中朝国境のリアル

先日 こちらの企画で 訪れた中国の東北三省。

旅の内容はシリーズでご紹介しますが、まずは丹東。ここは、鴨緑江を挟んで北朝鮮と向かい合う中朝国境の街です。

グーグルアースで検索すると、鴨緑江の東側には北朝鮮の新義州、西側には中国の丹東市が見えますが、その開発され具合には大きな格差があります。
→ グーグルアース 丹東


鴨緑江で観光フェリーに乗って撮った写真でもこんな感じ。(右が中国で左が北朝鮮)


望遠でとると中国側がこれで、


北朝鮮側がこれ。


ちなみに鴨緑江は「中国と北朝鮮の共通財産」なので、北朝鮮の船は中国側の沿岸ギリギリまで近づいてもよく、中国側の岸に上がりさえしなければ問題ありません。

なので、川で砂利を掘る北朝鮮の船がすぐ側にいたり、下記で右側に見える小さな船のように、


網を投げて釣りをする一般人の小舟もいたりします。中国人ガイドさんに「北朝鮮の人、やせてるねー。ご飯がたくさん食べられないからねー」とか言われてましたが、確かに身なりも船もかなり質素。


こちらは北朝鮮の兵士かな? すぐ前の川が中朝国境ですが、ライフル持って警戒してるというわけでもなく、しゃがんだりしてたむろってる感じです。

(上 3枚の写真は同行者撮影。他はちきりん撮影)


でもこれじゃあ、密輸も脱北も簡単じゃないかって? 

そうですね、逮捕されて強制収容所に送られるリスクさえ恐くないというなら、簡単なことでしょう。


★★★


私は 12年前に 「残念ながら北朝鮮は崩壊しないよ」というエントリを書いているのですが、その根拠は、まさにこの距離感にあります。

今の中国がこうして国境を接しているのは(一応)友好国の北朝鮮ですが、北が崩壊して韓国に統一されたりしたら、こんな近くまで在韓米軍がやってこれるわけで、

中国にとって「北朝鮮という国家を崩壊させないこと」は、「北朝鮮の核保有を阻止すること」より、遙かに重要な国益なのです。


しかも地上では、国境はさらに近い場所にあります。

下記の写真を撮ったのは手前の鉄格子のこちら側=中国領土。

写真の中央がボーダー上の緩衝地帯で、その先に見えるごく簡易な柵の向こうが北朝鮮。その距離 10メートルほどで、収穫の季節には働く北朝鮮農民の姿も見られるといいます。


そこから長く続く鉄条網もごく簡単なもので、


すぐ側の幹線道路は誰でも自由に通行できるし、警官のひとりも見当たりません。


モノを投げるな的な注意書きはありますが、全体にとても牧歌的。中国は、北朝鮮との国境をまったく警戒していません。


日本人は行けませんが、中国人なら北朝鮮ツアーへの参加も簡単です。

こちらは丹東のホテルに掲示された北朝鮮ツアーの値段。一元= 16円ほどなので 4泊で 4万 3千円、1泊で 1万 3千円弱ですね。中国人なら簡単にビザがとれ、北朝鮮に泊まりがけで遊びに行ける。


しかもガイドさん曰く「昔は冬になると鴨緑江が完全に凍ったため、河の上でスケートをして遊べた」

現在は温暖化の影響でそこまでは凍らないそうですが、実はこの河、向岸まで十メートルちょい、みたいな場所も多数あります。

今は遠くにいる米軍がそんな位置までやってくるかもしれない・・・それは中国にとって、北朝鮮による核弾頭付きミサイルの開発などより、よほど恐ろしいことなのです。


★★★


そしてもうひとつ、今回の丹東訪問でようやく理解できたことがあります。

それは、金正恩氏が、叔父である張成沢氏を処刑してしまった理由です。

張成沢氏は父である金正日氏の妹の夫で、正恩氏の叔父にあたります。金正日時代には最高指導者の“身内”として重用され、主に中国とのパイプ役を担っていました。

その彼が手がけていたのが、この丹東市に中朝間の自由貿易特区を作るというプロジェクトです。


しかしプロジェクトは、張成沢氏が処刑されて以来、完全にストップしてしまいました。

新区のため新たに作られたこの超近代的な橋も、工事は完成しているのに、北朝鮮が許可しないため開通できていません。


また、橋の麓(丹東側)に作られた近代的な巨大ビルが林立する広大な「丹東新区」も、今は人影もないゴーストタウンと化しています。


今回、この巨大な新開発地区を目にしたことで、私には張成沢が処刑された理由が直感的に理解できました。

だって・・・橋も街も、ほんとーに巨大で立派なんです。

もし予定通り橋が開通し、経済特区が機能し始めていたら、責任者であった張成沢氏には、中国企業との強力なコネクション、貿易にまつわる様々な権益、そして、巨額の資金(裏金含む)が転がりこんだことでしょう。

直系ではないとはいえ金一族の親戚である叔父がそれらを手にすることを、権力の座についたばかりの若き金正恩が嫌がった(=強く警戒した)であろうことは、容易に想像できます。

まずは張成沢を排除しないと、枕を高くして眠ることはできなかった。これが処刑の理由でしょう。


一方、この橋と経済開発新区を見て、先代の金正日氏は(中国の成功体験から学び)改革開放政策によって北朝鮮を発展させようと考えていたのだ、ってこともよくわかりました。

そういえば金正日氏は小泉訪朝を受入れ、拉致まで認め謝罪しています。今から考えれば、これは画期的なことです。

おそらく彼は、開放政策を推進する上で、中国だけでなく日本との関係も改善したいと考えていたのでしょう。

その方針が続いていれば、北朝鮮も今とはまったく異なる国になっていたかもしれない。

しかし志半ばで彼は死に、息子の金正恩は大きな方向転換を行いました。

経済開放政策を中断し、核開発を推進する方向に舵を切ったのです。


★★★


丹東と新義州を結ぶ橋は他にもあり、市街地の近くではこのように 2本の橋が並行してかかっています。一本は北朝鮮と中国の通常の交易に使われていますが、


もう一本の橋は「丹東断橋」と呼ばれ、途中で途切れています。これは、日本が朝鮮半島を支配していた時代に(日本によって)作られた橋が、朝鮮戦争時に米軍の爆撃で打ち落とされたためです。この写真で奥側の橋が途切れているの、わかりますよね?


今は橋の途切れた部分に多くの人が押しかけ、写真を撮りまくる観光スポットになっています。


私たちが訪れた日はお天気も良く、国境の町、丹東は観光客で溢れかえっていました。あちこちで結婚式が行われ、国連で北朝鮮への制裁決議が採択された直後なのに、なんの緊張感もありません。

実際ここは「アメリカが絶対に爆撃しない中国本土」にあり(そんなことしたら世界戦争勃発です)、かつ、北朝鮮のミサイルも「絶対に飛んでこない」という、ものすごく安全な場所なので、平和なのは当然かもしれません。

なのでこういうことがあっても、驚いてるのは私たちくらいでした。



あと、丹東市にはなぜかラインのキャラが北朝鮮側に向けて微笑んでました。


以上、私は 12年前に こんなエントリ を書いているくらいですから、中朝の近さ(親密さ)はよく理解しているつもりでした。

それでもやはり現地に足を運び、うららかな陽気の中、遊覧船でクルーズしながら北朝鮮と中国の景色を楽しみ、断橋の上をゆっくり散歩していると、肌で感じられることがたくさんありました。

下記はずいぶん前ですが、38度線を挟んで対峙する北朝鮮と韓国の仮国境(いまだ休戦中)の板門店を訪れた時にとった写真です。



(正面向こう側の建物は北朝鮮領。手前のプレハブが 38度線上に立つ交渉部屋。手前の兵士は韓国軍、奥の兵士は北朝鮮軍の兵士)


当時は「万が一のことがあっても、補償を求める権利は放棄する」と書かれた合意書にサインまでさせられ、物々しい雰囲気での訪問でしたが、

これが「資本主義国と共産主義国」の国境の現実であり、それは、最初に紹介した「友好的な共産主義国同士の国境」とはまったく異なります。

中国は鴨緑江沿いの平和な国境を、けっしてこんな場所にしたいとは思わないでしょう。


そんじゃーね!

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