時代のキャスティング

エーゲ海で読んだもうひとつの本、「越山 田中角栄」。

佐木隆三さんという方のノンフィクション。これは社会思想社というところの現代教養文庫で、ベストノンフィクションシリーズの一つです。

佐高信氏のセレクション。おもしろそうなんで、シリーズで読んでみようかな。


ちきりんは田中角栄すきなんですよね〜。
なんか頼み事して、「よっしゃよっしゃ」と言われてみたい〜(どういう趣味?)


実は、自分でもなんで田中角栄が好きなのかよくわからない。説明できない。だから、こういう本を手にとったりするんだと思う。

読んでみて「やっぱ好きだわ〜」と思うんだけど、相変わらず何で好きなのか明確にならない。

三代目田岡一雄氏が好きなのとちょっと似てる気もする。どん底からすごい勢いでのし上がってくる、みたいな人が、ちきりんは好きなのかもしれない。


これも昨日と同じ。
ほとんど昭和史なんです。

「田中角栄」について書いた本ではなく、「田中角栄が生きた時代」について書いた本なんだよね。

55年体制とか言ってもわかんないんですよね。いや、自民党ができた年、保守合同、とかいう知識的なことはわかるんだけど、その時代の空気みたいなのを理解したいのだけど、それはすごく難しい。

百聞は一見にしかずっていうけど、「非体験事項を肌感覚で理解する」ってのは、そもそも可能なんだろうか。でもこれにチャレンジしないと、結局のところ「私の生活」以外は理解できないことになってしまう。

田中角栄とは何だったのか。個人が知りたいわけではない。この人が“田中角栄”となった時代が知りたいんだよね。


★★★

中国に行った時に、南京博物館、蘆溝橋博物館とかいくつかの戦争関係博物館をまわりました。

すごい格差があるのよね、博物館の施設に。

蘆溝橋博物館なんて、びっくりするような立派な建物で、冷蔵庫並に冷房が効いていて広くて・・・すげ〜とか思って回っていたら、一番最後の部屋にどでかーい写真パネルがある。毛沢東と田中角栄が握手してる写真。


「お〜、そういうことね。この博物館は日本のODAね!」とわかりました。

日中戦争の発端となった蘆溝橋事件に関しては、日本が関東軍の謀略であったと認めてます。だから、お金出して謝ってるわけです。

展示内容の大半は、日本人としては下向いて歩かなくちゃいけないような内容なんだよ。でも、最後の部屋には、どどおおおんと田中角栄の写真。

この写真を展示していることで、「いろいろあったけど、今は中国政府は日本をパートナーとして認める!」って言っているわけです。博物館自体の展示の流れが、そのまま政治認識になってる。それがおもしろかった。


一方で、南京の戦争博物館なんて、舗装されてない道路に面した民家?みたいな建物でした。

骸骨とかが展示してあるんだけど・・・日本が公式に虐殺事件を認めてない(もしくは、虐殺数について相当の乖離がある)から、日本がお金だしてないわけ。

そうすると、博物館に冷房もかけられない。ほこりっぽい粗末な建物だったよ。街のはずれにあるし。そういうことなのです。

あの格差。皮肉だよね。中国からすれば、本当は立派にしたいのは、南京の博物館のほうでしょうに・・・(この話は15年以上前のお話です。今はもう中国もお金持ちだから立派になってるんだと思います。)


そこだけじゃない。中国では田中角栄の写真すごくよく見た。

当時の中国では、山口百恵と田中角栄が最も有名な日本人だった。

田中角栄って、戦略的なんだよね。だって、この人、大の共産党嫌いなんだよ。思想的には完全な反共。だったら、台湾と仲良くし続けるべきざんしょ。中国はあんたの嫌いな共産主義国だよん。


でも実利的に考えたら、台湾にいつまでも義理立てしててもしゃーない、とみんな思い始めた頃が1970年頃なわけですね。

でもみんな踏み切れない。その中でよっしゃよっしゃと決断し、毛沢東と握手しに行くってのは、ほんと実利的。

しかも、アメリカがまだ踏み切れてないのに、ニクソンより先に角栄氏が毛沢東と握手して中国と国交を回復した。日本外交がアメリカ外交に先駆けたのって、これくらいなんじゃないの?もしかして。


ちなみにニクソン氏が中国を訪問した日、日本では、浅間山荘事件が起こっていました。

犯人の母親が息子に投降を説得するための呼びかけの中で「今日、ニクソンが中国にいったのよお。世の中が変わりつつあるのよお」と言ってました(いや、直接は聞いてないけど・・)

これね〜、笑えます。あんなとこに立てこもっている人に、そんなこと言ってもなあ・・・「そうか、米国と中国も和解するのか。じゃあ、立てこもりをやめて出ていこう」とは誰も思いませんぜ、おっかさん。うーん、話それすぎだ。戻ろ。


この1972年の、田中・毛沢東会談って、日本側は通訳もつけずに行われていて、今でも歴史の闇と言われてるんだよね。

角栄は官僚を信頼してなかった。こんな歴史的な会談に、外務省の官僚は、ひとりも同席していない。

高校生くらいって“将来、外交官になって日本の外交を支えたい!”とか思う人多いんだと思うけど、現実はかなり違うってことです。

外務省に入っても、外交官になっても、外交なんてできません。その辺の大学生の方、間違えないように。(また逸れた・・)


田中角栄さんは、選挙で「地域別の得票率」を大事にするんだって。

これもユニーク。普通は得票「数」が大事なわけです、選挙ってのは。

人口1万人のエリアより、人口10万人のエリアの方が、少々取れるシェアは少なくても、得票数は多くなりますよね。

だって、10万人の10%とれば、1万人のエリアで100%とるのと同じ数の票が手に入るんだからね。


でも、角栄さんは、8000人しか選挙民がいない地域でも、その内の得票率が8割とかいう数字を重視していたんだって。

これってどういう戦略なのかなあ。ドミナント戦略?コンビニじゃあるまいし・・・よくわかりません。

何か動物的なカンでもって、そういう数字が大事だと思ったんだろうな。WHYポケットに入れておきましょう、これは。


★★★


ちょっと戻るけど。田中真紀子氏って、なかなか芽がでそうにないですよね。ひところは期待感もあったけど、今はもう、首相になるとは思えないポジションになっちゃってますよね。

それって、二代目が必ずしも一代目と同じ適性を引き継いでない、ってこともあるんだけど、ちきりんは、むしろ、成功ってのは時代とのマッチング度合いで決まるんだと思ってるわけです。

つまり、田中角栄があそこまでいったのは、彼の絶対的な能力や資質の高さというよりは、あの時代とのマッチングがぴったんこだったから、と思っているってこと。

「時代を作る」みたいな言い方があるけど、時代を作ることができる個人なんてのはいない。時代ってのは、超多数の個が発散するエネルギーのベクトルの合計で方向が決まってしまうから、社会のエネルギーであって、個人のエネルギーではないんだと思う。


でも、たまたま、その社会のエネルギーが向かっている方向に、自分一人で最初から歩いてました、って人がいる。

その人は、たまたま「俺はこの方向に歩いていくぞ」って感じだったんだけど、結果論としては、社会がその人の後ろからドオッッとついてくる。

そしてその人は、時代の寵児とか、時代を率いるリーダーとか言われる。

そういうことなんじゃないかと思ってる。生まれるのが早すぎたり、遅すぎたりすると社会のリーダーにはなれない。ほんの一歩だけ早く生まれる。これが“結果論として”時代のリーダーとなった人の現実じゃないかと思うんだ。


田中角栄が生まれ生きた時代は、彼のやり方がドンピシャにはまった時代だった。

真紀子氏はその父のやり方を踏襲しているけど、そのやり方は、彼女の時代においてはもはや人々が向いているベクトルと合わなくなっている。だから彼女が父親を超えることはあり得ない。


★★★


私たちは謙虚であるべきだ。

世の中が変えられるとか、世の中を変えてやる、とか思わない方がいい。

世の中は、いずれにせよ変わる。その時代に生きている人たちのエネルギー・ベクトルの合計値の方に、その分だけ進む。

そっちの方向に自分が立っているかどうかは、偶然の産物でしかありえない。

もしかしたら時代と逆行しているかもしれないし、時代の先頭に立っているかもしれない。それは、個人にはコントロールできないことなのだ、とちきりんは思ってる。


田中角栄にしても、田岡一雄にしても、野村徳七にしても、時代が必然として作り出した人たちだ。

「Mr.時代」という監督から「お前、主役やれ」と任命された(もともとは)名もない個人である。

田中角栄がいなければ、誰かが毛沢東と握手しているのだ。それは個人ではない。時代の主役、というキャスティングだ。そういうことだと思う。


越山にあらざれば人にあらず

今日の一冊。「越山 田中角栄」

ではまた明日〜


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/