みなさんは、本をもらったこと、贈ったことがありますか?子供の頃はよく本をもらいましたが、大人になってから本をもらう機会は案外少ないのでは?
ちきりんは、この「本を贈る」という行為を過大評価というか過剰意識していて、ほとんど誰かに本をあげた記憶がないです。子供に絵本あげるのはよくあるでしょ。クリスマスとか誕生日に。でも、大人の人に本をあげる、というのは“怖くて”なかなかできない。
ある友人が、我が家に来たときに、本棚をじーっと見てるんです。なにしてるん?と聞くと、「本を見ると、その人がどういう人かわかるから」というんです。「へえ〜」と思うと同時に「不気味〜」とも思いました。
確かに本って、その人の内面をえぐり出すような気がする。私がどういう人か、何を考えているか、何にこだわっているか。いろんなものを浮かび上がらせてしまう。持っている本を他人様にさらすのは、初めて出会った人に「私の信じるもの」について懇々と説く、という行為にも似た、恥の多い行為に思えます。
★★★
自分が大人になってから「もらった本」で記憶があるのは、3冊だけです。で、どれも捨てずに置いてあります。
ちきりんに本をくれた3名は、なぜこの本をちきりんにくれたんでしょう?そこには、彼らが思うところの「ちきりん」像があるわけです。「ちきりんというのは、こういう人のはずである」「ちきりんは、こういうのを読めば(自分と同じように)こういうことを感じるはずである」という思いみたいなのがあるんですよね。
ちきりんが、これらの本を一生捨てないだろうと思うのは、本の中身の問題ではなく、「私は、こういう人だと思われていたのだ。少なくとも、ある特定の人から」という気がするからです。なお、3人とも恋愛関係にあったとかいう人ではなく、友人です。
ちきりんにとって、この3冊の本が、とても特別なものである理由は
(1)本自体には理由はなく、
(2)贈ってくれた人にも理由はなく、
(3)「ちきりんが、こういう本を贈ろうと思わせる対象として、他人の目に映っていた」ということに理由がある。
んです。
★★★
3冊の本の一冊目は、寺山修司 青春歌集。角川文庫で昭和47年発行の第三版。当時の値段で180円。歌集だから今でもちらちらと読んでます。
- 作者: 寺山修司
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2005/01/01
- メディア: 文庫
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寺山修司さんは大好きです。太宰と同じ臭いがする。そして天才。
「書を捨てよ、町にでよう」
「海を知らぬ 少女の前に麦わら帽の我は両手を ひろげていたり」
「地下室に樽ころがれり革命を語りし彼は冬も帰らず」
「息荒く夜明けの日記つづりたり地平をいつか略奪せむと」
「煙草臭き国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」
この本をくれた人は、ちきりんにくれるためにこの本を買ったのではなく、自分の本棚からこれをくれたと思います。
★★★
二冊目。V.E.フランクルという人が書いた「夜と霧」。訳本です。もともとはドイツ語。ナチスに強制収容所にいれられた人の記録です。著者は精神科医、心理学者ですね。
- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
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コレ・・怖くて読めないです。あと、難しい。
本の最後に、この本をくれた人の万年筆の文字が残っています。フランス語で「ちきりんの22才の誕生日を祝う」と書いてあります。
・・・
重すぎ
・・・
22才の女性の誕生日に「ナチス強制収容所の体験記」プレゼントします?普通・・・
しかも世はバブル真っ最中。ブランドもんのバッグとかアクセじゃないのか?
ちきりんがいかに「他人様に幻想を与えていたか」が思い起こされる一冊です。
★★★
三冊目。シモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」
フランスの思想家です。女性ですね。名前くらいは知っている、という程度です。思想書というより、詩集みたいだから、一部だけ読んでます。
重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)
- 作者: シモーヌヴェイユ,Simone Weil,田辺保
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1995/12/01
- メディア: 文庫
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「その人が、心のどの深さから語っているのか、ということは、聞き手にかならず伝わるものだ」という箇所にしおりをつけ、マーキングして贈られました。どーゆーことなんでしょう?ちきりんが「心のすごい浅ーいところから話しているのを、俺はわかっているぞ」ってことなんでしょうか。。。それとも反対?どちらにしても・・
・・・
怖すぎる
・・・
★★★
この3冊により浮かび上がる「ちきりん」という人は、この本を贈ってくれた人が感じた、もしくは、「そうであってほしい」と思ったちきりん像であって、実際のちきりんとは違う、と思います。
本を贈る、という行為は、受け取る側の人のことを理解した上で贈っている、というよりは、「その人はこういう人のはずである」という誤解と、「こういう人であってほしい」という幻想と、そしてまた「自分はこういう人である」という自己主張というか、「理解を求める切実なる心の訴え」みたいなものを表すと思います。
一方で、簡単に他人に本を贈ることができる人というのは、自分が本をもらっても、こういうこだわりを持たないんでしょう。だから気軽に人に本をあげることができる。
ちきりんには、その行為はあまりに「重く」て、もしかしたら一生誰かに本を贈る、という行為をしないかもしれないと思います。
ではまた明日