戦後60年ということで、様々なテレビが特集を組んでいます。明日は
・終戦記念日(日本の一般人の皆様)
・敗戦記念日(日本の思想家、社会派の皆様)
・独立・解放記念日(韓国と中国などの皆様)
・戦勝記念日(アメリカなど戦勝国の皆様)
です。あちこちで、それぞれの記念日が祝われるのでしょう。
「原爆投下の是非」という問題について、下記の3つの視点から書いておきます。
(1)原爆を落としたアメリカの行動の正当性
(2)原爆を落とされた日本の行動の正当性
(3)原爆が落とされたことの影響
★★★
(1)原爆を落としたアメリカの行動の正当性
ふたつの主張があります。
ひとつは「戦争を早期終結させるために原爆は必要、有効であった」「原爆を落としてなければ、日本は本土決戦までやっていた。落とさなければ、アメリカでも日本でも、もっと多数の犠牲者がでたはず」したがって「アメリカはある意味ではいいことをしたのだ」という主張。
もうひとつは、「アメリカはどうしても実際の都市への原爆の使用実験がしたかった」という主張。
終戦後、ソビエトとの対立が始まることは既にわかっていた。だから今、原爆を落とすタイミングを逃すと、ソビエトとの核戦略上、圧倒的な優位性を確保できる機会を逸してしまう。
そこで、原爆の投下実験が可能になるまで戦況を引き延ばし、落としてからすぐに終戦に持ち込んだ。こうすれば実験結果の収集もとても容易だし、ソビエトが使用実験をする機会も奪うことができるという主張です。
ちきりんは明らかに後者が正しいと思ってます。前者を信じる人は、「アメリカがイラクのフセイン政権を打倒したのは、圧政に苦しむイラク国民を救うためである」という主張を信じているんでしょう。
そして後者だとすると、このアメリカの政府(軍部)の判断と行動は、アメリカの立場から見ると、極めて正しい行動だと思います。
しかもすごいうまくいった。アメリカは古くはベトナム、最近ではイラクなどでも戦争に失敗していますが、日本との戦争に関しては「すこぶる成功した」と言えるでしょう。
(2)原爆を落とされた日本の責任
ちきりんは日本人としてはこの議論が一番大事かも、と思ってます。日本軍部(政府)には、このことについて重大な責任があるでしょ。
そもそも原爆が落とされるずっと前から、日本に勝ち目がないこと、これ以上戦争を続けても死者が増えるだけだということは、軍部も政治家もわかっていたことです。
この年の春までに降伏しておけばよかったのに、その判断を先延ばしにした思考停止のリーダー達の責任は余りに重い。
さらに、広島に原爆が落ちた時にその悲惨な結果を国民に知らしめず、またもや判断を引き延ばした。そして長崎での二度目の実験をアメリカに許してしまい、被害者を倍増させた。この件に関してはマスコミも含め、当時の軍部、意思決定者の責任は本当に大きい。
日本はこの年の7月に、ロシアにたいして「米国との講和の仲裁をしてくれ」と依頼したりしています。情報収集能力、判断力のいずれにおいても、この国の政治家や外交官はバカすぎ。
そんなだから、原爆実験がしたくてしたくてたまらなかったアメリカにうまーくだまされた。まあ仕方ないのかも。日本にはそういうことを考える余裕も、アメリカの意図を読む能力もなかったのだから。
これは、「実力のないチームが、試合で負けました」という話だよね。
負けた責任はあるか? あります。
負けないようにできたのか? できませんでした、だって実力ないんだもん。
ということです。
開戦も終戦も、無謀なことをやって自滅したのです。我が国は。
最後に
(3)原爆が落とされたことの、影響
原爆が落とされたその結果は、どう評価できるのか?
悪いことと良いことがあります。良いことがあるとかいうと、反発をくらいそうですが。
悪いこと
・直接的、間接的な人の命と生活の毀損 (しかも甚大なレベルの被害)
・“核保有”を軍事的優位性の中核手段に位置づけてしまったこと。核の力を世界が認識した。だから、イランもアフガンも北朝鮮も(インドや中国はもちろん)核を求めるようになった。
良いこと
・「核は人類と地球を滅ぼす可能性がある」ということに対して、現実的に訴求できる材料ができた。世界があの被害を見ていなかったら、米ソ対立のなかで 10発ずつ発射されちゃった!みたいなことが起こったかもしれない。
・もうひとつ、“核保有”に関して、日本に「アレルギー的忌避感」ができた。これは、日本の視点からも、世界の視点からも、よかったと思います。
今、日本が復興して、核に対するアレルギーがなくて、日本の米軍基地に核がバンバン装備してある状態だったら、中国も韓国も今どころではないレベルの警戒をしていたでしょう。そしてそれは、アジアの安定と成長を大きく阻害していたと思います。
世界の火種というと中東と欧州の一部がよく取り上げられるけど、日本が核を装備していたら、アジアも確実に“世界の火種地域”のひとつだったでしょう。
朝鮮戦争、ベトナム戦争と、アジアにも極めて不安定な時代がありました。ところがその後、アジアは急速に政治的に安定し、経済発展に舵をきり始めます。この環境要因として、日本の核アレルギーも大きく貢献したと思います。
★★★
もうひとつよく言われる、日本とドイツのどちらかの国に原爆が落ちる必要があった中で、なぜ日本だったか、という話。
・日本は白人の国ではなかった。(有色人種への差別感)
・ドイツには、米国の同盟国の兵士が送られていたが日本にはいなかった。(ドイツに落とすと、英仏の兵士が被爆する可能性があった。)
・ドイツより日本の方が、原爆投下実験後のデータ収集の「独占可能性」が高かった。ドイツに落としたら、英仏、もっと言えば、ロシアにもデータが握られかねない。
などの理由があったのかな、と思います。
人種差別的な背景は「あった」と思うけど、それだけでもなかったんだろうとは思います。
ちなみに史実としては、アメリカはドイツへの原爆投下を一度も検討していないようです。最初から落とす国は「日本」と確定していました。
そういう状況だったということです。
以上。