富岡製糸場に学ぶ世界に通用する企業の作り方

2014 年に世界遺産登録された群馬県の富岡製糸場に行ってきました。

→ 富岡製糸場のホームページはこちら


バスツアーで行く人が多いみたいですが、ローカル線好きの私は高崎から上信電鉄で向かいます。


上信電鉄は無人駅も多いローカル線なのに、富岡製糸場の最寄り駅はいきなり立派!


駅から徒歩 7分くらいなのですが、100メートル毎に道にこういう案内があるので、迷う人はいないでしょう。


その道すがらにもレトロな建物がたくさん残ってます。富岡って空襲を受けなかったのかな? てか、むしろ疎開先に近い場所だったのかもしれませんね。


正面入り口を入ったところ。巨大な倉庫の入り口です。蚕の繭って特定の季節にしかとれないので、一年間それを倉庫に置いといて使うらしい。


パンフレットを見ればわかりますが、ここ、ものすごくキレイな状態で全体が残ってるんです。

設立当初は官営工場ですが、三井家へ払い下げ、その後は片倉工業が買収して昭和 62年まで操業を続けていました。

操業中止後も同社が最低限のメンテナンスを施してきたことが、歴史的価値の維持につながっているんでしょう。



花壇なども含め、きれいに整備・維持管理されてます。


敷地内には、工場以外にも当時の関係者の住居などいろんな建物があるんですが、なんだか昔の学校みたいです。



こちらが、メインの工場である繰糸場の入り口。


中はこんな感じ。


今、建物の中にあるのは、最後の頃(昭和)に片倉工業が導入して使っていた自動機械なので、設立当初のものとは違います。


明治の頃の操業風景が下記。ずらりと並んだ工女と、上記の自動機械を比べると、明治から昭和にかけ、いかに人間が機械に置き換えられていったか、よくわかる。


下の絵にあるように、工女らはお湯の入ったボールに浮かぶ数個の繭から一本ずつ細い糸を繰り出し、複数の繭糸を撚り合わせて生糸を作ります。

難しいのは、蚕の糸が順番に終わっていくこと。ひとつの繭からの糸が途切れる寸前に新しい蚕に取り替え、できあがる生糸の太さを維持する必要があるんだけど、これがまた神業みたいな細かい技術なんです。

彼女らはこの作業がすごく得意だったため、生糸の太さが一定に保て、高い品質の生糸が作られたわけです。

日本人女性の手先の細かさと、こういった作業を来る日も来る日も飽きずに続けられる忍耐力が、世界に評価される高品質の生糸を生みだしたのでしょう。



こちらはその前工程として行われる繭の選別作業。白いのは全部“まゆ”だと思うんですが・・・すごい量ですね。これも大変なお仕事です。

(これは富岡ではなく岡谷市。このあたり全体が繭の産地だったようです)


体操風景。肩が凝るというか、一日中 細かい作業をやってるわけですから、ストレッチは大事。


えらい数の工女が働いてたらしい。



富岡製糸場は明治政府が近代的な殖産興業を目的として作った官営工場で、当時作られた製鉄所など他の官営工場と同様に、欧米から技術者と経営者を招いて建設、経営されました。

富岡の場合はポール・ブリュナー氏(フランス人)が指導者として招かれており、彼の給与は当時の総理大臣クラスだったそうです。

このブリュナー氏が家族と住んだ住居も敷地内にあるんですが、「どんだけ?」っていうくらい巨大な邸宅でびっくりします。

もちろんお手伝いさんもいるし、地下にはワインセラー兼、隠れ部屋(まだ政情不安定だったため?)もあったそうです。


ブリュナ邸(左右とも) ↓ 製糸工場かと思いましたよ。。 こんな広い家に家族 4人で住むってホントに快適なのかな。


たしかに、まだ電気もないような未開の日本にやってきて(しかも、外国人の多い横浜や神戸ではなく)富岡市に常駐しろと言われたら、相当の待遇でないとフランスからやって来てはくれないですよね。

ブリュナー氏だけでなく、生糸の検査人なども含め、製糸場で要職に就く人はみんな欧米から招いており、(まだ江戸時代が終わってすぐだというのに)彼らの住居には洋式便器まで備えてあげていたとのこと。


結果、富岡で作られたシルクは世界でその高い品質を認められ、大いに成功したわけですが、この成功の秘訣が非常に興味深いものでした。すなわち、

1)経営は海外の優れたリーダーに任せる
どーんと高額の報酬を払ってでも実力者を招く。もちろん要職につく管理職もみんな海外から呼んでしまう。


2)製造担当には、めっちゃ細かい作業を朝から晩まで忍耐強くこなせる日本の労働者を大量に雇う


3)労働者の評価は完全実力主義とする

この3つが富岡製糸場が世界に通用する商品を生み出せた成功のポイントだと思うんですが、これって今でも通用しそうでしょ。

1)と3)が実現できておらず、2)しか持たずに不振にあえいでる日本企業は、富岡製糸場を真似て、さっさと実力主義を導入し、経営を外国人に任せたらいーんじゃないかな?


そもそも経営者ポジションには経営が得意な人を雇うべきであって、「細かい作業に忍耐強く取り組むのが得意でした」って人が出世して就くべきポジションじゃないんだよね。

この点、日本人労働者のスキルや特徴をよく理解し、それにあわせた経営手法や技術を取り入れたブリュナー氏の功績は非常に大きく、いきなり任された超保守的な異国の企業を立て直したカルロス・ゴーン氏みたいだなと思ったり。


それと当時の工女の日記には、一等工女に憧れ、等外工女から三等→二等→一等工女と昇進した時に大喜びしている様子が綴られているんだけど、

「仕事のスキルに応じてきちんと評価される」ことが、どれだけ人間のやる気を引き出すものか。それは、明治時代の日本人についても同じだったのだとよくわかります。


こちらがカリスマ工女(?)の横田(和田)英さん。工女の給与システムは完全に実力主義で、この人は技能もお給料も最高レベルだったらしい。

和田英さんの日記は本にも↓

富岡日記 (ちくま文庫)
和田 英
筑摩書房
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きっとみんな、一等工女になるために必死で働いたんでしょう。

「成果主義の人事制度は日本に馴染まない」なんて大嘘ですよね。


というわけで、いろいろと勉強になりました!



<番外編>

場内の展示スペースにはこんなものも。ホンモノの桑と蚕。私はちょっと苦手かも。。。


地元の皆さんはホントに嬉しかったことでしょう。


ガイドツアーもあるし説明示物も充実してるし、昔の機械を使って繭から糸を引く作業の実演が見られる時間もあるので、けっこう楽しめるんじゃないでしょうか。

お土産コーナーのシルク製品は高すぎて買えませんでしたけど。



そんじゃーねー


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