Pollitically Correct

今日は“差別用語の言い換え”について書いてみます。

実は島崎藤村の「破戒」も、初版本はまさにこの理由で一時期絶版にされています。で、絶版だと誰も読めなくなるので、かなり時間がたってから、差別用語を“言い換えた”バージョンで新版が発行されました。ところが、またこれも大きな批判を呼びます。で、現在販売されている本はまた初版本原稿に戻っています。ただし、必ず言葉の使い方、意味についての解説を伴って、ということです。

これは映画でも同じですね。一時期は差別用語が含まれる古い映画を、テレビ等においても再放映しない、とか、その部分をカットして放映、という時期があったようですが、今は、“この映画には差別表現が含まれているけど、そのことも含めて時代を伝えるために、敢えてそのまま放映しています”っていうテロップが最初と最後にでてきます。んでオリジナルが見られる。「知っていて、この場合は使うと判断した」というアプローチです。

未だにオートマティックカメラのことを「バカチョンカメラ」という人がいます。無知だから、知らないから使っていい、ということにはならない。でも差別問題をタブー視して、きちんと教育してないのに無知を責めるのも限界がある。教えられなくても自分でちゃんと勉強しなさい、という自己責任論ををどこまで適用するか難しいです。

今、映画の中で主人公が(その職業が医師だの教育者であっても)ぷかぷかタバコを吸うシーンは沢山出てきますが、そのうち、“タバコは肺ガンの元で吸うべきではありませんが、そのことも含めて時代を伝えるために、敢えてそのまま放映しています」などというテロップがでるかもしれません。「この映画では、女性だけが家事をしています。家事は男女平等に負担すべきですが、それも含めて時代を伝えるために、敢えてそのまま・・・」なども考えられます。なんでも行き過ぎると滑稽です。

★★★

破戒が初版本から差別表現をすべて言い換えたり削除した新版を出した時の、言い換え事例を見ていると非常におもしろいです。というのは、被差別部落関係だけではなく、他の差別表現についても変更されてしまっています。例えば、“僕も男らしく○○すべきだった”みたいなセリフが言い換え、もしくは削除されてます。男女差別表現だから、ということです。結果としてものすごい量の書き換え・削除が行われ、全く無味乾燥な小説になったことで、新版への再批判が起こったのでしょう。

確か作家の筒井康隆氏も、この類の件への抗議として、一時期断筆宣言をされていました。(今もかな?)知っていることは前提としても、使うか使わないかという判断に関して、唯一の価値観を全員に押しつけることはどうかと思います。自分なりの判断を開示して使う人に対して、抹殺(この場合、出版を許さない)というようなことをするのは、ちょっと怖いです。

ちなみに出版というのは、非常にコントロールがしやすい。テレビもそうです。基本的に、大手2社の書籍卸が拒否すると日本では本は流通させられません。テレビもキー局は一桁くらいしかない。そういう意味で、ネットのようなコントロールできないメディアの出現は意味があるでしょう。そのネットにも規制の動きがあるのはおもしろい。これから議論が必要な分野でしょう。また同時に、筒井氏のように、他のメディアに、というのではなく、あくまで既存メディアに対して“思考停止になるなよ!”と挑むのも重要な動きだと思います。

★★★

アメリカにもPolitically correctという“言葉の言い換え運動”みたいなものがあります。こちらも近年行き過ぎが甚だしく滑稽な動きになっています。

例えば、黒人という言葉、英語では昔は、ネグロもしくはブラック(ブラック・ピープル)とか言っていたわけです。最近の大手新聞でそんな言葉を使う新聞はありませんが、昔はNY Timesとかでも平気で使っていました。肌の色で差別すべきでない、肌の色は何の意味もない、という考えからして、色を表す名詞を、人種を表すために使うのは確かに差別助長用語と言えるでしょう。今は、アフリカン・アメリカンとか言います。ちなみに、昔はオリエンタルズと呼ばれていた私たちは、今は、アジアン・アメリカンと言われます。

ところが、コーヒーを砂糖とミルク抜きでと注文するときにブラックというのを、あれもだめだ!と言い出した輩がいるわけです。んで、no sugar, no creamといい出す人が出てきた。これは行き過ぎですよね。だってコーヒーはミルク入れないと黒いじゃん。あれは色でしょ。なんでだめなの?って思います。黒という色を世の中から抹殺する気なのか??でも、ちきりんが20年前に飛行機に乗り始めた頃と比べると、ネイティブ言語が英語の人も相当この用例を使わなくなったという感じがします。飛行機で食事のあと、コーヒー配りにくるでしょ。あの時はスッチー(これも今はフライトアテンダント)も客も“ブラックで”という言葉を沢山使っていた。今は少なくとも乗務員の方が使うことはほとんどないように思います。

★★★

いくつか「ポリティカリー・コレクト」と言われる言葉を挙げてみると、
Physically challengedが○、handicappedは×

Business people ○ - Business man × これは、男性だけが働くという概念があった時代の用語である、というわけ。面倒ですね。サラリーマンという言葉は日本語なので、途中で変えるのが難しい。サラリーピープルってどうもなじみませんね。

Differently sized ○ - fat× 太っているではなく、“サイズが違う”
Financially challenged ○ - poor × “貧乏”ではなく“お金が厳しい状態”
Food server ○ - waiter, waitress × “給仕”ではなく“食事提供者”
これどうですか?? どうすりゃいいんだ?って感じですよね。

Involuntarily leisured ○ - unemployed ×
明らかに変でしょ。「雇用されてない」のであって、「不本意だが暇である」って何なんだ。さすがに失業率は今の英語のニュースでも、unemployment rateです。こんなのまで言い換えているマスコミはないです。

Husband, wifeもだめということで(なんでかっていうと、女性の配偶者が女性、男性の配偶者が男性の場合もあるから)、配偶者つれてきていいよ!というパーティなどのお知らせで使われる言葉は、Significant othersです。大事な人って意味です。冗談用語では、Functionally equivalentという言葉があります。下品なので訳しません!

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風と共に去りぬという映画があります。これに対して、「差別だと糾弾する気もないし、放映を禁止しろ、とも思わない。でも、私はあの映画を心から楽しむことはできない。」と米国南部に居住する“アフリカン・アメリカン”の友人が言っていました。「私たちの祖先がどう扱われてきたかという事を知るためには、いい(教育)映画だとは思う。」と。松本清張の(タイトル忘れたけど)らい病と呼ばれていた頃のハンセン病を扱った映画も、いくら注釈ページがついていても、当事者やその家族が娯楽として楽しむことは絶対できないと思う。放映中止にしてほしいと思う気持ちも理解できる。

(ところで今気が付いたけど、ちきりんが使っている日本語変換ソフトでは、らいという病名を表す言葉は漢字に変換されません。えたもひにんもでません。何か基準があって変換リストに入れないようになっているのでしょうね。)

タカラの大ヒットマスコット、ダッコちゃんも同様の理由で発売中止になりました。チビクロサンボの童話もだめ。虎がぐるぐるまわっているうちにバターになる。すごく質の高い童話だったと思います。ちきりん、このお話小さい頃大好きだった。

ちきりんは小学校、中学校で、女の子は家庭科で料理を作り裁縫を習い、男性がその時間で剣道をやっていたり電気系とか工作を習っていたのは、やっぱり違和感があった。あんな教育をしておいて、“女性は電気配線が苦手”とか“理系学問は女性に向かない”とか言うのはやめて欲しい。今は、出席簿も男女をまぜて“あいうえお順”で作られているそうです。

★★★

論争はあっていいと思う。知ることはとても重要だし、知った上で、使うか使わないか、その使用方法について議論・論議することが大事だと思う。それが教育ってことだと思う。“だめなものは一切使うな”というのは教育ではなく、言論統制だ。

歴史もそうなんだけど、きちんと事実を教えて議論し、個々人が判断基準を持てるように教育すべきだ。そうしないから感情論になってしまう。

ではまた明日!