島崎藤村 破戒

1962年製作の映画を見ました。しかも描かれている時代は、製作年のずっと前の、戦前のお話。

島崎藤村の本を映画化した「破戒」っていう映画です。

内容ご存じの方も多いと思います。暗い映像です。テーマも重い。

被差別部落に生まれた主人公がその出自を隠して生きることに耐えられなくなって告白するお話ですね。本は大昔に読みました。でもこの映画は、私がその本読む前にできています。


教育映画として作られたわけじゃないのに、こんな時代にこういうテーマで直球映画を創るというのは、結構すごいことなんじゃないかと思いました。

客はお金払って映画館にこれを見に行くわけですよね、それって、かなり文化度高くないとできない気がします。

7−8年前かな、被差別部落名のリストを購入した企業があるとかの新聞記事を見ました。

なんだかなあ、という感じです。この前、京都に行ったときに、タクシーの運転手さんが“本籍地って好きに変えられるんですよね。被差別部落問題があるからね”って言っていたのにも驚きました。

ってか、もはや本籍地なんて何も意味も無いのに、なんで未だに役所はあんなもの管理してるんですかね。

★★★

高校の時、そういう地域の出身の人がいました。

ちきりんの高校は地元の進学校でした。つまり彼は中学までとても成績がよかったということです。

ほぼ全員が大学に進学するその高校で、彼は受験をせずに就職しました。別に仲間はずれにされたりしてたわけではありません。

でも、なぜかその事実は皆が知っており、そして、彼は、友達を作らないようにしていたと思います。


私はすごく楽しい高校生活を送りました。大学生活と同じくらい高校もおもしろかった。すごくいい友達に恵まれた。

彼にとっては高校生活はどんなものだったんだろう。

全然楽しくなかったんでしょうか。それでもいくらかは楽しい高校生活だったのかな。

ほとんど受験一色になる3年生の一年間を、彼がどんな気持ちで過ごしたのか。


大学にいかなかったのは経済的な問題ではないと思います。地元の国立大学ならアルバイトで通えます。“大学にいく意味がない”そういう判断だったのだろうと思います。


私は一度、高校の社会科の授業で泣き出してしまったことがあります。学校でみんなの前で泣いたのはあれが最初で最後です。

被差別部落のことについての授業の最中でした。先生のお話とビデオが終わって、その後、話し合いの時間になりました。

先生が“質問、意見のある人は?”と問いかけ、私は手をあげた。でも、先生が私を指名して立ち上がって、そしたら何をどういえばいいのか全くわからなりました。

“被差別部落に生まれたら、成績がよくても大学にいかないの?そういう判断があり得るの?だとしたら、それはなんでなの?”って聞きたかったんだと思います。でもそれをどう表現して良いのか、わからなかった。


その質問自体が彼を傷つけるんじゃないかと思って言えませんでした。

私が泣いてしまったので、先生も他の生徒もびっくりしちゃってました。私自身もびっくりした。あたしは何に対して泣いたんだろう。

ちきりん18歳。若いなあ。あまりにも未熟なちきりんであります。


私はずっと彼と話がしたかったのに、何故か話しかけられませんでした。

あまりにも苦労知らずの自分なんかが、土足で踏み込んでいいテーマだと思えなかったからです。

彼が誰も友達を作ろうとしないのは、そういうことを聞かれたくないからなんだろうなと思ったからです。

それは彼のそういう意思表示だと感じたからです。


クラスのほぼ全員が“どこの大学を受けるの?”と騒いでる。その中で、自分一人だけ大学進学予定がなかったら、そのことだけでもとても寂しいと思います。

そして、その理由が、自分が被差別部落の出身だから大学なんか行っても意味がないから、ということだったとしたら。

ちきりんだったら、彼のようにちゃんと毎日授業にでてくることさえ、つらくてできなかったんじゃないかと思います。

努力しても意味無いなら努力しない、ってグレてたかも。(またそれを見て、だから部落の人は・・とか言う人が出てくる悪循環・・・)


彼は強かった。それとも、強くならざるを得なかったのかもしれない。いろんなことを経て、強くなっていたのかもしれない。差別ってどういうものなのか、あの頃少しだけ私は学んだと思います。


私の人生は幸せな人生です。

あの頃から、その楽しい人生を自分の力だけで手に入れたのだとはまったく思えなくなりました。

どんなに努力をしても、自分の力だけで幸せな人生を送ることができるわけではない。傲慢になってはいけない。すべてのものに感謝し、いつか何かに恩返しがしたいと思う。


彼は結婚して子どもがいたりするのかな? 彼の子どもが今は他の人達と同じように、将来に可能性を自由に感じることのできる時代に、今は変わっているのだと信じたい。

それがまだできてなかったら、人間には知恵がないということだよね。


★★★


中学の時にも同様の立場の友達がいました。

彼女は大学からアメリカに行きました。英語ができたわけでも親が裕福であったわけでもないです。

唐突に、でも、ごく当然なこととして、彼女とその家庭はそういう道を選んだ。


私はその頃はもう泣かなかった。こうやって人生を作っていくんだな、と思いました。「なんでいきなりアメリカなの?」などという馬鹿な質問をしようとは思わなかった。そういうことです。


私が最も怒りを感じるのは、あの映画の作られた頃には無かった問題についてです。

それは、エセ同和団体や、腐敗した同和行政や、同和活動を私的に利用しようとする人たちが存在するということ。

今や差別問題とこれらの利権問題を区別して語れない人さえいる。人間はほんとに悲しい。


ちなみに冤罪として有名な狭山事件は 1963年に発生しています。この映画ができた翌年です。

その裁判の第二次再審請求が棄却されたのは、今年の3月。


この国の権力者は、権力による差別の歴史を、一個人の死をもって世間が忘れる日によって終焉させようとひたすら待っています。

40年もの間、過ちを間違いを認めようとせず、自分たちの仲間を守るために。


これを人権侵害と言わずになんというのだろう。自分の生きている社会に正義が存在しないのかもしれないと感じるのは、ほんと悲しい。

別の差別の話だけど、元ハンセン病患者らの宿泊を拒んだ旅館が問題になったのは、なんと 2003年のことです。

その問題が報道されると、この現代においても差別的な趣旨の手紙や電話が関連施設に送られてきたと報道されていました。


私が差別問題についてひとつ確信を持っていること。それは、「差別の根本原因は“無知”である」ということです。

“知らない人は差別しない。意識しないから。”という考え方があります。でも私は、この意見は完全に間違ってると思ってます。


知らないことにより、無意識のうちに差別を許容し、差別が伝播する手助けをしてしまっていると考えるべきです。

温泉旅館の誰かが“宿泊を拒否しよう”と言い出した時に、“そんなもんかな”とぼんやり消極的賛同を示した“知らなかった”人たちが、これらの差別の存続を許してるんです。

無知は大きな罪です。そしてたぶん、無関心も。

野中広務さんの回顧録、読んでみようかな。そういう気になったちきりんです。


ではまた明日

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