フラッシング・メドー

現在、アメリカ出張中。

店員が「アンニョンハセヨー」と言っている店で"UDON"(うどん)を食べた。味は推して知るべし。

なんだけど、店員が「いらっしゃいませ!」って言う店で同じモン食べると値段が3倍。だから、たいてい「ニーハオ」か「アンニョンハセヨ」のお店で食べる。

ブロッコリーを入れるのは許す。一応葱も入っていたし。
レタスと人参を入れるのも許す。お揚げは、単なる味無し油揚げだったけど、それも許す。

だけど・・・おつゆにキムチソース入れるのはやめてくれ!!と言いたかった。最初にわかってたら言ったのに・・・

次回は気を付けよう。人間は成長するのだ。


★★★


NYのラガーディア空港の近くに、通称フラッシング・メドーと呼ばれるエリアがある。メドーってのは草原だから、「光る草原」。なんか詩的な感じの呼び方。

以前は住宅地でも商業地でもなく、草原がそこにあった、というような場所。日の光を受けて、草が光ってたのかな。何もない場所だったのでしょう。


その草原地帯に、昔は日本人が住み着いた。NYの中心街から1時間弱。草原ってくらいだから開発もされていない土地。アメリカで日本の製品を売りたい!とやってきた、様々な企業の戦士達。

1ドル360円の時代。日本で貰っている給料が倍にして支払われていても、アメリカで裕福に暮らすには全く足りない。

黒人が白人と一緒にご飯を食べることが周囲の目をしかめさせていた時代に、タオルとトランジスタを売りに来たfar Eastの国の小さなアジア人たちが、不思議な言葉で騒がしく会話する。

下手くそな英語で、何を言われてもニコニコしながら、何度も頭をさげていく。この奇妙な人たちの中に SONY や HONDA の人もいたのだ。


その後、お金持ちになった日本人はこのエリアから出て行く。

もっと治安がよく、設備が整ったエリアに移り住んでいく。その後を埋めるように、韓国のビジネスマン達がここに住み始める。そして今は、完全なチャイナタウンになっている。


ここで「ニーハオ」で食べるUDONは、なかなか美味。

2月の旧正月には、獅子舞が街を練り歩く。

寂れたビル。壊れかけた家。走っているのはほこりだらけの超中古車ばかり。誰もここで人生を終えたいとは思っていない。夢のフラッシング・メドー。


★★★


ちきりんは行ったことないけど、中南米系の人ばかりが集まるエリアもある。ロシア系の人ばかりが集まるエリアもある。

成功してお金持ちになった人は、そのエリアから出て行く。日本人街みたいに、民族全員でいなくなっちゃう場合もあるけど、それは希。

だって、チャイナタウンからいくら成功者が出て行っても、新たに入ってくる中国人は尽きないから。


そういうエリアが、大都市の周辺に点在していて、そこではすべてが元の国のまま。食べ物、話される言葉、祝われるお祭り。そして、元の国の貧しさも同時にそのまま持ち込まれる。

ここで生まれる子供達もたくさんいる。国の制度によるけど、日本人のように「帰る国がある」場合は、せいぜい二重国籍で、一定の年齢になるといずれかの国籍をチョイスできる。

だけど、帰る国を持たない人もたくさんいる。彼らの子供は、アメリカ市民として生き始める。親の国がそのままに再現された町並みの中で。


★★★


規模は小さいけど、東京にもそういう街はある。

日系ブラジル人が集まる街は近郊の工場街に。大久保あたりには、韓国人街やフィリピンエリア。

「韓流」などと言われ、ヨン様グッズを買いに日本人のおばさまが押しかける前は、それは、日本人にとって近しい場所ではなかった。

日本の高度成長を象徴する新宿高層ビル街から、歩いていけるような距離にあったとしても。


中国メインランドからの留学生が怪しげな日本語学校に行くために訪日し、最初に住み始めるエリアがこのあたり。

昔は早稲田や東大に通う貧乏学生が下宿していたと思われるアパートだ。大半がせいぜい2階建て、全体で10部屋くらいの木造。

築50年がスタンダードのこれらのアパートには、庭に誰かが拾ってきた樹脂製の壊れたバスタブが置いてあり、庭用の水道蛇口からホースで水をひいて、住人達がシャワー代わりに使っている。

一部屋に一人というのは贅沢な方かもしれない。時には数人が、不特定多数の住人達が、一部屋を共有する。

家賃は2万円程度。それでも一人で払うには高すぎる。そういう人たちが住んでいる。今の話ですよ、昔じゃなくてね。


夜から明け方になると、フィリピン女性達が次々と戻ってくる。

朝になると、入れ替わりに昼間の仕事をする労働者や学生が部屋を出て行く。

時々酔っぱらいが迷い込み、立ちんぼのお姉さんに声をかけられる。


疲れた顔に長時間の化粧をのせ、安っぽいケバイ洋服に千鳥足。仲間から買った偽造国際電話のプリペイドカードで、真夜中に懐かしい祖国の家族に電話する。

自分が送る幾ばくかのお金に、生活の総てを頼っている家族の声が聞こえる。公衆電話ボックスで泣いている女性、男性。


★★★


小泉改革なんて何の関係もない。彼らの大半は選挙権を持たない。

それどころか、適法な在住許可さえ「有り難い」。日本人は年金破綻を心配するが、彼らの多くは病気になっても病院にいくための健康保険証を手に入れられない。

★★★


豊かな国アメリカにやってきた人たちは、フラッシング・メドーの生活に戸惑いが隠せない。

豊かな国ニッポンにやってきた人たちは、トラックが通るたびに振動するアパートで驚愕する。これが日本なのか、と。

豊かな国とは、豊かな人が住む国であり、誰もがそこにゆけば豊かになれる国ではない。

★★★

ホテルに戻る。部屋の掃除に来る人たちは、誰もネイティブの英語を話さない。多い言語は、オラ!(スペイン語)かニーハオ!だ。

国際空港を降りた後に乗るイエローキャブの運転手達に至っては、国の名前を聞いても場所が浮かばないことも多い。


朝早く着くと、観光客が集まるメインストリートに路上店を組み立てている多くの人たちが見える。

アジア人の顔もある。リヤカーに山ほどの商品と簡易組み立て式の陳列棚を載せている。

極めて秩序だって、もくもくと、機材をおろし、歩道の上に店を作っていく。最初にアルミの台をたてて、布をかぶせて、商品を並べる。


大都市の摩天楼を撮影した写真、大金持ちのスターたちがほほえむ似顔絵、どこかの国で作られた大げさなロゴ入りのTシャツ、一目でわかるブランドコピーの鞄や手袋。炭酸飲料とサンドイッチやごま付きプレッツェル。

気温2度。皆言葉も交わさず、もくもくと自分の「店」を組み立てる。


商品は借り物だ。一日幾らで機材と商品一式を借り受ける。売れた商品の利益分だけが彼らの一日の稼ぎだ。

彼らが店を並べる道の向こうには、一泊6万円からの高級ホテルと、武装したガードマンが入り口に構えるブランド品の路面店。二極化というのは、こういうこと。


★★★


ロシアの近くのなんとかっていう国から来たのだ、というタクシードライバーが言う。

「中国人はチップを払わないからキライだ」と。

そうね。中国人はまだ知らない人も多いのだろう。日本人だって、添乗員が口をすっぱくして「今日は枕の下に1ドル置いてください!!」などと言い始める前は、どんな時に、どうやって、どれくらいチップを払うべきなのか、知らなかっただろう。

「日本人は気前がいいから好きだ」とドライバーは言う。そうではない。気前の問題ではないのだよ。


ドライバーがタバコに火をつける。タクシーの中だ。客が私ではなくアメリカ人で、かつ、ご機嫌がちょっと悪ければ、彼は2日ほど豚箱に入った後、職をなくすだろう。

知らないということは、そういうことだ。



「アンニョンハセヨ」と言われたら、「No kimchi, please.」と言えばいい。
ホテルの部屋に掃除に来る人が、「こんにちは」と言わない。それは、とても幸せな国に生まれたということだ。


また明日。


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