公共事業はなぜ必要か

ちょっと前に某県を旅行したとき、あたまで理解はしていたものの、ホントに車がないと全く動けないんだなーと心底、理解できました。

日本って狭いようで広いよね。東京に住んでいると忘れがちですが、日本でもちょっと田舎にいくとアメリカと同じ。車がないと生活できません。


しかも今回、訪れた場所はかなりの僻地だったので、レンタカーで 30分、1時間と走っていてもホントなんもなかった。

コンビニとかランチ食べるファミレスさえなかなか見つからない。

ああいうのって集中出店だから、無いエリアにはとことんないのだわ。


なのでドライブ途中にご飯食べるのにも苦労しました。

ちょっと街っぽいエリアに出たときにすかさず必要なことは全部やっておく。ガソリンいれて、ご飯たべて、飲み物とおやつを仕入れて、トイレに行く。


加えて思ったのは「ここに住んでたら、いったい何やって働くんだろう?」ってことです。

店も工場もないってことは職場もないってことでしょ。

選択肢は、農業や林業など一次産業と公務員(農協とか郵便局とか近いようなのを含む)、あとは公共工事の建設員くらい?

どれも今後はジリ貧だろうし、いったいこれからどうなるんだろうと他人事ながら心配になります。


公共事業で作られた無駄なものを特集する番組などがありますが、ああいうのって基本がお門違いなんです。

だって、地方にあんな巨大な箱物があれこれ必要だから作ったわけではない、ってことは皆わかってる。


必要だったのは「何かを作るための仕事=雇用」と「それに払われる国のお金」であって、もやは干拓地やダムや橋や道路や公民館などが必要だから作ってるわけじゃない。

なので後から「多額の税金を注ぎ込んで造ったのに誰も使ってない!」とか責められても困る。

最初から・・・必要なのは建造物じゃ無くて、仕事だったんだもん。


一方、都市部では人手不足の業界も多い。

プログラム書く人なんて今、すごい不足してて、求人の数もハンパじゃないです。

しかも、プログラム書くのってインドでできるくらいなんだから、日本の地方でできないわけがない。

とはいえこれも“鶏卵な話”で、そういう仕事がないから若い人は地方から出て行ってしまうし、若い人がいないから、地方でプログラマーを大量に採用するのは不可能。

ホントは“地方の経営者”たるべき(その地の)政治家がリーダーシップ発揮すべきなんだろうけど、なんせ政治家、特に地方選出の政治家なんて未だにキーボードが自分で打てない人も多そうですからね。。。


私としては、地方に“住める”状態を維持することはそれなりに大事なんじゃないのと思っています。

ただ、それを実現する方法として「要らない建造物を作る」以外の手段もそろそろ考えないとね。日本も「もう、リッチじゃない」んだから。


ネットで完結するビジネスの多くは東京でなくてもできるわけで、後は誰がリーダーシップとるか、なんですが、これこそまさに地方大学の役割では?

さっきも書いたように一次産業を必死で守るだけの政治家では無理でしょ。

市役所も苦しいよね。そういうセンスのある人って地方に残って公務員になったりしてないもん。

でも地方大学は、一応「大学」なんだから、ここでいっちょ頑張らないといけないのでは?


そもそも地方のリデザインは地方大学にとって地域貢献でもボランティアでもありません。自分のためでもあるはず。

こんだけの少子化なんだし、自らの存亡がかかっているはず。


田舎に仕事を!
地方大学は自分の役目をよく考えて!



ではまた明日


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