モノが捨てられないのは心の問題

最近、引越の準備をしてるんだけど、(荷物の量を見積もりに来た後に)引越業者がくれたダンボールがなんと 80個!

もちろん多めにもってきてくれたのだとは思うけど、ほんとにここまで多くのモノが必要なのか。ダンボールの数を見ただけで落ち込んでしまいました。


みなさんご存じのように、この分野のカリスマといえば断捨離のやましたひでこさんと、片づけの魔法、近藤麻理恵さんのふたりです。

実はこのふたりの主張には、ある大きな共通点があります。

わかります?

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人生がときめく片づけの魔法
近藤麻理恵
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(上記は紙の本のみ。以下はまんがバージョン)
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それは、どちらもものすごく「スピリチュアル」だってことです。

ふたりとも具体的な収納テクニックを教えているわけではなく、「モノが捨てられない、片づけられない人の心」にフォーカスしています。

そして、こういう本がバカ売れしてる理由もまた明白。

モノが捨てられず家中にモノが溢れてるのは「片づけが下手だから」でははなく、「心や精神状態に問題があるからだ」と、みんな薄々気づいてる。

だからいくら「収納の工夫」をしても部屋はキレイにならない。


★★★


私の家は汚部屋ではないし、それなりに片づいています。でも、たとえキレイに収納できていたとしても「モノの量」は明らかに多すぎる。

そして今回、引越の準備をしながら、「私も心に問題があるんだな」って思うようになりました。


少し話を変えます。

一定の年齢になった時、親が住む実家が急速に汚くなっていくことに気づいたりしませんか?

子供たちがでていった後の家に、親だけふたりで住んでいる。もしくはどちらかが先に他界し、パートナーを失った片親の家にモノがどんどん増えていく。

これも心の問題ですよね。


人生の生きがいであった子供らが独立し、家を出て行ってしまい、世話を焼く必要もなくなった。もしくは、ずっと一緒だと思っていたパートナーを突然に失った。

その喪失感を埋めてくれるのがモノなんです。

子供やパートナー縁のモノを手放したら、それらの思い出まで=自分の人生まで、捨ててしまうことになる。だから決して片づけられない。

それ以上の大事ななにかは「これからの人生、自分にはもう絶対に手に入れられないから」


働き盛りで忙しく、家が汚部屋になってしまう若い人もたくさんいます。

これも「多忙だから片づけられない」と見るのは間違いです。問題は時間の有無ではありません。

もしその人の人生に、仕事以外の何かがあれば。たとえば、家に来てお茶を飲む関係の友達やパートナーがいたら?

部屋は汚部屋にはならないんです。

あまりに仕事が忙しく、他のことを考える余裕がなくなり、自分の人生に「仕事以外の何か」を望むことさえやめてしまう。

そして「仕事さえできていればそれでいいのだ」と自己暗示をかけ、他のいっさいの問題から目をそらす。これを心の病気と言わず、なんというのでしょう。


「孫にあげるつもりだから捨てるな」と、自分の子供が 30年も前に使っていたガラクタのおもちゃを大量に保管する母親もいます。

これって明らかにロジカルじゃない。そんなもん、孫は喜ばない。

ここでこの母親が「捨てられない」のはなんでしょう?

それはおもちゃなんかじゃなく、「子育てに必死だった頃の(今はもう手に入らない)充実感」であり、「様々なことを犠牲にして子育てすることを選んだ自分の人生の選択の正当性」です。


でも誰もそれを褒めてくれない。みんな自分の苦労を忘れてしまっているかのようだ。

もしも、もしも子供や夫や周りの人や、家族がみんな心の底からの感謝を口にだしてくれたら、あの頃の私の大変さをちゃんとねぎらってくれたら、それら大量のモノを「証拠」として貯め込んでおく必要はなくなるのに。


子供が小さい頃の運動会や文化祭を撮影した大量のビデオが捨てられない親も同じ。

毎日「パパ!」「ママ!」と自分に飛びついてきてくれたあのかわいい子供たち、今はもういない、自分に完全に依存していた子供たち、

そして、「誰かの人生にとって不可欠な存在だった頃の自分」が捨てられないんです。

だってもはや自分を「不可欠の存在」として慕ってくれる人は誰もいないから。これからも出てこないから。


★★★


私も今回、引越のパッキングをしながら、「あたしも他人のことは言えない。これは明らかに病気でしょ」って思いました。

なぜこんなにモノに執着し、「もったいない」と思うのか。

そこには何か、心の問題があるんじゃないか。

そう思ったんです。


実は、いざモノを捨てようと思ったとき、捨てやすいものと捨てにくいものがあると気づきました。

私は昔の思い出については捨てることに躊躇がありません。

大量の過去の写真や、大学の卒業アルバムや卒業証書まで(一応デジタル化はしましたが)現物はさくっと捨ててしまいました。

過去の旅行の思い出の品みたいなものも、ほとんど残していません。


なぜそれらを捨てることに躊躇がないのか?

大学時代の(実質的に大事な)思い出が、卒業証書や卒業アルバムに凝縮されていないからでしょう。あたしは(よく呟いて炎上してるように)、大学での教育にはあんまり価値を感じなかったんです。

むしろ、「卒業証書に書いてある大学名」で人を判断する世の中を軽く軽蔑してる。だからそれらを捨てるのはすごく簡単。


本もほぼすべて捨てています。最近は電子本しか買わないし、保存したい紙の本の大半はデジタル化してしまいました。

家に巨大な本棚を作り、蔵書をずらーーーーと並べてる人がいますが、ああいうコトをしたいとは、まったく思わない。

なぜか?

「物理的な本を置いとかなくても、そこから得たモノはすべて自分の身になってる」という自信があるからです。

だから本をずらーっと並べ、「うん。これだけの本を読んできたのだから、オレは私は大丈夫! 自分の意見に自信を持とう!」とか思う必要がない。


反対に、読んだ本ではなく「いつか読むつもり」の未読本を貯め込む人は「本を読む気になれない自分」が許せない(受け入れられない)。

だから物理的に本を貯め込むことで自分にプレッシャーをかけてるんだよね。

「本を読まないから自分はダメなのだ」「本さえ読めば自分ももっと成功できるはず」というコンプレックスさえ克服できれば、未読本は増えなくなる。


そういえば、昔は熱心に集めていた和食器もあらかた処分してしまいました。

これも、知人に家で料理を振る舞うときにも「センスのいい食器を使っている私」ではなく、「話して楽しい私」のほうが自信をもっておしだせる、そういう気持ちになったからでしょう。


反対に、捨てられないもの、どんどん増えていくものの代表格が(私の場合)洋服です。

たいしておしゃれでもないのに、なんで服がこんなに捨てられないのか。

まだ考え中なのですが、おそらく私はファッションセンスに自信がないんだと思います。

だから服の数に頼ろうとするんですよね。

イザ何かのときに着ていく服がなかったらどうしよう! 

そう思うから(その不安から)大量の服を手放せないんだと思います。


だとすれば私が服を捨てるために必要なのは、「少ない服でもなんとかできる」という着こなしセンスに関する自信か、

もしくは、「どんな服ででかけても他者からの見られ方は変わらない」という自分の中身への自信、なんだろうなと思います。


ちなみに「痩せたら着られる」と今は体の入らない服を捨てられない人の多くが抱えているのは、「今の(体型が崩れてしまった)自分は、本来の姿ではないはず」という思いです。

今の自分を受け入れられないから、「いつかは戻るはず」の日に備えた服が捨てられない。


あと、うちにはやたらと「予備の○○」というのが多いんです。文房具から洗剤のような日用品まで、めっちゃたくさんある。

これは「人混みが嫌い」なことから来てそうです。

私はコンサートにも花火大会にも行けません。人の多いところは息が詰まりそうになり、気持ち悪くなるから。

なのでバーゲンもいかないし、それどころかできるだけ割り引きのない日=人の少ない日を選んで買いにいきます。


ところが震災などでパニックが起こると、特定の商品がなくなり、みんな大挙してそれらの商品が入荷した店に押し寄せます。

そういうとき、私は自分がそれらを手に入れるため、バーゲン並の争奪戦に参加できる気がまったくしてません。それを考えると怖くなる。だから、やたらと備蓄を増やす。


もちろん最低限の備蓄は必要です。

でも私の場合、その恐怖や不安感から、必要以上の備蓄をしていると感じます。おそらく自分の不安感を(ロジカルな範囲に)コントロールすることができてないんでしょう。

このようにモノが増える背景には、なにかしら「ココロ」や「自分」の問題があるんです。


テレビで貧困問題を扱う番組を観ていると、彼らの家に溢れるモノの多さに驚きます。反対に富裕層のお宅拝見では、ものすごくすっきりした家が映し出される。

もはや「モノの多さ」は、経済状態の相反指標と言えるほどです。


そこには貧困であるが故に抱えてしまった心の問題(もしくは貧困の原因となった心の問題)や、解決できないままに放置されている家族間の問題など、

「片づけのスキル」や「片づけるための時間」とは異なる本質的な問題が存在しています。


断捨離番組でやましたひでこさんは、「夫がまったく片づけてくれない」と憤る妻の止めどない愚痴を聞き取っていました。

言うまでもなく問題なのは「片づけない夫」「断捨離に非協力的な夫」ではなく、「子育てが終わった今、これから 2人でどう暮らしていきたいのか、じっくり話し合えていないふたりの関係」のほうなのです。


モノが増えること
片づかないこと
家が汚くなっていくこと


それは精神的な問題なのだと理解する。

まずは自分の心や生活に潜んでる、より本質的な問題を探らないと始まらない。

今回の引越で私はようやくそのスタートラインに立てた気がします。

まだまだ大量のモノに囲まれてるんですけど、とりあえず自分への覚え書きとして書いときました。



そんじゃーね


下記、どちらも最初に読んだ時はあまりにスピリチュアル過ぎて引いちゃうくらいでした。でも今はその意味がよくわかる。モノが捨てられない、溢れてるのは心の病気なので、そこから始めないといけないのだと。

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