世の中で多くの人がやっていることをやらないと、“何故?”と聞かれます。
定職についてないと“なぜ?”、中卒で働くというと“なぜ?”、地方都市で結婚していない 30代後半女性も“なぜ?”と聞かれるし、結婚 5年目で子どもがいなくて“なぜ?”と問われる人も多いでしょう。
この“なぜ?”は、厳密に言えば「なぜ他の人がやっていることを、あなたはやらないのか?」という質問です。
ですが、質問している人はたいてい思考停止状態なので、そういう質問だと認識していません。
“なぜ、あなたはフリーターなの?”という質問の裏返しとして、“なぜ、あなたは定職についているの?”という質問も成り立ちうることを、質問者は認識していないのです。
自分がやっていることは、世の中の大半の人がやっていることである。したがって、自分は“普通”であり、普通でない人に“なぜ?”と聞くことは自然なことである、と質問者は思っています。
でも世の中の正非は多数決で決まっていくものではないし、人と違うことをやること、考えることは、決して不自然なことでも悪いことでもありません。
民主主義とは多数決のことです。でも、それは「多数派の意見が正しい」という意味ではありません。
“なんでフリーターなんかやってんの?”という質問の本質は、“僕は定職についていないと将来が不安だから定職について、理不尽なことも我慢しているんだけど、なぜあなたは定職についていないの?”ということです。
これなら聞かれた方も答えやすいです。
“いや、僕は別に不安を感じないんだよ。”とか“理不尽なことに耐えられないんだ、俺”とかね。
でも“なぜ世間の人と同じ事をしないのか?”と問われても、“なんで皆と同じことする必要あるの?”と聞き返したくなります。
なぜ?と聞く人は、いったい世間の大半の人がそんなことしていなくても、自分はそうしているのか?とまず自問自答してほしいです。
世間の大半の人が結婚していなくても、あなたは結婚するのでしょうか?
籍をいれるか否かによる社会的、法的な差異が小さいスウェーデンやフランスでは、同棲や事実婚が日本より圧倒的に多いです。
好きなら一緒に住んで、子どもが欲しければ生む。でも、法的に結婚するかどうかは別問題、と考える人がたくさんいます。
そういう環境であれば、同居してすぐに籍をいれるカップルの方が、“なぜ結婚したの?”と聞かれることでしょう。
つまり、本質的にどちらが自然な状態か?という問題ではないのです。「どちらがこの地域、この時代において、多数派か?」という話なのです。
どちらかが「本質的に自然な形」なのであれば、自然な方から不自然な方へのみ“なぜ質問”が成り立ちます。
でも「本質的に自然なこと」なんてのは“社会的なこと”には存在しないので、たいていは「特定時期の特定地域における多数派から少数派の方向」に“なぜ質問”が投げかけられます。
日本でも、2代前の時代には、“なぜ女が大学に行くのか?”と言われました。今なら反対の方向に質問は投げかけられます。
★★★
大半の人が東に向かって歩いている時に、西に走っている人というのは、心から西に行きたい人なんです。
みんながやっているから、という理由以外に、「西を志す強い理由」がある。軽く「西に行きたいな〜」くらいでは、みんなが東に向かって歩いている時に逆行したりしません。
作家の谷崎潤一郎氏は結婚・離婚を繰り返すだけではなく、女性関係がむちゃくちゃです。
気に入った芸者と結婚しようと思ったけど、彼女には旦那がいたので“かわりに”その妹と結婚してます。「あいつの妹ならいいに違いない」ということで、どんな女性かほとんど知らずに結婚したようです。
でも案の定その女性とはうまくいかない。
で、なんと友人にその「妻を譲渡」しています。その時、わざわざ他の友達らにも挨拶状をだして「僕は○○に妻△△を譲ります」と知らせている。
友達の方も押しつけられた訳ではなく、谷崎の奥さんと情が通じていたみたいで、つまり関係者合意の上の譲渡らしいです。
いくら今とは時代が違うとはいえ、これが当時の常識だったとも思えません。彼は「周りを気にせず」自分のやりたいようにやってたのです。
谷崎氏の最後の妻、松子さんと彼は、どちらにも配偶者ある身で出会っています。ある日、どこかの家の応接室でたまたま二人きりになった時に谷崎氏が松子さんに言った言葉が有名。
「お慕い申しあげております。」
この時、谷崎 48歳。昭和 9年= 1934年夏の終わり。
48歳で双方に配偶者があって、わざわざ両方離縁して再婚しようってすごくないですか?
不見識なことを言えば「浮気してればいいじゃん?」っていう気がするんですよね。別宅のある作家なんて珍しくもなかった時代だし。
でも思うのは、こういうのって「みんなが東だから俺も東」ではなかったんだろうな、っていうことです。
時代や周りがどうあれ「俺はこうする」というものがあったんだと思える。
★★★
というわけで、「多数派の人、むやみに少数派の人にたいして“なぜ?”って聞くのやめてよね」ってのが今日のメッセージです。
世の中の人と同じ事をやっている人が、そうしない人に“なぜ?”と聞くその言葉ほど、その無知をあらわにし、傲慢なるものはない、と思うのです。
少数派の人というのは、「自分はこれしかない」という道を進んでいるのです。
その人に対して、「俺は世の中と同じ事をしているのに、なぜ、お前は人と違うことをしているのか?」と聞く。
そう考えると安易に「なぜ?」と聞くのが恥ずかしくなったりしませんか?
結婚している方へ:世の中の大半が結婚しない社会でも、あなたは結婚してますか?
大学へ行っている方へ:世の中の大半が中学をでて働く社会でも、あなたは・・・
働いている人へ:世の中の大半の人が、プーの世の中でも、あなたは・・・?
★★★
谷崎が松子さんにプロポーズしたのは、避暑地の別荘かなにかです。
古びた居間
昼間でも暗く涼しい別荘の居間
そこで、谷崎は静かに、たった一言だけ言った。
「お慕い申し上げております。」
これって究極のプロポーズよね、って思います。
なぜなら、彼はそう言わなければならなかった。
相手は松子さんでなければならなかった。
なんとなく、とか、
成り行きで、とか、
そろそろそういう時期だから
ではないのです。
気に入った芸者の妹をめとるとか、妻を友人に譲渡するとか・・・「むちゃくちゃな」と思います。「みんながやるようなことではないから」「むちゃくちゃな感じ」がするのです。
でも、谷崎から見れば、それは無茶でもなんでもない。必然です。彼はそうしたかったからそうしただけ。
反対に彼は問いかけている。
「あなたがやっていることは、周りが今と違っていても、誰もそういうことをやっていなくても、それでも、やっていることですか?」と。
しがらみの中に生き、世の中の多数派が提示する基準に基づいて評価されることを欲し、それを無意識なレベルで「自分の生き方」であると思いこむ。
凡人ってのはそういうモンです。
皆が東に歩くなら、東に
皆が西に歩くなら、西に
もちろんちきりんも、そういう人間です。
いいさ、凡人で。
↓松子さんが谷崎氏との出会いや生活について書いた本。愛ってこういうことなのね、っ感じです。あと、松子さんの品格を感じます。