お互いがお手本? 人間とコンピュータの思考について

第二回の将棋電王戦、全局終了後の記者会見で、谷川浩司(日本将棋連盟)会長が、「形勢が悪くなっても最善手を指し続けていくコンピュータに、精神力の重要性を教えられました」と話されました。

将棋連盟のトップが、「人間が、コンピュータに、精神力の重要性を教えられた」と言われるなんて、

学校の先生が、「コンピュータに、誠意を尽くして謝ることの重要性を教えられた」と言ったり、
演劇の監督が、「コンピュータに、豊かな感情表現の重要性を教えられた」と言ったりするようなものに思えます。


人間でも感情表現の巧い人と下手な人がいます。ものすごく感情表現が上手い人がコンピュータに抜かれるまでには、まだ時間がかかるかもしれません。

でも、「自分は感情表現があまり得意じゃない」という人にたいしてコンピュータが、「謝りたいなら、こんな声のトーンで話すといいですよ。語彙はこういう言葉を選んでください」と教えてくれる未来は、そんなに遠くないのかも。


★★★


谷川会長は「精神力の重要性」と言われましたが、より具体的に、将棋ソフトと対局した棋士が「コンピュータはココがすごい」とコメントしている点をまとめると、

・最後まであきらめない
・有利でも油断しない
・心理戦に影響されない
・先入観をもたずに、あらゆる可能性を考える
・ゼロベースで考える(常にその局面での最善手を探す)

とかなんです。


たしかにこれらはコンピュータの長所ですよね。

でもよく考えたら、これらはすべて、人間が思考訓練をする際に、「こういうふうに考えるべし」と教えられている方法論ばかりでは?

「最後まであきらめるな」なんて誰でも言われたことがある言葉でしょ。「ちょっとくらい有利に思えても決して手を抜くな」も同じです。

ビジネスの交渉ごとにおいても、「心理戦に影響されない」ことが大事だと教えられるし、「先入観を持たずにあらゆる選択肢を検討してみる」なんて、「MECE = 漏れなく重なりなく、論理的に考える」手法、そのまんまです。


「ゼロベースで考えろ」も、よく言われる言葉です。

人間は、「次はこういう局面にもっていきたい。よし、じゃあそのために、こう指して、ああ指して、こうしよう」と考えます。(将棋でもビジネスでも同じです)

ところが自分の手の後、相手が駒を動かすと、必ずしも最初に目指していた方針がベストではなくなる場合がよくあります。

そういう場合、本来であれば、最初に指した一手のことは忘れ、その時点から新たに「一番よい方法」を考えるべきなのですが、人間はなかなかそうできません。

過去に指した手、もともと目指していた方針を捨てるのが“もったいなく”思え、判断が鈍るのです。

ファイナンスでいうところの、サンクコストに引きずられるわけです。

でもコンピュータは、一手一手、その場その場で最善手を考えることに躊躇がありません。自分がひとつ前に選んだ手がもったいなくて、気持ちが揺れるということはないんです。


つまり!

人間が通常、「思考力を高めるためにはこうすればよい」と教えられている思考法とは、コンピュータの思考法そのものなのです。


★★★


もうひとつ別の観点から。

これも今回に限らないのですが、将棋ソフトと対局した棋士や解説者が、よく下記のようなコメントをするんです。


コンピュータなのに、
「それらしい手を指す」
「人間のような手を指す」
「羽生さんのような手を指す」
「コンピュータの指し手には知性を感じる」


ここでいう「人間らしい手」っていったいどんな手のことなんでしょう?

という視点で見てみると、実は“巧い手”“戦略的な手”をコンピュータが指すと、私たちはそれを「人間らしい手だ」と感じるんです。


たとえば、敢えて(強い駒である)飛車をとらせて、でも後からその意味が効いてくるとか、相手のミスを誘いがちな形にもっていくとか、“損して得する”的な、戦略的、実践的な指し方を将棋ソフトがすると、人間は「コンピュータのくせに、人間らしい手を指す」って言うんです。

「コンピュータは羽生さんのような手を指す」にいたっては、事実上「めちゃくちゃ上手だ」と言ってるにすぎません。「知性を感じる」も、そのまんまです。


・・・人間って傲慢ですよね。


コンピュータがすばらしい手を指した時に、素直に「コンピュータってすげえ賢い!」とは言わず、「コンピュータなのに人間っぽい!」と評するのは、「人間の思考のほうが賢いはず」という前提(思い込み?)があるからです。

本来コンピュータなんて杓子定規で、融通が利かなくて、まっすぐ直線的にゴールを目指すことはできても、戦略的に後退したり、相手を惑わせるために意図的に何かを仕掛けることはない、と思っているんでしょう。

だから、そういう手を指してくると、「機械のくせに人間みたいなことをする!」と評価するわけです。


にもかかわらず、自分たちの思考訓練のためには、
「最後まであきらめるな」
「有利でも油断するな」
「先入観に惑わされず、あらゆる選択肢を検討し」
「いつでもゼロベースで考えろ」などと

コンピュータの思考を真似するための練習ばっかりする。
ちょっと不思議でしょ。


★★★


インテリアの世界に同じような話があります。高級ホテルでは、凝りに凝った客室のしつらえの目的を、こう説明します。
→ 「お客様がご自宅にいらっしゃる時と同じように、快適に落ち着いてすごしていただける空間を提供したい」


その一方、個人住宅向けのインテリアの本には、こういう言葉がよくでてきます。
→ 「選び抜かれた家具とファブリックで、ホテルライクな空間を実現」


どっちを目指してるねん!?
って感じでしょ。


人間は、「機械的な思考より人間の思考のほうが、一枚上に決まってるだろ、ばーろー」と思ってるくせに、(自分の思考力を少しでも高めるためには必死で)機械のように考える訓練をする、ってことなんです。



そんじゃーねー

<コンピュータ将棋 関連エントリの一覧>


1) 『われ敗れたり』 米長邦雄
2) 盤上の勝負 盤外の勝負
3) お互い、大衝撃!
4) 人間ドラマを惹き出したプログラム
5) お互いがお手本? 人間とコンピュータの思考について ←当エントリはこれです
6) 暗記なんかで勝てたりしません
7) 4段階の思考スキルレベル
8) なにで(機械に)負けたら悔しい?
9) 「ありえないと思える未来」は何年後?
10) 大局観のある人ってほんとスゴイ
11) 日本将棋連盟の“大局観”が楽しみ 
12) インプット & アウトプット 
13) コンピュータ将棋まとめその2