5種類のタイプ

世の中には 6種類の人がいます。

(1) 創る人


(2) 回す人


(3) 管理する人


(4) 考える人


(5) 破壊する人


(6) 何もしない人


すべては“創る人”から始まります。

「空を飛ぶ」という考えに取り憑かれた人達が、人生を賭けて飛行機を創り出しました。私たちが日々使っている便利な商品やサービスも、最初は誰かが突拍子もないことを言いだし、それがいつしか実現して普及したものです。

その昔、クロネコヤマトが社歴を振り返るテレビCMの中で、「宅急便ができるまで、ゴルフクラブを運ぶ人もスキー板を運ぶ人もいませんでした。全部、私たちが考え出してきたのです」と言ってました。

それは郵便局に対する、強烈な嫌みに聞こえました。「民間企業が市場に参入しなければ、今ある便利な新サービスは存在しなかった」と言いたかったのでしょう。

「自分達こそが市場を創って来たのだ」という自負に溢れたCMでした。


この“クロネコヤマトの宅急便”を世に出した小倉昌男氏の他、日本には多くのすばらしい“創る人”達がいます。

松下幸之助氏や本田宗一郎氏はもちろん、リクルートを創った江副浩正氏、ソフトバンクの孫正義氏、最近の多くのIT系、サービス系ベンチャー企業創業者もみんな新しい価値を創りだしています。


でも、彼らが創り出した価値を多くの消費者に届けるには、誰かが実務を担当しビジネスを回していく必要があります。

“創る人”だけでは、斬新なアイデアも絵に描いた餅で終わってしまいます。それらの価値を具体化してオペレーションを担当するのが“回す人”の役割です。

「求められたスペックを過不足なく実現し、必要なプロセスを迅速に着々と進める」のが得意で、プロセスやコンテンツの改善に自ら取り組む人達。

日本ではこの「回す人」が数多く存在し、かつ、とても優秀です。日本の教育制度はこのタイプの人を育てるために設計されたかと思えるほどです。


そして“回す人”のすばらしいオペレーションによって組織が拡大し、大企業になると、次は“管理する人”が必要になります。

会社が大きくなると“回す人”の人数が膨大になるので、その人たちの採用や人事管理をしたり、帳簿を付けて税金を払ったり、銀行からお金を借りたり契約書を作ったり・・組織の拡大と共に多種多様な管理業務が発生するからです。

それを担当するのが“管理する人”で、大企業ではこのタイプの人が最も出世することさえあります。


しかしそうやって大きくなった会社や組織も、数十年立つと制度疲労を起こします。時代の流れに合わなくなるのです。すると今度はそれを破壊する人が必要になります。これが“壊す人”です。

時には外圧(黒船や終戦)がこの役割を果たすこともあるし、時には自然(地震など)がすべてをゼロリセットすることもあります。

皆が慣れている既存の体制に大胆な変化をもたらす破壊者は、それが人であれ自然であれ、嫌われ、悪者扱いされるのが常です。


また、“壊す人”とセットで必要になるのが“考える人”です。

“回す”とか“管理する”のは「実務」です。彼らは日々の細々したことを迅速に処理する必要があり、腰を据えて分析したり、じっくり考えるのは時間的にも能力的にも難しいです。

そこで学者や研究者として、考えることを専門に担当する人が必要になります。

現状の分析に基づき、進むべき道を示し、その理由や方法論を体系立てて説明する。俯瞰的な視点と統計的な分析力、深い洞察力に加え、現実の社会や人間を理解するセンスも求められます。

残念ながら日本では“考える人”は、リアルな社会から隔離され(もしくは引きこもり)、大学など研究機関内で仲間のみと交流しています。

若手の研究者が企業で働いたり、シニアになって大臣や企業の外部取締役に指名されることもほとんどなく、考える人と他の人達の協業ができていません。


最後に、世の中にはかならず“何もしない人”もいます。何もせずに、すべてを批判している活動家もいるし、反対に、何にたいしても関心を持たない“社会に無関心”な人もいます。

★★★


社会が永続的に機能していくためには、一定の比率でこれらすべての人が必要です。

“壊す人”が多すぎると混乱するし、“創る人”が多すぎると“アイデア勝負”で楽しいけど何も進まない。

“回す人”しかいないと最初はいいけれど次第に行き詰まります。

“管理する人”はパラサイト民族で、多数の“回す人”がいないと存在意義が発揮できません。

“考える人”が多すぎても世の中は動きません。

また“何もしない人”達の存在こそが社会にリアリティを与えている一方で、全員が何もしないと社会は動きません。


大事なことは、社会、会社、地域、学校、クラスなどあらゆる“コミュニティ”に、これらの人達がバランスよく混じっていることです。


日本には昔から、“創る人”は継続的に一定数現われています。そして多数の優秀な“回す人”と“管理する人”が、その一部の“創る人”のアイデアを現実に結実させ、高度成長と先進国化を実現してきました。

でも今は、この国のあらゆる制度が制度疲労を起こし始めています。こうなってくると必要なのは“壊す人”であり、“壊して創るという、プロセス全体の道筋を示す、考える人”です。

たとえば小泉純一郎氏と竹中平蔵氏は典型的な“壊す人と考える人”の組み合わせでした。この二人が率いる体制に多くの人が期待するのは大胆な創造的破壊への期待が持てるからでしょう。

しかし、回す人と管理する人が圧倒的多数である日本社会では、壊すタイプの人は「あいつは壊すだけ」とか「壊される側の人の痛みがわからない」と非難されるし、考える人も「口が達者で難しいことを言っているだけ。机上の空論だ。現実を見ていない」と誹られます。

実際には、そういう非難をする人もまた「回しているだけ」か「管理しているだけ」です。

つまり、人にはそれぞれ役割があるのです。なのになぜか、「管理するだけの人には価値があるが、壊すだけの人には価値がない」という話になりがちです。


こうなると元々少ない“壊す人”や“考える人”をリーダーシップポジションから排除してしまえ!という力が働き、日本は“回す人”と“管理する人”ばかりが幅をきかせる社会になってしまいます。

そしてヒドイ制度疲労のまま、まったく変われなくなってしまうのです。


今必要なことは「社会には、“創ったり、回したり、管理したり、壊したり、考えたりする”様々な能力をもつ人が必要」だと認識することです。

そして、ひとりの全知全能のリーダーを夢見るのではなく、“創って、回して、管理して、壊して、考える”の各プロセスを、それぞれを得意な異なる人が分担すればよいと理解することでしょう。

そうすれば、“壊すこと”にも“考えること”にも、回したり、管理するのと同等の価値があると認めることができます。


これができないと日本はいつまでも“建て替えをせず、改修と上塗りだけで時代の変化を乗り切ろうとして、ぐちゃぐちゃになってしまった古い旅館”のような社会のまま、朽ちてしまうことになりかねません。

私たちはいつまで、「建て替えはしたいけど、壊すのはイヤ」と言い続けるのでしょうか?


ではまた明日 


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