「生き方」と「死に方」

連載エントリの途中ですが、ここは私が考えたコトを記録しておく自分のための思考の格納場所なので、ちょっと中断して別の話を。

タイトルにぎょっとされた方もあるかもしれません。

ここんとこよく思うのは、SNSが普及してネットで発信する個人が増えたことで、他人の死に方(←生き方と読み替えてもらっても OK です)をリアルタイムで目にすることが増えた、ということです。

最初にそんな時代を意識したのは、下記の本の著者でもある天野貴元さんが、30歳で亡くなられる直前までツイッターを更新されていたのを目にした時のことです。

オール・イン ~実録・奨励会三段リーグ
天野 貴元
宝島社
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天野さんは将棋の棋士を目指して奨励会にいらした方で、結果としては棋士にはなれず、その後は働きながらアマチュアの強豪棋士として様々な大会にでていらっしゃいました。

舌がんを患い、その発覚、手術、リハビリ、再発を含め闘病の様子を日常生活のひとつのシーンとしてブログやツイッターで淡々と開示されており、

おぼろげな記憶ですが、亡くなられる 10日ほど前まで発信されていたんじゃないでしょうか。


その後、昨年は歌舞伎役者、海老蔵さんの奥様、小林麻央さんのブログがものすごく大きな注目を集めました。

ふたりのお子さんの母親でもあり、世間によく知られた家族として好奇の目にもさらされかねない状況で発信を続けると決心されたのは、大きなご決断だったと思います。


★★★


一方、発信こそしないけれど、強い意思があったと感じさせられた「死に方」(←「生き方」と同じ意味)もあります。

先日、川で入水自殺をされた評論家、西部邁(にしべすすむ)さん。

78歳でお体も弱っていたようですが、ずいぶん前から「老いて子供に迷惑をかけたくない」「延命のための治療を長く受け続けるような状況には陥りたくない」といった理由で、自ら命を断ちたいと口にされていたそうです。

足も弱ってらしたのに早朝に家を抜け出し、川原まで移動して入水されたのは、これ以上、足や体が弱ると、自らの命の終わりを自分で決められなくなるという危機感があったのかもしれません。


西部さんは若い頃の学生運動の活動家から転向して保守の論客となり、東大教授などを経て評論、言論活動をされていました。

つい最近までテレビにも出られていましたが、その中で

「長らく言論活動を続けてきたが、本を書いても議論をしても講演をしても社会はまったく変わらない。(言論活動に捧げてきた自分の)人生は壮大な無駄だった」

と笑いながら話されており、いろいろ達観されていたようにも思えます。


その後に入ってきたのが、元アナウンサー有賀さつきさんの突然の訃報(享年 52歳)。

バブル絶頂期に当時イケイケだったフジテレビに入社、元帰国子女でバラエティなどでも大活躍。当時の日本でも最も華やかな世界にいらした方です。

もしもあの頃 Instagramがあれば、誰もが羨む派手やかな生活を謳歌する女性アナウンサーのアカウントには、多数のフォロワーがいたに違いありません。

ここのところはシングルマザーとして娘さんを育てながらテレビにも出ていらっしゃいましたが、数年前から激やせやカツラ使用が報道されており、長い闘病生活だったことが窺えます。

驚いたのは、彼女が実の父親や娘さんにも病名を知らせていなかったという話。

ましてや友人や仕事仲間には、闘病中であること自体、開示されていなかったそうです。


家族にも言わないってなぜだろう? 

と考えてみました。唯一考えられるのは、母娘ふたりの家庭において、母親が重い病気であることをまだ幼い娘に告げることの残酷さを、母親として避けたかったのかなということです。

幼い娘さんには受け止めきれないほどの衝撃だろうし、自分がひとりで残されてしまうかもという恐怖を娘さんに与えたくなかったのかなと。

真意はわかりませんが、病名どころか闘病中であることを一切、誰にも言わない。こういう選択肢もあるんだなと思いました。


多くの人がネットで日常生活を発信するようになり、「インスタ映え」とか「フェイスブック疲れ」といった言葉からもわかるように、「ネットで自分の楽しい人生を多くの人にアピールする」ことが日常的に行われるようになりました。

でも(当然ですが)人生では結婚や出産といった明るいイベントだけでなく、様々な困難な問題も起こります。

それをどこまで開示していくのか、しないのか。


何も開示しない
楽しいコトだけ開示する
どちらも開示する
の他、

困難な問題に直面してから初めて発信を始める、という人もいます。

病気だけでなく、詐欺にあったとか離婚したとか含め問題が起こって初めて、心から発信したいと思えることが見つかることもあるからです。


他にも、
ネットでは開示しない
リアルでも開示しない
どちらでも公にする

など様々な選択肢がありますが、ひとつだけ確実なことがあります。


それは今後、死を意識しながら生きる人たちの呟きや発信を、リアルタイムで目にすることが誰にとっても相当に多くなるだろうということです。

これまで亡くなる確率の高い高齢者は、 SNS で発信している割合も低かったけれど、今後は「若い頃からずっと発信してきた人」が高齢になっていきます。

また、そういった発信を目にして励まされたり考えさせられたりした経験のある人が増えれば、同じ境遇に陥ったとき、自分も発信したいと考えるきっかけになるでしょう。


書籍の闘病記(特に難病の)は過去にもたくさん出ていますが、編集者の手が入った書籍と、本人がリアルタイムに行う発信は、そのインパクトの大きさが相当に異なります。

わざわざ探してお金を出さないと読めない書籍と、自分のタイムラインに自動的に表示される SNS の発言では、目につきやすさも違います。

お金を払って友達や彼氏彼女をレンタルし、充実した私生活を送っているとアピールする人がいる現在、お金を払って「病気になった自分を心から思いやってくれる家族やパートナー」を雇う人も出てくるのでしょうか?

名も無き個人の多くが自らの「生き方」について発信を始める時代。それらは確実に、それを読む別のどこかにいる誰かの「生き方」を変えていくことでしょう。


そんじゃーね


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