コミュニケーション

「コミュニケーションとはナンなのか?」という話。

ちきりんの、「コミュニケーション」の定義は、「受け手側に、発信者側が感じていること、思っていることを、できるだけ忠実に再現・再生すること=感じさせること、思わせること」です。

例えば、ちきりんが怒っているとしましょう。コミュニケーションとは、相手(受け手)に、「ちきりんが怒っている」と思わせることです。

相手にそう思わせるためには、「私は怒っている」と言う、というのもひとつの方法ですが、「怒っている」とわかるような態度をとる方法もあります。

また相手がとても敏感な場合は、すごく婉曲な言葉や方法を選ぶ必要があります。そうしないと「私は怒っている」と言っても、相手は「ちきりんは、めちゃくちゃ怒っている」とか「激怒していて、もう一生許してくれないだろう」と受け取る可能性があります。これはコミュニケーションの失敗です。

発信者が伝えたいことは「私は怒っている」ということだけなのに、相手はそれ以上のものを受け取ってしまう。コミュニケーションとしては「巧く」ない。

反対にとても鈍感な人が相手なら、「私は怒っている」ことを伝えるために、すごーく怖い形相ですごーく怖い声で、何度も、しかも態度で示す、くらいのことをしないといけないかもしれません。そうしないと「ちきりん今日は機嫌悪いな」くらいにしか伝わらないかもしれないからです。

別のケースで言えば「ちきりんは全く怒ってない」のに、ちきりんの言葉を聞いた人が「ちきりんは怒っている」と感じてしまうこともあります。発信者が意図しないことを、相手が受けとってしまうケースさえあります。


と、「ちきりんが怒っている」ということを受け手側に伝える、というだけでも、すごく難しいってことなんです。普通にしてれば伝わるわけではない、ということ。


分解して考えると、コミュニケーションを成功させるためには、

(1)自分が何を相手に感じさせたいか、思わせたいかを正確に理解する。

(2)“相手の受動体の仕組みと感度”を理解する。

(3)相手の受動体に送るべき“適切なインプット”を言葉、イントネーション、態度などを組みあわせて具体的に選択する。

という3つのプロセスが必要です。


コミュニケーションのフローは、「(1)発信者の意図→(3)発信する言葉→(2)相手の受け止め方」ですが、考えるべき順番は(1)→(2)→(3)だと思うのです。「相手の受け止め方を理解してから、“それにあわせて”言葉を選ぶ」、これが(2)→(3)となります。

★★★

コミュニケーション能力というのは多くの場合「発信スキル」として語られるのですが、ちきりんはこれに違和感を感じます。

例えば「話し方教室」的なものや「プレゼンテーションの練習」みたいな講座ね。あれは、「発信者がいかにうまく表現するか」に主眼が置かれていますよね。でもちきりんに言わせれば、コミュニケーション能力とは、むしろ「受信側システムを理解するスキル」です。受信側のメカニズム、感度、バリエーションに対する知識や理解こそが、コミュニケーションには重要です。

だって、同じ言葉を聞いても受け取る側の感覚は様々であり、それはつまり「受信者の受動体」の仕組みやレベルが異なるからです。だったら、「どう話すか」「どう表現するか」を、相手を特定せずに練習してもしゃーないじゃんと思うのです。実際には相手だけではないのです。相手がその言葉を聞く時の環境や状況に応じても「受け止め方」は異なるわけですから。

だから、コミュニケーション能力を高めるためには、「いかに表現するか」ではなく、「受け手にはどんな人がいるのか?」をよく理解した方がいいと思うんです。「ある特定の言葉をどのように捉える人がいるか」という“受動体バリエーション”や、「どういう状況だと、この言葉はどう聞こえるか」という“状況バリエーション”を学ぶことが大事で、それを知らずして「表現方法」だの「言葉遣い」だのを工夫・練習しても無意味な感じ〜と思います。


「私はこういうつもりで言ったのに誤解された。」とか「必死で説明したのに伝わらなかった。」と言っている人の大半は、コミュニケーションは「発信スキル」で成否が決まると考えているように思えます。

「すごくわかりやすく説明したのに、わかってくれない」という言葉は、ほとんどジョークに聞こえます。その説明がわかりやすいのは、あなたと同じ受動体を持っている人だけです。もっとはっきり言えば「あなただけ」かもしれない。

わかりやすいかどうかは、受信者の受動体にとって「わかりやすいかどうか」が問題なのです。話し手が「わかりやすいはず」とか言っててもしゃーないです。発信者側の受動体を前提に「わかりやすいか、どうか」を判断することはできないし、一般論としての「わかりやすい話し方」などというものは存在しない、ということです。あくまで「特定の状況における特定の受信体にとって、わかりやすいか?」ということがポイントです。

★★★

実際のコミュニケーションはもっと複雑。だって、その場で瞬時に判断しなくちゃいけないから。一日考えて1時間話す、ということではなく、大半のコミュニケーションは、ピンポンのように言葉を交換するわけで、ゆっくり考えているヒマがない。相手の受動体の状況の変化をその場で判断する必要がある。周りの環境もそうですね。突然状況が変わることもある。

加えて、一対一だけではない。複数の人がいて、同時にコミュニケーションすると、ひとつの言葉を複数の受動体が受け止める。当然、受け止め方が異なる。ある言葉を「ある意味で」うけとったひとつの受動体を持つ人が、次の瞬間には発信者となり、ある言葉を発信する。それをまた、複数の受動体がバラバラの意味で受け取る。この繰り返しです。かなり複雑。かなり高度。


こういうスキル(コミュニケーションスキル、すなわち、受動体の理解)を鍛えるには、「できるだけ多くの異なるタイプの受動体を体験する」ことが役立つように思います。言葉を換えれば、「できるだけ自分と異なる人とつきあう」ことが大事な気がする。

同じような立場の人だけとつきあっていると、「こういう言葉は、こういう意味で伝わる」と思いこみがちです。学生だけで話す、同じ職業の人だけで話す、同じ年代や性別やの人だけで話す、同じ国の人だけで話す、ということしかしないと、自分が所属するコミュニティの人の受動体に共通する仕組みや感度を「あたりまえ」と思いこみ、意識しなくなってしまいます。そしてたまーに、異なる受動体の人と話す時に「なんで伝わらないの!!」となるわけです。


ちきりんのコミュニケーション力が鍛えられた最大の理由は、自分とあまりにも違う人たちと関わりすぎた、ことにあると思っています。(コミュニケーション力は鍛えられたけど、それを生んだ体験自体については、「関わることができた」というより「関わりすぎた」と表現したいような体験も多いです。)


ややこしくなってきたから、もーやめます。皆さんの受動体が、このブログの文章をどう受け止めたか、それは、ちきりんが「発信した内容」と同じなのか違うのか、どれくらい、どうずれているのか。全然わかりません。神頼み、です。


ではまた。