インセンティブ・システムと弱者支援の違い

私は下記の本の中で、「組織や人を動かす必要があるとき、
1)規制や罰則によって動かそうとする人と
2)インセンティブ・システムで動かそうとする人がいる。
両者を比べれば、後者のほうがよほど賢い」と繰り返し書いています。

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マーケット感覚=ビジネスの話と勘違いしてる人も多いけど、実は公の制度だって(てか、公の制度こそ)もっとインセンティブ・システムを活用すべきです。

たとえば教育費

高校は義務教育ではないので公立でも授業料がかかるし、授業料無料の公立小学校や公立中学校でも、多額の関連経費が必要です。

たとえば、お絵かきセット、裁縫セット、習字セットに体操着。水着に上履きに給食費に修学旅行代。

制服がある学校なら、シーズンや体の成長に合わせ毎年数枚ずつの制服が必要になり、最低限の参考書や模試代もかかる。

なので授業料が無料であっても、貧困家庭の子が教育を受けるのはとても大変。


こういう時すぐに「だから補助金だ!」「小学校と中学校だけでなく、高校も公立は無料にしろ!」みたいな人がいるのだけど、

ちきりん的にはこういうところにこそインセンティブ・システムを働かせるべきだと思ってる。


例えば「小学校 5年生の場合、TOEICが○○点以上になれば、以降の給食費はすべて無料。

それに加え、韓国語か中国語の日常会話テストの初級に合格すれば、その後の制服代と修学旅行費はすべて支給」とか。

各学年毎に「これが達成できたら、今後はこの費用が無料になります」みたいな基準を作ればいい。


こういう方式のいいところは、家が貧乏な子ほどよく勉強するようになることです。

語学の上達なんて頭の善し悪しと言うより学習を継続できるかどうかだけの問題だし、ネットで無料で勉強する方法がいくらでもある。いまやスマホでも学習が可能です。

お金のある家の子なら、サボって基準を満たせなくても進学できるからインセンティブが働きにくい。

けど貧困家庭の子には「進学したければ中国語と韓国語と英語を勉強しなければならない」という強いインセンティブが生まれる。

すると・・・・


人生が逆転できる可能性がでてくるのです。

いわゆる「貧困の連鎖」を断ち切ることができる。

これが旧来型の補助金とインセンティブシステムの大きな違いです。


他にも、タッチタイピングができるようになったら体操着と水着が無料でもらえ、プログラミングの資格を取ったら私立高校でも授業料が支給され、英語検定○級をとったら次の夏休みにフィリピンに英会話留学させてあげるとか。

ゲームのアイテム獲得システムみたいな細かなインセンティブ・システムを設計すれば、「家庭にお金が無くて頑張らざるを得ない子」ほど未来が明るくなる。


貧困家庭の子に体操着や文房具を支給しても、「モノがもらえた」だけで終わってしまうけど、

「プログラミングを覚えたら体操着と文房具がゲットできるよ!」と言ってあげれば、

恵まれない環境に生まれた子供の、「人生逆転の可能性」を高めることができるんです。


★★★


別の視点から。

もし公立高校の授業料だけを無料にしたら何が起こるか。

お金持ちの子は私立高校に行き、貧困家庭の子は公立高校に行くようになります。ここまでは単純な話。


もうひとつ、大きな影響があります。

公立高校だけ授業料が無料になると、少子化が進んでも公立高校は生徒集めに困りません。なぜなら家が裕福でない子は「必ず」公立高校に来てくれるから。

このため公立高校の先生には「教育の質を上げよう」というインセンティブが働かなくなります。すると当然、教育の質は落ちます。

質が落ちるとは「先生が手抜き授業をする」という意味ではありません。

そうではなく、IT を駆使したり、民間企業で活躍する講師を呼んできたり、英語でディスカッションする授業を取り入れるなど「新しい教育方法をいろいろ試してみよう!」という気にならないってことです。


10年前、20年前と同じような授業を続けていても、家が貧しい子はかならず公立高校を選んでくれる。だから学校側に進歩しようという気がなくなる。

こうして無料の公立高校しか選択肢のない貧困家庭の子は、質の低い時代遅れな教育しか受けられなくなります。


一方、私立高校は少子化で競争が激化します。子供が確保できないと存続できません。するとどこの高校も教育の質を上げて子供を確保しようと頑張ります。

時代が求める様々な新しい教え方もあれこれ導入し始めるでしょう。

こうして私立高校の質はどんどん高くなる。すると、お金に余裕のある家庭はますます子供を私立に入れるようになります。


わかります? 

古い教育を続ける公立高校には貧困家庭の子ばかりが集まり、教育の質をどんどん上げていく私立高校には裕福な家庭の子ばかりが集まる。

これでは親の経済格差が子供の教育レベルにそのまま引き継がれてしまいます。

だから「公立高校だけの無償化」というのは、少子化ステージでは決してやってはいけない施策なんです。


やるべきは、私立だろうと公立だろうと無料にすること。別の言い方では「教育バウチャー制度」です。

高校生はみな「授業料が無料になるバウチャー」を与えられ、私立だろうが公立だろうが、行きたい高校に行けば、そこの授業料が無料になる。

こういう制度だと、少子化で淘汰されるのは公立・私立無関係に「教育の質の悪い高校」になります。

これにより、以下が可能になります。
・質の悪い高校が淘汰され、高校全体の教育レベルが上がる
・家庭の経済力が子供の教育レベルを規定しなくなる


公立高校だけを無償化する時とは、まったく違う結果になる。 
マーケット感覚のない人は、この違いが理解できないのです。


ちなみに橋下徹氏は大阪で、(他の予算は大幅に削減する一方)、高校授業料に関しては「私立も含めた」授業料の実質無料化を実現しています。当然、上記メカニズムは理解されてたはず。


★★★


医療費削減にもインセンティブシステムが使えます。

日本のような先進国では、生活習慣病という「生活習慣を変えれば避けられる病気」になる人が多く、そういう患者のために使われている医療費が非常に高額です。

たとえば糖尿病になったのに食事療法も運動もせず腎臓がやられてしまうと、透析という(週に 3日も体中の血液を採りだして濾過して戻す、という)延命治療が必要になります。

障害者認定が受けられるため本人の費用負担はほとんどありませんが、治療費は年間 500万円かかるとも言われています。これは健康保険料や税金で負担されています。


じゃあ、どうすれば人工透析の人を減らせるか?

「無料じゃなくて 500万円、自分で払わせればいい」という意見もあります。これはまさに罰則で人を動かそうという発想。

でもね、マーケット感覚さえあればもっといい方法を思いつくはず。


ちょっと考えてみて。人工透析を受けざるを得なくなって、一番、大変な思いをしてるのは誰でしょう? 
高額な医療費を負担してる国民?  


違うよね。


本人ですよ。


週に 3日も病院に行って、4時間も 5時間もかけて、ものすごく体力を消耗する治療を受ける。それだけの治療をしても食べられないもの、できないコトがどーんと増える。

たとえ医療費が無料でも、「早くから食事療法をしとけばよかった」「こんなことになるなら、もっとちゃんと運動したのに」と大半の人はすごーく後悔してるはず。


実はこの「後悔」には大きな価値があります。

なのに今は誰もその価値に気がついていない。

数多くの人の人生を救うものすごくパワフルな価値なのに、ほとんど活用もされずに放置されてるんです。


「糖尿病だと診断されたけど、まだ腎臓機能には問題が無い」というレベルの人には、自分もこのままだと数年後にはものすごく後悔することになるだろうという想像が(ひとりでは)できません。

だから、暴飲暴食が止められない。


アメリカのスラム街が拡がる都市部で行われた、高校生向けのとあるプログラム。

高校生らは地元の監獄に招待され、全身にタトゥを入れた屈強な囚人達と面会します。そこで囚人達は切々と語るのです。

自分たちが何十年も監獄で暮らすことになって、どれだけ後悔してるかと。


「最初は万引きから始まった。最初はマリファナだけだった。でもいつのまにか・・・・」と、小さな犯罪から少しずつ悪の道に入り込み、何度かの前科を重ねて最終的に 20年、30年の刑期を言い渡された自分の身の上を語り、高校生達に伝えます。

「ここがどれだけ恐ろしく絶望的な場所か、お前たちはまだまったくわかっていない。

ここで人生の大半を過ごすのだと確定した時の、あの絶望感がわかるか?

万引きとマリファナの先には、この監獄で死ぬまで過ごすことになる人生が待ってるんだ」


監獄の中の暗く殺風景な部屋で、みんな床に直座りして話を聞く(椅子など武器になるモノは置かれていない)。

窓のない部屋に響く重い言葉と、ときおり漏れる慟哭


神妙な面持ちで話を聞いていた不良少年達も最後には震え上がり、このプログラムを受けた後は、誘われても簡単にマリファナに手を出さなくなる。

「このままだと、自分の身に何が起こることになるのか」、想像する力が弱い人でも、自分の数年後の姿を見せられたら行動が変わる。そういう人はたくさんいる。


人工透析の話に戻りましょう。

透析を受けることになって一番悔やんでいるのは誰か? 税金でその費用を払っている人ではなく、本人です。

「無料だから人工透析になっても何も困らないよーん」なんて思ってる患者はいません。いちばんつらいのは本人なんです。


問題はその“つらさ”が、今から生活習慣を変えればまだ間に合う多くの人達に伝わっていないこと。

そのつらさを事前に伝えてあげることさえできれば、多くの人が救われるのに。


私は本の中で、マーケット感覚とは「価値に気がつく能力」だと書きました。

この「悔やんでも悔やみきれない後悔」に社会的な価値があるのだと気がつけるかどうか、そこがポイントなんです。


教育や医療など、マーケット感覚の弱い人が集まっている分野では、すぐに「弱者を助ければいい」みたいな話がでてきます。

でもね、

弱者を助けようと延命治療を無料にしたら、生活習慣病からの失明や透析に苦しむ人を減らせます? 

減らせないでしょ。


「弱者のため」とか言って公立高校や国立大学の授業料を無料にしたら、貧困の連鎖が断ち切れる? 

もういちどエントリをよく読んでみてほしい。それだとむしろ反対のことが起こるんです。


「補助金で無料にすること」は、必ずしもベストな問題解決の方法ではありません。
それよりもよほどいい方法があるんです。

それが、マーケット感覚に基づいてインセンティブ・システムを働かせること。


本当の意味で弱者を助けるのは何なのかという話。インセンティブ・システムについてより詳しく学びたい人はこちらをどうぞ。


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そんじゃーね

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