太宰と三島

今日はちきりんの好きだった作家について。最近は社会派・経済派のちきりんですが、昔は純小説・文学好きな女の子でありました。

一番好きな作家は?と言われたら、太宰か三島か悩みます。

これは、ある意味皮肉です。ご存じの方も多いかと思いますが、三島は太宰が大嫌いだった。“うつ病”で自殺を繰り返した太宰に対し、「毎日腕立て伏せ20回やったら、あんな病気は直る」と言い放った三島。

東大法学部から財務官僚になった三島は強者の代表。地主の非長男に生まれ放蕩を続ける太宰。作品同様、その生き方もまさに対照的です。(太宰も東大ですが、仏文科。これも対照的・・・)

太宰の文学は、典型的な私小説型。

これがまた三島は嫌いだった。彼の方は、構築美とでもいうか、設計された美の世界です。

「あんな日記みたいなもん、売りもんにするなよ」って感じだったのでしょう。ちきりんは性格的には太宰寄りなわけで、太宰文学に対する気持ちは“共感”的なものです。

太宰治の本で好きなのは、人間失格、津軽とパンドラの箱かな。

彼は津軽、五所川原の地主の生まれです。ちきりんは太宰の生家(ちきりんが行った頃は旅館になってました。今は資料館らしい)まで泊まりにいったりしています。

かなり昔ですけどね。津軽は空気が澄んでいて、景色が拡がっていて、すごい田舎で、津軽富士と言われる岩木山がとてもきれいです。

五所川原から日本海側に(当時はまだ)JR五能線という電車が走っていて、一日2本しかないんですけどね(当時)、これがまた窓からの景色のいい路線なんです。ああ、太宰はここで生まれたのね、って感じです。

高校生くらいの時は、「もっと早く生まれていたら、太宰の情婦になって心中したかった」と本気で思ってました。

彼が高い円スツールに座っている銀座のバーでの写真があまりに素敵で感動していました。当時流行っていた写真が入るペンダント(ロケットとかいうのかな?)にその写真いれて首から下げてました。

そのバーにも行ってみた。大学時代は三鷹に住み、彼の菩提寺に毎年お参りし、玉川上水をじじじっと眺めたりしてました。(彼が自殺したところです。)

作品「津軽」は、彼が素直に故郷への想いを認めた作品で、やっぱ強がっていてもふるさととお母さんが恋しいんだよね!とほっとしました。

人間失格を読めば、ちきりんも絶望し、パンドラの箱を読むと、「太宰にも、こんな幸せな時期があったんだよね。よかった、ほんとよかった!」と小躍りしたくなる。

この本読んだとき、涙がでるくらい嬉しかった。それくらい、ちきりんは自分を太宰に重ねて心理同化してました。


★★★

一方で、三島文学はすごく作り込まれた文学でありながら、あまりにその作り込みのレベルがすばらしく、お芝居だとわかっているのに感動してしまう、みたいな感じです。

一番好きなのは、やっぱり豊饒の海のシリーズ。彼の絶筆の四部作ですね。

一番すごいのは、最初の「春の雪」です。これを芸術と言わずして何を芸術という?という感じです。

三島の作品はわりと海外に紹介されている方ですが、注目されるのはホモセクシュアルと、腹切りばっかり。こういう純日本的な美の形をちゃんと伝えて欲しいわ。

主人公二人が初めてキスをする場面があるんだけど、見開き1ページくらいを使ってその描写がしてあります。

それがまた、相当の読解力がないと、何が起こったのかさえわからないような日本語なんだよね。

ぼーっと読んでると、何?って感じ。じっくり読むと、「あー接吻したんだ!」ってわかるという感じです。(キスじゃなくて、接吻です!)


豊饒の海は、春の雪が貴族系の人の純愛を、2作目は奔馬で右翼の少年のお話。3作目が暁の寺、タイのワットアルンというお寺のことですね。すごくきれいなお寺です。タイ系のきらびやかな仏教世界のお話。

最後が天人五衰。すべて同じ人が輪廻転生で生まれ変わりながら、4つの人生が描かれます。三島はこの最後の本を書き終えた1週間後に、市ヶ谷の自衛隊本部で腹切りしてます。

「これで完成した」と、あの完璧主義の三島でも満足できる作品が書けたってことなんだと思う。だから書き終わってすぐに自決を決行に移した。

ああ、この自分の作品に満足したんだろうな、と思える芸術家って彼くらいしか思いつかない。

でも、あの作品なら満足してもあたりまえ、とも思う。それくらい完成度が高い。

この作品を読んだとき、日本語を母国語として理解できることを心から嬉しく思った。大げさじゃないよ。ほんとに。日本人に生まれてよかった、と心から思える作品だ。


と、ここまで三島を褒めちぎっておきながら、ちきりんは太宰に心惹かれる。

理屈ではよくわかる。才能も技法も、作家としては三島は天才的だ。でも、その人間としての強さが、どうしても嘘くさい。素直じゃない感じがする。どうしてそんなに形を重視するのか、と思う。

太宰は、自分の弱さを認めすぎ、あきらめ、絶望したことにより死んだ作家だが、三島はあくまでそれを、人間の弱さを否定して、認めざるを得なくなる前に生を絶つために、死んだ。

ふたりとも自殺だ。なんで死に方が一緒なのか。すごく不思議。あんなにも対照的な二人が、同じ死に方を選んだなんて。(太宰は自殺ではなく「心中」、三島は自殺ではなく「自決」だ、とは思うけど・・・)

そして二人の作品には、他にもいくつかの共通点がある。先にも書いた日本語の美しさ(太宰の日本語もとてもきれいです)、それと、自分なりの美意識をしっかり持っていたこと。

美というものがどういうものか、すごく明確に彼らは表現している。日本語というツールによって・・・


こういう人たちの作品に触れていると、つくづく思う。

ちきりんは中途半端な人間だと。もちろん三島と太宰は極端すぎる。大半の人は、こういう二人と比べたら中途半端だ。

だから、別に自己卑下しようとは思わない。でも、中途半端な人間が生きる人生は、とっても普通だ。

普通は普通で幸せだけど、極端な、不幸せでもいいから、一瞬の針が振り切れるような、そんな人生を送りたかった(過去形??)と思うこともある。ないものねだりだろうか。


ないものねだりです。


また明日〜



★★★

↓三島由紀夫を読むならこれでしょ(4部作です)

      



太宰治氏に関しては、好きなのはこの三冊かな〜