旅行記ソビエト7

さて、その後は旅行は粛々と続きました。さすがに郊外の見所はツアーで行くしかないし、ツアー自体もおもしろかったので、あと一日だけ同様に自由旅行をしましたが、お金ももったいないので、基本的には最初に申し込んでいた現地ツアーであちこち見ました。「日本から、“こんな国に”何しに来たの?」と何度も言われたよ。


下記は、ツアー、もしくは、一人歩きの中で、感じたこと。おもしろかったこと。

(1) 外貨ショップ

為替規制をしている多くの国、特に当時の共産国には必ず「外貨のみ使用可」というお店がありました。入るときにパスポートチェックがあり、外人か特権階級しか入れないという場合も多いです。現地の人にとっては考えられないような値段で、でも、他では手に入らない様々なものを売っています。

とはいえ、日本のお店とはイメージが違います。商品は豊富でもないし、素敵なものもない。生活必需品が中心です。日本のラジカセや時計、筆記具、100円ライターや、外国のシャンプーや化粧品などを売っています。客は少ないしディスプレイも全く単純。お店というより“売店”に近いです。

さて、モスクワでちきりんが興味があったのは、「米国製品があるのか?」ってことだった。「プロレタリアート独裁政権」のお偉いさんは、結局「帝国資本主義国」アメリカのグッズを買いあさっているの?ってのに興味があった。で、商品の裏側をチェックしてみたけど・・・多いのはやっぱり欧州製品と日本製品でした。米国製品はゼロとは言わないが少なかったみたいです。(まあ、欧州の方が近いしね)コカコーラあるかな?と思ったけど、なかったですね。


(2) 普通の店
ホントにモノがなかったです。どの店も。在庫という概念はなくて、棚に並んでいるものがすべて、というお店が多いのだけど、棚さえスカスカ。それに買い物している人自体が少なかった。生活必需品はかなり逼迫している感じがありました。もう共産主義国ソビエトの終焉までカウントダウンが始まっていた時期だということなんでしょう。

一方、コスモスホテルの売店は充実していて、レーニンバッチの他、レーニン便せんとかレーニンシールとか、いろいろ買いました。外人専用のホテルだから売っているのは、そーゆーものばかりです。


(3) 治安と政治

治安はよかったです。資本主義になってからは、混乱を極めるこの国も、当時は統制がとれていたと思います。銃を持った警備員はあちこちにいるものの、西側欧州より少ないくらいです。街の警官も少ない。

政治家関係では、レーニンの顔があちこちにあります。それ以外の人の肖像は全然ないですね。スターリンはもちろんだけど、マルクスの顔もゴルバチョフの顔もなかった。権威が公に残っているのはレーニンだけなのね、と思いました。

それでも、資本主義になった後、レーニン像も倒され、レニングラードも名前がサンクトペテルブルクに戻ったし、必ずしも彼も自然な意味でのシンボルではなかったということでしょうか。そういう意味では日本の天皇って、やっぱすごい。

(4) 路上のアイスクリーム屋
すごい行列ができている店があって、ちきりんも並んでみたら、アイスクリーム屋でした。屋外でだよ。気温マイナス30度近いのに???

しかも、お店屋さんは、「棚にアイスクリームを並べてる」んです。だって、この気温なら溶けないもん。むしろ「凍らせたくないもの」を箱に入れておいたほうがいい。それにしても、こんな寒いとこで路上でアイスクリーム屋に行列って・・・理解しにくいと思いました。


(5) 誰も働かない
タクシーが客を選ぶのはもちろん、店の店員もなんの愛想もないし、両替に入った銀行も最悪でしたね。そもそも時刻通りに店をあけないんだもん。銀行が、だよ。

開店時刻の10分“後”くらいから人が出勤して来始め、ゆっくり化粧したりコーヒーを入れたりしながら・・・正式の業務開始時刻から1時間くらいしないと仕事を始めない。こんな国、まじ大変だ。共産主義ってこういうことなんだな、って体感しました。


(6) 帰国時のモスクワの空港
チェックインの時、すべての手続きが「マニュアルで」=手で、行われました。コンピューターが動かないのか、使えないのか、使わないのか不明ですが。したがって、もらったボーディングパスも、なんか変なプラスティックの札で・・・飛行機番号も席番号も書いてない。「○番ゲートに行け」ってだけ。席は「自由席」でした。だから皆、搭乗口で並んで待っている。“いい席を確保するために”です。

すごいな・・・国際線の飛行機で自由席か。ボーディングパスって、日本でも「もらってから使うまで、たかだか1時間」でしょ。そして廃棄される。よく考えたらあれ無駄ですよね。プラスティックの札で代用しているのは、「使い回しできる」からだと思う。紙がもったいないからだと思う。「貧乏はリサイクルの母!」だと思う。(関係ないけど、アメリカの格安シャトル便もボーディングパスを使わず、使い回しできるカードを使うとこ、あります。)

店は相変わらず開いてないし、空港は暗い。でも出発時は、人が多くて不安感はなかった。そして、ちきりんは・・・実は日本に戻らず、この後、欧州旅行に出かけていったのでありました。学生の時は、こんな感じで1ヶ月くらい旅行していた。一番高いのは飛行機代だから、一度行ったら長く滞在、ってのが当時のスタイルだった。

★★★

でも、旅行記はここで終わり。この後の欧州旅行の話なんか書き始めたら、旅行記書き終わった時には「政権交代」が起こっているかもしれないよ。(←この皮肉、おわかりいただけますでしょうか?)


一言でいえば、ソビエト旅行

とってもおもしろかった!

ロシア語勉強してまで行った価値、大ありだった。案外親しみやすい国だったと思う。怖くもなかった。寒かったけど、雪と氷のモスクワはすばらしく美しかった。今でもプラハとならんで、世界で一番美しい街だと思う。貴族制の存在した国はとても街が美しい。

共産主義システムってのは「アカンでしょ」ってのも、よくわかった。ちきりんは、この旅で「一生懸命働いている人」ってのに、一人も会わなかった。ホテルの従業員も銀行や空港の人も、店の店員もタクシーの運転手も、みーんな、すごいダラダラしていた。

皆、さぼっているのではない。「一生懸命働いている人を見たことがないので、そういう働き方がある、と知らない」という感じだった。


まさかその数年後にこの国の体制が崩壊するなんて想像もできなかったけどね。一方で、当時はとても秩序だっていると感じたのだけど、資本主義になってからは悲惨なことになっているようだ。70年間も共産主義だったのだから、資本主義を知らない人が大半の国になってるわけで、それはそれで大変なことだ。みんながんばって欲しいよ。アレクとピーターも元気かしら。がんばってね!


そして・・・


終わり〜  



やっと終わった〜!!





誰か褒めて〜!!




そして、明日から、ちきりんも、Back to the 社会派!!! 

長かった〜

また明日!