発や投資が重要であることは、日本でも「技術」についてはみんな理解してる。でも、「文化」や「人間」や「社会」に関しても、それがクリティカルに重要なのだってことは、一般にはそこまで理解されてない。

ましてや「ゲーム」や「アニメ・漫画」や、「お笑い」に関しても、さらなるイノベーションが必要で、そのためには研究と投資が要るんだとは、ほとんど意識されてない気がします。


クールジャパンを支援する方法として、政府がリュックに商品詰めて売りに行くというのは、まさに発展途上国方式でしょ。中国の政治家がアフリカでやってることと全く同じ。

韓国も政府広報やマーケティング支援でドラマや音楽を世界に売りまくった。日本だって、一昔前はジェトロがそれを担当し、首相はトランジスタ商人と笑われてた。

そういうのが国による産業支援の一つの在り方だということは否定しないけど、少なくとも先進国にとっては、それが唯一の方法でもないし、ベストな方法でもありません。

高度成長期に成功したことを、いつまでもいつまでもやり続けたい人がホントに多い。



アニメやゲームやお笑いの産業規模を今の何倍も大きくし(=今の何倍もの人が、それらの産業の中で食べられるようになり)、

東京や大阪に世界からその分野の一流の人材と才能が集まり(=必要なら奨学金を出してでも世界から集め、)世界最高の大会やフェアがトーキョーやカンサイで開催され、

大学と教育界、自治体や産業界の連携の中で、ゲームやアニメやお笑いに関する最先端の研究と、それらを社会問題解決ツールとして活用するための実証実験が行われてる。

その結果、それらの分野における次のイノベーションが日本で起こり、世界の人を興奮させる!


そういう世界はありえないのかな?


技術分野にイノベーションが大事であるように、
ゲームにもアニメにもお笑いにもイノベーションが重要だし、
そのためには一定の質と量の研究活動と、それを可能にする投資が必要ですよと。


そんな難しい話じゃないと思うけど?


そんじゃーね。