キャリアプラニング学部ねえ〜

最近、雑誌や新聞に大学の広告が多いですね。少子化で大学全入時代だから一流校以外はまじで大変。

「学生である中国からの留学生の多くが、大学のある町に住んでいない」と報道された田舎の大学がありましたが、今や早稲田大学でさえ学生の3人に一人は一般受験生ではありません。付属校を含めた推薦入学や留学生やらで確保しているのです。「よってらっしゃい、学生さん!」の時代です。

最近目立つのが“働き方・生き方を教える専攻”です。“キャリアデザイン学部”とか“ライフ・プラニング学科”とか。就職支援室がそのまま学部になったような大学の学部が出現してます。なんかこれ、すごい違和感あります。その違和感の元は、「それって高等教育機関で教えるべき学問なのか?」ということ。

マーケティング的には悪くないんでしょう。親にとって恐怖なのは、自分の子どもがニートや、フリーターになること。こういう学部に入れて、しっかり社会人にしてくれるならとても意義深い。

でもちきりんとしては、この学部の学生の就職率が非常によい!ということにはなりそうにない、とも思いますが。

★★★

そもそも大学って何を教えるべきなんでしょうね・・・。

ちきりん的に大学を類型化すると、下記のようなイメージです。

  1. 誰も授業にでてない学部(大学)=大卒資格販売大学
  1. 高校みたいに出欠をとり宿題を出して、ほぼ全員がまじめに出席している学部(大学)
  1. 短期的な実利に役立たないことを学ぶのが学問であると信じてる学部(大学)
  1. 企業の開発部門への移行組織になっている学部(大学)
  1. 職業訓練校としての学部(大学)


ちきりんは、一番最初の類型の大学に行きました。二番目のは短大とか女子大に多い。3番目のは、国立の理学部の物理系とかね。素粒子系や宇宙系です。四番目が工学部。最後のが医学部、薬学・看護系学部、特定大学の法学部、一部大学の商学部などですかね。キャリアデザイン学部てのは、最後の類型の新バージョンでしょう。

高等教育で教えるべきこと、学ぶべきことって何なのか?

つきつめると話がややこしい。なぜなら、そもそも学ぶために大学いってるんじゃなくて、“働き始める時期を延ばすために行っている”というところさえあると思うから。

では視点を変えて、「じゃあ、ちきりんは大学で何を学んだのか?」について列挙してみると下記かな。別に授業に限定せず。大学時代に、ってことですが。

  • 法律学って何なのかがわかった(法学部でした)
  • 自由の中でいきる訓練ができた
  • 職業の向き不向きがわかった。(起業と店舗販売業は向いてないと思った)

という感じでしょうか。最初のだけが授業で学んだことです。


2番目のは結構重要だと思ってます。高校までは“これをやりなさい”というのが大半だから、自分でチョイスするという環境での訓練が全然できてなかった。大学ではバイトや部活も含めて、どういう生活を送るか自由度が高いし、一定のお金を自分でコントロールできる。

生きるってことは選択の連続だから、この訓練をしてから社会に出るのは意味がある。自由の中で“私は何をしたいの?”ということに直面させられるから自分のことも理解できる。

最後のも意義がありますよね。やってみないと向き不向きってわからないから。


こうみると、授業からはホント学んでない。あんまり授業でてないから当然とも言えるけど。高校まで授業にちゃんとでていたのは、強制力があったからなんだとわかった。

ただ「大学時代」という意味では非常に意味があった。あそこで今の生活のすべての基礎が得られたとも思っている。学生以外のいろんな社会人の人と出会う機会も多いから、社会人としての訓練もできる。海外に行き始めたのもこの頃だし。でも、授業の意味はないのか?


いや、実はそれなりにいろいろ学んだと思います。専門の法学については、“法律学の意味”として立法論と解釈論、戦略論・社会学的な視点、という法律を通して社会を考える複数の視点を得られたのは意味があったと思います。

法律以外の教養科目であった社会学とか経済系学問から学んだことも役立ちましたよ。金利、為替を含むマクロ経済の基本を学んだり、社会学も多種多様で非常におもしろいゼミや授業がありました。(なんせ“社会派”なもんで)

純粋な知的好奇心からおもしろいと思えたことって、高校までの授業ではあまりなかった。“いい国、作ろう鎌倉幕府”とか言ってても知的好奇心なんて刺激されないよね。


で、思うのは、大学の授業ではあまり実利的なことを教えない方がいいよな、ってことです。法学部でも、例えば司法試験の役に立つような勉強ってマジおもしろくなかった。この辺が“キャリア・プラニング学部”に違和感を覚える理由だと思います。そんな実利的なこと教える必要があるのかな、って。

就職するため、働くモチベーションを惹起するため、みたいなこと専攻にすると、4年間が“就職予備校”的になってしまう。受験が終わって次は就職活動、はい、次は出世競争、営業競争、とか、そういう人生って変でしょ。人生は“何を達成しなければならない”ってことはないのに、常に次に越えるべきバーを上から設定してしまうようなことをしない方がいい、って思います。

自分は何を達成したいのかということ自体を考えることに意義がある大学で、“これが次に達成すべきことです。就職と働く意欲の惹起です。”みたいに言われるのは矛盾があると思うんだよね。


ちきりんにとっては、大学生活は、人生で初めて「達成しなければいけないこと」が提示・強制されなかった4年間だった。だから、自分で「達成したいこと」、「どう生きていきたいか」を考えることができた。

逆説的ですよね。就職しなければならない、働くことには意義がある、みたいなことを「学ぶべき事」として提示されてしまうと、結局、働く意味を見つけられないという気がする。

誰かに提示されなくてもそう思うか?という問いに自分で答えがだせなければ、働けないよ。働くって大変で、しかもすごい長いからね。“やれと言われたからやっている”“意義があると言われたから働いている”では続かない。


4年後にこういう学部でた人が社会にでてくるのが楽しみです。もちろん、ちきりんの今の考えが正しくないことを祈っています。働くことを、テストで良い点とることと同列に考える人が沢山でてこないことを祈ってる。働くことには意義があると頭で理解したから働いているんです、では続かない。人生長いから。働くって大変だから。


みなさん、頑張って
ではまた明日〜