このエントリは連載ものです。
前回、「過激派から命を狙われてても、内戦から逃げてきても、日本では難民とは認められない」と書きました。
この基準は明らかに他の先進国とは異なるのですが、いったいなぜそんな違いが生まれているのか。それが今日のテーマです。
難民とはいったいどういう人のことなのか、法務省入国管理局の資料には、こう書いてあります。
難民とは、難民条約 および 難民議定書の規定により定義されているもので、
・人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、または、
・政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国外にいる者であって、
・その国籍国の保護を受けることができないか、または、それを望まない者である。
どうやら日本は、「難民条約に書いてあるとおりにやってるだけだよ!」と言いたいようです。
で、難民条約ってなによ? というと、
1951年、第二次世界大戦が終わって東西冷戦が始まった頃にできた条約なので
自分の国が共産主義になってしまったため、その政権に迫害されることを怖れて西側に脱出したいと考えた人を(西側諸国が)受け入れるための条約という背景があったんです。
つまり当時は、過激派に迫害されるとか、内戦に追われて国を出る難民はおらず、
共産党政権に迫害されて国をでる政治的難民しか想定されていませんでした。
しかしその後、難民の発生理由はどんどん多様化します。
たとえば、
民族自決運動の中で独立運動が盛んになって独立派と残留派が争って国を離れる人が現れたり、
政府ではなく、他宗教や他宗派に迫害されて国を離れる人が増えたり、
セクシャルマイノリティという“非”政治的な理由で迫害される人が現れたり、
国が内戦状態に陥り、誰が迫害したってわけじゃないけど、もはや住んでられないから逃げてきたり、
と、“いろんな理由での難民”が急増。
もちろん国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) は、そういった難民にも積極的に保護を提供するよう世界に呼びかけており、
他の先進国はそのガイドラインにそって難民認定をしているのだけど、
相変わらず日本だけは“もともとの難民条約に書いてある最も狭ーい基準”をそのまま使い続けている。
これが、日本と他の先進国の基準に違いがある理由です。
まっ、法務省にしてみれば「難民条約は日本も批准してるから守る必要があるけど、国連難民高等弁務官事務所の方針にはなんの強制力もないし」ってことなのかもしれません。
そもそも法務省は(人権擁護組織ではなく)官僚組織ですからね。
政治家が「やれ」と言わない限り、条約を守る以上のことはやらないよね。
入管施設や成田空港に貼られている、難民保護を求める人へのポスター @JAR
ちなみに日本がこの難民条約に批准したのは 1981年とかなり遅め。
実はこの頃は、中東ではなくアジアにおいて大量の難民が発生していました。それがインドシナ難民と総称されるベトナム、ラオス、カンボジアからの難民です。
1975 年、アメリカがベトナム戦争に負け、ベトナムは共産国として統一されます。これにより南ベトナムから多くの人が難民となって国を逃げだしました。
彼らの一部は陸続きの隣国に逃げましたが、ボートに乗って東南アジアの国や、日本までやってくる難民も現れました。いわゆる“ボートピープル”です。
今はシリア難民が世界の大問題になっていますが、当時は難民問題といえばインドシナ難民だったのです。
インドシナ難民のうち他国に移住した人は 130万人とも言われますが、このうち 6割をアメリカが、他の 3割をフランス、カナダ、オーストラリア、イギリス、ドイツなど他の先進国が受け入れています。
とはいえインドシナ難民は、最初はアジアの各国にたどり着きます。いきなりアメリカやフランスには行きません(遠すぎて行けません)。
そこでルートとしては、最初にアジアの国に到着、そこで一時的な保護を受けた後、アメリカなど難民を受け入れてくれる国に送られるわけです。これを「第三国定住方式」と呼びます。
最初は日本も他のアジア諸国と同じように、日本に到着したボートピープルをホイホイとアメリカに送り出していました。
でもね、そのうち西欧先進国が気が付きます。
「それ、変じゃね?」
「他のアジア諸国はともかく、日本は先進国やろ? なのに自分で保護せず欧米に送ってくるだけってどーゆーこと?」
「そもそもアジアの難民なんだぜ!? なんで日本が俺たちに回してくるわけ?」
そりゃそーだよね。今回はシリア難民だから日本への批判もそれほどじゃありませんが、アジアで難民が発生してるのに、それをそのまま欧米に送るだけって・・・
当然ながら国際非難 ごーごー。
逃げられなくなった日本は、福田赳夫首相が訪米する際のお土産として「インドシナ難民への定住許可枠 500人」を設定します。
これが 1978年。なので、1981年の難民条約もアメリカ様から怒られて批准したんでしょう。
その後も「 500人? なに寝ぼけてんの? ケタが違うでしょ?」と責められ続け、日本は受け入れ枠を拡大、最終的には 1万人を超えるインドシナ難民を受け入れました。
そういえば今年、日本政府は伊勢志摩サミットに併せ、シリアから 5年で 150人の留学生を受け入れると発表しています。
難民認定自体は相変わらず厳しいけれど、「欧米からのプレッシャー + 首相訪米やサミット」という大イベントが重なれば、「ちょっとは受け入れよう」という気にはなるらしい。
JAR で作っているパンフレット
日本の難民関係の書類を見ていると「定住難民」と「認定難民」という言葉がでてきます。
定住難民とは前述したインドシナ難民のことで、認定難民のほうが「難民条約というめっちゃ古い条約に基づき、すんごい厳しい基準のまま認定された難民」のことです。
認定難民の数は先日も書いたように1年に 11人とか 27人とか少なく、過去すべての累計でも 660人。
・・・あれ?
1年に 11人とかの受け入れだと、合計が 660人になるには 60年もかかるやん。なんか計算がおかしくない?と思われたあなた。
鋭いですね。
実は日本、ここのところの認定数は 11人とか 27人なのに、2005年から 2010年あたりの 6年ほどは年に 30人以上を難民として認定してるんです。一番多い 2008年には 57人を認定。
しかも、実はその大半が「ある特定の国の人」なんです。
えっ!!!
それって何? どこの国? なんでそんなことに?
と思われたあなた。
答えは次のエントリで。