親と子、それぞれの自立

昨年末、堀江貴文さんとの対談についてエントリを書きましたが、その続きとして今日は、「親と子の自立」について考えたコトを書いてみます。



(写真:平岩紗希)


★赤いマーチ★

堀江さんの新刊、『ゼロ』には、還暦が近くなったお母さまからの電話の話が載っています。

母が電話をかけてきて、「車が古くなった」とか「次はマーチみたいな小さい車にするつもり」だのとりとめのない話をしてきた。仕事中だったこともあり、生返事のまま聞いていたところ、突然「還暦だから赤がいい」という。「えっ? 赤って何が?」 なんの話かわからず聞き返すと、「もういいっ!」と怒って電話を切られた。


なんのことはない。要は還暦祝いに赤いマーチを買ってほしかったのだ。

対談でも話したように、堀江さんのお母さまが欲かったのは「赤いマーチ」なんかじゃありません。欲しかったのは、「自分の人生への肯定感」でしょう。


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地方ではどこに行くにも車です。赤なら目立つので、行く先々で「車、買い替えたんだね!」と言ってもらえます。

そのたびにお母さまは、「ああコレ? これは、東京にいる息子が還暦祝いに買ってくれたのよ」と言えるのです。それにより、

・うちの息子は東京にでて、経済的に成功している
・しかも、還暦祝いに車をプレゼントしてくれるほど母親思いだ
・自分はずっと仕事を優先していたから、息子の学校参観にも行ったことがない。それでも息子は、私に感謝してくれている
・母親としての私の人生は、大成功だったのよ!

と、周りの人に一瞬にして(なにひとつ言葉で説明する必要もなく)伝えることができます。


母親とは、何から人生の肯定感を得ようとするものなのか。
ちょっとジーンとします。



★自立のタイムラグ★

もうひとつ『ゼロ』からの引用。今度はお父さまとのエピソードです。

父は、典型的な昭和のサラリーマンだ。地元の高校を卒業し、そのまま地元の企業に就職して、ずっと同じ会社に勤務する。定年まで勤め上げることはなく、最後は肩たたきにあって早期退職した人である。

上京するために荷物をまとめていたとき、背中を向けた父がボソッと「まあ、お前が卒業してこっちに帰ってきたときには・・・」とつぶやいた。顔を上げると、さほど大きくない父の背中が小さく見えた。


帰ってくる!? 僕が? なにを言ってるんだろう?


八女に生まれたこの人は、これからもずっとこの地で生きていくのだろう。見慣れた景色に囲まれ、見慣れた仲間とともに生きていく。その人生を否定するつもりはないし、そういう幸せだってあるのかもしれない。


でも、僕は前を向いてしまったのだ。
一度しかやってこない人生の特急列車に、飛び乗ってしまったのだ。
この先どんな困難が待ち受けていようと、後ろを振り返るつもりはなかった。



(写真:平岩紗希)


大学に受かった18歳の時点で、堀江さんは既に両親から精神的に自立しています。けれど、お父さまが「あいつはもう戻ってこない」と確信されるのは、それよりずっと後のことです。

堀江家に限りません。多くの家では、親子間で先に自立するのは子供の方です。親がそれ(=子供がすでに自立していること)に気付くのは、早くとも数か月、通常は数年、遅いと10年くらいのタイムラグがあります。

もちろん、30代、40代まで親から自立できない(それどころか一生、親から自立できない)子供もいます。そして、それを「困った奴だ」と言いつつ、内心では喜んで受け入れてしまう親もたくさんいます。


ですが健全な親子関係においては、自立はほぼ常に子供側において先に起こり、親の方が、

自分はもう“子供の教育”という名目に甘え、子供の人生にアレコレ口を出すのを止めなければならない。息子(娘)は既に自立した。今度は自分が自立し、自分自身の人生に戻るべきタイミングだ

と気付くまでに、数年かかったりするわけです。


上記の引用部分は、18歳の堀江さんが「既に自立してしまった自分」と「それに気が付いていない父親」という構図を初めて認識した時の描写です。これにもちょっとホロリとさせられました。



★すべての人は、変わることができる★

3つめは、対談の中で聞いた「母親が、『マンションを買ってくれ、そしたら管理人をして暮らせる』と言い出したので、ちきりんさんの『未来の働き方を考えよう』にあったように、「そんなストック型の発想はやめて、自分で稼ぐというフローの発想を持たないとだめだよ」と言ったんです」という話です。



(写真:平岩紗希)
 

これも、なるほどなーと思いました。

確かに私は、「これからはお金も人間関係も、ストック型ではなくフロー型の能力が必要だ」と考えています。しかし私はそれらを、若い人や働き盛りの人には言いますが、田舎にいる 60を超えた自分の親に言うことは想定していませんでした。

そういう人は既に「終わった人」であり、「やさしくしてあげる対象」であり、「ストック型で生きたいから資産をわけてちょうだい!」と言われたら、(自分にその余裕があるなら)あげてしまえばいいかなと思っていたのです。


でも、堀江さんはそうじゃありません。彼は本気で、「誰でも変われる。いつのタイミングからでも変われる」と考えています。

だから、今や 60歳を超えたお母さまにも「ストックに頼らずにフローの力をつけたほうがいい。今からでも新しい世界に飛び込んで、新たな人間関係を作り、俺がいなくても生きてけるよう、自分の経済力を持ったほうがいい」と勧められてるわけです。


「誰でも変われる」と、本気で信じていないと、こんなこと言えませんよね。

「この人は弱者なんだから、もう変わるのは無理かも。だから労わってあげよう」と考えがちな私の発想とは、全然ちがう。堀江さんの方が明らかに(わたしよりみんなを)信じてる。



★親と子をめぐる自立の物語★

どこの家でも、子供はいつか、親を超えて行くと期待されています。いつまでたっても自分を超えられない子供を望む親はいないでしょう。

それなのに、実際に子供が自分を超えていく時、親はそのことになかなか気が付きません。


特に“親思いのやさしい子供”は、親が自分の人生に関して一生懸命アドバイスしてくれるのを、素直に聞いている“振り”までしてくれます。

心の中では「父さん、今はもうそうじゃないんだよ」、「母さんって、そんなことも知らないんだ・・」と思っても、口には出しません。だからそういう子供の親は、いつまでも「こいつにはオレのアドバイスが必要だ」と思っていられる。


幸せですね。

心のやさしい、よくできた子供です。


でも、この「親思いの子供のやさしさ」が親の自立を遅らせます。さらに、そういうやさしい子供は、親がすっかり気弱になった時には、喜んで親を助けてあげようと考えます。年老いた親を頑張らせるのではなく、「僕が・私が助けてあげればいい」と考えるのです。


確かにやさしい息子、そして娘です。


でも、本当にそれが親のためになるでしょうか? 親が子供から自立し、自分の人生に戻る時期を何年も遅らせてしまい、平均寿命が 20年も残っているタイミングから、過去にしがみつく、ストック型の人生に追い込めてしまう。


一方、そうじゃない関係もあります。

自分の自立を親に隠そうとしない子供もいるし、だからこそ、その事実に早く気が付ける親もいます。

年を取った親にさえ、高齢だから、新しい技術を知らないからと、期待することを止めてしまうのではなく、「これからの時代はこうなるのだから、あなたも今からでも変わるべき。変われるよ。やってみなよ」と子が親に向かって説く。

そういう関係もあるわけです。


堀江さんはお母様が変われると信じているし、お母様も、その息子の言葉を信じて(息子が買ってくれたマンションの管理人になるのをあきらめ)新しい活動を始められました。

堀江さんや私が「誰でも変われる!」というとスグに、「あなた達は才能にも環境にも恵まれている。だから、そんなことが言えるのだ。普通の人には無理だと、わからないのか?」などと言い出す人がいます。

そういう人は、堀江さんのお母さまの行動を、どう思うのでしょう? 「彼女にも生まれつきの才能があるから、60才からでも、そんなことができるのだ」と言うのでしょうか?


“オレ以外は全員恵まれてるに違いない史観”を言い訳にまとい、不貞腐れて生きるのは止めましょう。

若いころからそんなことばかり言ってると、マジで何も手に入らなくなってしまいますよ。


そんじゃーね


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