満足の沸点

世の中には日常のささいなことで満足する人と、すばらしい結果がでているのに全く満足しない人がいます。

「どの程度のことが達成できたら満足するか」という点を、ちきりんは“満足の沸点”と呼んでいます。個々人によって満足の沸点は異なり、とても高い人と低い人がいます。

人生の中でも沸点の高い時期と低い時期があります。たいてい若い時の方が満足の沸点は高いため、若者は常に社会や自分に不満、フラストレーションを感じています。

けれど誰でも年をとるにつれて満足の沸点は下がってきます。中年からシニアの年代になれば「ご飯がおいしい」、「孫から電話があった」くらいのことで満足を感じられるようになります。


年齢と共に満足の沸点がさがるのは、悪いことではありません。満足の沸点が低ければ、より確実に「満足」を感じることができ、「幸せ度」が上がっていきます。それは若い人には妥協と見えますが、中高年からみれば“人生への感謝の高まり”です。

反対の言い方をすれば、何にも満足できずモンモンとするのは若者の特権とも言えます。満足しない心、すなわち高い“満足の沸点”を、年をとっても維持し続けることは結構難しいことなのです。


事業で成功した人の中にも、一定のところで「それより上」を求めなくなる人もいます。「人生を楽しもう」とか「見えてしまった」と言い出し、適当に楽しみながら会社を回すようになる。

お金は十分あるし、タレントも合コンに押し寄せる。若い時には考えられなかった贅沢ができる。そして、その現状に満足してしまう。

芸人さんや作家も同じで、“大御所”と言われる立場になって「満足しちゃいました」的な匂いがプンプンする人もいます。でも、人間は“満足の沸点”に達したとたんに、成長できなくなってしまう。

したがって、最終的に希有な結果を残せる人というのは、「他人から見ると大成功を収めているにも関わらず満足しない人」であり、この「決して満足しない」というのは“才能”と言えるくらいすごいことなのです。


ビジネス界で「沸点が高いな〜」と驚愕させられるのは、ファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井正社長です。2002年に社長を退いたのに 3年で(自ら指名した若者を追い出して)復帰し、4000億円の売上げを 5年後に1兆円にすると宣言しました。

満足の沸点の高い人は、求めるスピードが非常に速いです。なぜなら人生は有限なので、同じ期間で高い点に到達しようとするとスピードを速めるしかないからです。一瞬たりとも立ち止まらずスピードを緩めず走り切る必要があります。

5年前に若き新社長がユニクロを去ることになったのは、柳井氏の満足沸点の高さ、そして、それ故に求められるスピードについていけなかったからでしょう。方向性が同じでも、満足の沸点が違うと、人は一緒にやっていけないのです。


ところで、ユニクロの売上で 1兆円というのは、どういう数字でしょうか。

平均の商品単価を仮に 2千円として考えてみると 1兆円÷ 2000円は 5億個となります。これを日本で売ろうとすると、7歳以上 70歳未満の人口である 1億人が、ひとり平均で一年に 5個の商品を買うという計算になります。

ユニクロの商品はとても品質がいいので 3年間は着られるとすると、ひとりあたり 15枚のユニクロ商品をもつこととなり、夫婦二人に子供が一人なら 45枚のユニクロ商品が自宅に存在する計算になります。

3年以上着る人がいればこの数字はもっと大きくなるし、商品の単価だって 2000円より安そうですよね。

また、今は 7歳以上 70歳未満の1億人が全員買うと仮定したけれど、実際には 1枚も買わない人もいます。買う人が半分なら、10点以上のユニクロ商品を毎年買い続けてくれないと売上一兆円は達成できません。つまり、日本だけでカジュアル衣料単一商売をやっていては限界はあきらかなのです。


今後の選択肢はそんなに多くありません。

(1) 日本の外でも売る→ユニクロ商品の単価なら、インドや中国では日本の 10倍以上の購買層が存在します。そういう市場で成功すればまだまだ成長できるでしょう。

(2) 3年もたない服を売る→定番のTシャツやパンツだけではなく、普通のアパレルメーカー同様、「ファッション性の高い商品」を売れば毎年買い続けてもらえます。

(3) 単価の高いものを売る→高級品ブランドを立ち上げるとか買収する、などが考えられます。

(4) 服以外のものを売る→ユニクロの服はもう我が家に40枚以上ある、となれば、なかなか無制限に買うことはありませんよね。でも、服以外のもの、たとえば鞄や靴なら買ってもらえる余地がある。


実際にユニクロは海外進出や買収、浴衣の販売などを始めています。夢はどでかい会社ですが、やっていることは突飛なことでもなんでもありません。

しかし、こういう「しごく当たり前のまっとうな商売」を大規模に行うと、「当たり前のことが得意」な人が会社に集まり始めます。そして、そういう人の満足の沸点は、そんなに高くないのです。

すると組織の中に「今年も増収増益でよかった」と満足したり、新規事業でも「利益がでてよかった」とか「累損が一掃できてよかった」と喜ぶ人がでてきます。

人並み外れて満足の沸点が高い柳井社長にはそういうことは許せないでしょう。「そんなレベルで満足していてどうするのだ?」と。


いままでもファーストリテイリングは事業の責任者、経営が担える人材を育てるための様々な人事の仕組みを導入してきました。

けれど今回、柳井社長は「経営者は育てられないと学んだ。だから探してくることにする。」とおっしゃっていました。実際に外部から積極的に幹部候補生を雇い入れているようです。

「何は学べて、何は変えられないのか」という点は興味深い点ですが、ちきりんは“満足の沸点”には個人固有のレベルがある、と思っています。

人事制度などのインセンティブの付け方によって「より熱心に働く」ということはあっても、また、各種研修制度によって「手法を学ぶ」ということはあっても、なにかの制度によって個人の満足沸点が高くなる、ということはおそらく起らないと思うのです。


なので、柳井社長のような満足の沸点が桁外れに高い経営者が“次の世代”に期待されるのは、まずはなによりも“少々の成功では決して満足しない人”ということになりそうです。

そうなると必要なのは、満足の沸点が非常に高い人を外部から探し出してきて採用し、事業のやり方や経営手法を後から教えこむ、という方法です。

アパレル業界や経営についてよく知っていたり、海外市場について詳しいとか語学が得意ということも大事ではあるでしょうが、まずはなによりも“満足の沸点”が高くないことには、ああいう経営者の方と共に走ること自体が難しくなってしまいます。


世界の富豪として名を連ねるレベルの財産を築いた今でも、全く満足するそぶりさえ見せない柳井社長。今の日本における数少ない勝ち組企業であるファーストリテイリングの将来は、そんな社長とともに走ることのできる“満足沸点が異常に高い人”をどれくらい見つけられるか、そのことにかかっているのではないでしょうか。

もちろん、世界で勝負できるアパレル企業が日本から誕生することを、(満足沸点の非常に低いちきりんも)心から期待、そして応援しています。


そんじゃーね。