災害という”機会”

本日は災害の話。

神戸の大震災で、初めてなのか”再”なのかわかりませんが、極めて明確に認識されたことがあります。

それは、災害マーケティングと災害利権です。

いずれも、災害に遭われた方には、使うこと自体が大変申し訳なくなる言葉です。でも、社会派ちきりん、やっぱり書いてしまいましょう。


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阪神淡路大震災・・・この大震災は日本に多くの”初めて”をもたらした災害でした。

まず一番注目されたことがボランティアという行動。

テレビに映し出される悲惨な状況に日本各地から多くのボランティアが駆けつけました。

この時は、ボランティアという行動が日本で初めて大規模に起こったという意味では画期的ですが、同時に多くの問題も提起しました。

ボランティアが生活する際に出すゴミの問題やら、彼らの食事、宿泊の手配の大変さ、みたいな話です。


で、見ていると昨年の新潟の地震の時には、このあたりすごく改善されていました。

曰く「ボランティアの方は、自身で宿泊、食事、足回りを確保してから来てください。これらの費用に一日あたり○○円かかると見積もってください。」とか、「まずはボランティアセンターに登録し、保有スキルと希望業務を登録してください。」などなど、ネットで見ているだけでも、大幅にロジスティックスが改善しました。


ちょっとそれるけど、ボランティア活動者が神戸で学んだ重要なことがもうひとつあります。

それは、「被災者が求めているのは、弁当と毛布だけではない。」ということです。

この学びにより、新潟の際にはスポーツ選手や、絵本を読むだけのボランティアや、お年寄りと話そう!みたいなボランティアも多数登場しました。

神戸の時までは、「災害地を訪ねて野球教室なんて不謹慎」という感じがあったのです。新潟ではそれはもう全くありませんでした。


行政も学びました。神戸では抽選や受付順に”公平に”臨時住居を割り当てたために、近所コミュニティが破壊され、数多くの自殺者や孤独死が発生しました。

新潟で、町内ごとに同じ臨時住居が割り当てられたのは、神戸の教訓です。(ちきりんが行政を誉めるのは珍しい??)


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そして、実は企業も多くのことを学びました。

あの時、企業は純粋な??人道的措置として、神戸に大量の物資を寄付しました。まあ、一部は在庫処理を兼ねていたかもしれないけど、大半はピュアな人助けだったと思います。ここで二つのことが起こりました。


お湯が供給できている避難所に送られた”インスタントみそ汁”(例です)は、いままでそんなものを飲んだことのない人たち(毎日、みそ汁を自宅で作っていた家庭の主婦や、老人世帯等)に、すばらしい印象を残しました。

”インスタントのみそ汁ってけっこう美味しいんだな・・・”。寒空の中焼き出され、乾きモノしか食べていない3日間の後に飲むインスタントみそ汁(ラーメンでもいいんですが)。どれほど美味に感じることでしょうか。

そして一部の商品は、この地震後、関西での市場シェアを大幅に拡大することに成功します。意図せずして、です、もちろん。

でも、実はすごいパワフルなマーケティングツールであることを発見してしまった企業が、そこにはありました。

そして、そのあおりでシェアを失ったライバル企業も、WHY?の分析により、その秘密を知ってしまいました。


一方で、お湯が供給できていない避難所に運ばれ、食べることができないまま段ボールのままで雨ざらしにされた”インスタントみそ汁”は、被災者の恨めしい視線を毎日毎日集める結果となりました。

そのメーカーの名前は、被災者の脳裏にきっちり刻まれます。「アホなメーカーやな。お湯もってこいよ!」という心のつぶやきと共に。(ちきりん想像)。その後の、この商品の関西での売れ行きがどうなったか、想像してみてください。


新潟で地震が起った時には、多くのインスタント食品メーカーが、今度は「意図的に」これらの機会を活用しようとしました。

どの避難所にお湯があるのか、どの避難所に電子レンジが設置できるか。電気が復旧したらすぐさまレンジや給湯器と共に商品を送りたい。

でも、お湯の利用できない避難所に、段ボールにつめた「食べることのできない状態の」食品を大量に送ることだけは、絶対に避けたい。


彼らは、ほとんど市役所職員のような動きをしました。

むしろ市役所より情報収集能力はすぐれていたかもしれません。各避難所のライフラインの状況、避難している人数、避難者のプロファイル(マーケティング的にはこれが超重要!)などを調べまくり、そこまでの道路の状態を調査して、順次必要な物資を供給する・・・

あんたら災害対策本部のスタッフ?って感じの動きをしたメーカーもあるのです。

これが、”災害マーケティング”。あまりに不謹慎であり、決してマーケティングの教科書にHow toが掲載されることのない、ひとつのマーケティング手法として確立したのです。


「あの国で、ライバル会社に負けている」「どうしても○○国への進出が上手くいかない」と悩んでいる日本のメーカーがあるとしましょう。

さてクイズ。彼らは何を考えているでしょう。

さすがに災害を待つなどということを、言うつもりはありません。しかし、いざという時にはすぐさま援助をしたい!と思う会社があり、その準備やマニュアルを作っておくことは、将来の被災者にとっても決して悪いことではありません。

そしてこの場合、誰も損しません。いわゆる「WinWin」というやつです。


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もうひとつの話題にうつりましょう。災害利権です。こっちはたちが悪い。

日本は豊かな国なのです。

神戸で自宅が全壊したある知り合いが、興奮して叫びました。「神戸はもう100年だめだ!」でも、実際には10年で神戸はむしろ昔より圧倒的に綺麗になりました。

都市計画的には、地震により50年節約できた、と言われているのです。(これも不謹慎なので、大声では言われません。)


戦争が終わったとき、先進国になるのに30年かかった日本。

しかし、一地域なら全壊しても10年で復興できます。

なぜか? 

他の地域から(直接的には国から)多大な復興支援(直接的には補助金)がでるからです。

そして、その額があまりに巨大であるため、”利権”が発生してしまうのです。なんとかその復興支援を、自社の売り上げにつながる形で使って欲しいと思う人たちが、早々に強力な政治活動、誘致活動を始めるのでありました。


そして・・・・神戸の人達までが”いらんで、あんなもん”、という神戸空港が来年開港したりするわけです。

ルミナリエだって似たようなものでしょう。大人気で、それなりの意義はあったものの、様々なお金が様々に動いたであろうことは想像に難くありません。


そしてよりヤバイのは、マーケティングと同様に、この利権業者達も、「災害はおいしい」と学んでしまったことなのです。

こちらは、マーケティングと異なり、「意図的に行われると、必ず”Winner and loser”の関係になる」という問題が発生してしまう。

結構やばい感じ・・・です。

昔、地方の行政団体に1億円ずつばらまくという近代希に見るばかげた政策が行われた際にも、巨大な利権ビジネスマーケットが発生しました。

これらの利権業者が、代金の1割くらいのコストで作った「自称・テーマパーク」が、今や、当初の目的の「地域興し」には全く貢献せず、無惨に雨ざらしにされていたりします。



資本主義と言うのは、お金の臭いがすると、「悪い人が虎視眈々と、自由に、パワフルに暗躍できる」世界なのです。

私は、資本主義擁護派(いわゆる、竹中さん支持派)ですが、でも、やっぱりこういうところにはもっともっと市民のパワーが必要だと思います。


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ちきりんがカリフォルニアにいた頃に、大規模な山火事がありました。(空に炎があがるって、まじ怖いですね。私も避難しました。戦争ってこんな感じ?と思いました・・・話もどします。)

山火事は1週間続くすごい規模で、多くの人が家を失いました。多くのボランティア団体がすぐさま組織され、すごい人力をかけ、また、すごい額の「寄付」が集まって復興支援にあたっていました。その時に、ボランティア活動を特集するテレビで、取材に応えてある人が言っていました。


「こんな大災害の時に、被災者支援の中心がボランティアであることを、私たちは誇りに思ってよいのだろうか?これが日本だったら、すぐさま政府が救援活動を開始し、ボランティアが救援の主力になるなんてあり得ないのではないか。私たちは、なんのために税金を支払っているのか。」と。

おもしろい意見だな、と思いました。

当時は日本はイケイケどんどんのバブル真っ最中。

アメリカは、(パパ)ブッシュ大統領が日本に来て晩餐会で倒れるという悲惨な状況でした。アメリカが日本にたいして忸怩たる思いを抱いていた非常に特殊な時期であったため、こういった発言がでてきた、という背景はあります。


それにしても、おもしろい視点だと思うのです。

資本主義システムは、今のところ「唯一の解決方法」です。これ以外の「よりよい解」を私たちは持っていない。

だから、ちきりんも市場原理を支持しています。


しかし、同時に様々な問題を生むシステムであることも否定できない。

それをどう解決していくのか。日本では小泉首相の「構造改革」、アメリカでは「NPOのガバナンスとディスクロージャー問題」として、その解決方法が模索されています。

いずこもおなじ。資本主義体制を選んだ現代のそれぞれの国が、考えていかねばならない問題、避けては通れない問題であると言えましょう。

というわけで(何が??)また明日〜