退屈な時間を楽しもう

なぜそんなに忙しい生活が嬉しいんだろう?
やたらと忙しい休日を過ごしている人を見ると、そんな疑問がでてきます。


「常に他の人と積極的に関わりをもち、アクティブに行動する」ということに、むやみにポジティブな価値を感じている人っていますよね。

「朝から運動して一汗ながし、午後から映画を見に行って、夕食は○○会で大いに飲み大いに笑って、夜はベストセラーに目を通して・・」という日曜日が、「昼頃に起きてラーメン食ってボーッとしてる間に暗くなり、夕方からテレビを見ながらビールを飲んでいたら、また眠くなって寝てしまった」という日曜日より、「充実した日曜日である」と感じる人は、みんな何かに洗脳されてます。


そもそも「充実した休日」って、言葉として矛盾してますよね。なぜ休日が「充実」している必要があるんでしょう?休日は“休む日”なんだから、一日ゴロゴロしていて疲れがとれたらそれで十分です。


平日も休日もですが、「予定が入っていることがいいことだ」という考えは、下品です。時間に追いまくられることが、あるべき姿だとは思ってでもいるのでしょうか。

旅行も同じです。あそこ行って、ここ行って、あれを見て、これを食べて・・・。「旅行は疲れる」という人はそういう旅行をしているのでしょう。せっかく個人で旅行しているのに、まるでパッケージ旅行のように何から何まで予定を立てて予約を入れて、時間に追いまくられて旅行する。

予定がないと不安になるから、事細かに予定を立てる一方で、予定通りに進まないことがでてくると焦ったり怒ったり、罪悪歓を感じたりする・・・。これではいったい何のために旅行しているのかわかりません。


仕事に関しては予定を立てて効率的に進めるのは当然でしょうが、実はちきりんは休日の予定を立てるのは大嫌いです。基本的に一日に複数の予定は絶対入れたくないと思っています。「土日にひとつずつ予定がある」のも鬱陶しいです。たまーに「ああ、この日は予定がある」くらいでいいです。


退屈すること、予定が入ってないことが怖くなると一種の現代病です。ちきりんは時間さえあれば3日くらいボーッとして、「何一つ有意義なことをしなかった3日間」を過ごすこともできます。時々少しだけ「私、こんなんでいいんだろうか?」と思う瞬間もありますが、そんな時は血中アルコール濃度をほんのちょっとあげれば「これでいいのだ」と思えます。


ニートをやたらと問題視する考えもどうかと思います。誰にも迷惑をかけていないなら、全く有意義なことをしない人生も選択肢として認められるべきでしょう。

「有意義に生きたい人」は、自分だけ有意義に生きてください。他人にそれを押しつける必要はありません。他の人に、「有意義に生きていない人は存在意義がない、社会的に無駄である」とか言うのはやめてください。

ニートの元々の意味は、「仕事も勉強も職業訓練もしていない状態」という意味ですが、その前提には「仕事と勉強と訓練にしか価値がない」という考えがあります。でもそれこそ問題でしょ。世界の全員がたった3つのことにしか価値を認めないなんて、ちょっと怖いです。


本日はちきりん休日。唯一の「何か」はこのブログを書いたことだけ。


それでいーのだ!!


また明日