途中下車する人たち

昨日の続きで、オーバードクター問題を考えてみます。

職業の「需給」は本来は市場で調整されます。、高度成長期であちこちでビルやら道路やらが造られる時には、建設作業員へのニーズが高まり、日給も高くなり、するとそれを生業にしようとする人が増えます。一方で、豊かになり皆がおしゃれになると、デザイナーやアパレル業がでてきたり、高給レストランが流行始めれば、調理人へのニーズが出て来ます。需要があるから供給したいと考える人がでてきて、職業へのニーズがでてくるわけです。

一方で、「政策的に増やされる・減らされる」職業もあります。多くの資格商売がそうです。医者の数は、医学部の定員をいじれば変えられるので、供給が完全にコントロールできます。法律家も司法試験の合格者数を人為的に変えたりしています。たいていの場合、既得権益者である現在のその職業組合(医師会等)が、増加に強く反対し、常に不足気味に維持されます。

需要側は、人の生活ニーズからでてくるので「自然形成」ですが、供給側は「政策的に決められる職業がある」、ということです。オーバードクター問題は、まさにこの問題で、供給側だけが政策的に増やされたから博士が余っています。

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では、需要側はどうか?研究者の需要としては、研究の他、教育もあるわけですが、まずは、教育側の需要はまったく増えない。これは少子化・人口減少という社会のトレンドから決まってきます。問題は、「研究」に対する需要です。

これがちょっと特殊な需要であって、「民間」には「研究」への需要がほとんどありません。工学や通信のごく一部には、そういう需要もありますが、民間企業は、利益への距離が遠い投資にたいして、どんどん厳しい視点を持ちはじめています。いわんや、人文系、社会学系、理学系に対しては、ほぼ民間での需要はありません。

これが、研究者という職業の、他の職業との大きな違いです。つまり、民間には全く需要がないのだから、供給を増やすなら、税金で需要をまかなうという覚悟が必要であったはずなのに、その手当もせずに供給を増やしてしまった、という政策ミス、構造問題が起こっています。


ところが、当然ですが、ここでも「自然調整」的な動きがでています、供給側に。

たとえば研究者になるべき道の途中にいる学生たちの中から、あえてその道をはずれようという動きが顕著になっています。博士課程に進まず修士課程で就職する、とか、なかには博士課程の途中で就職する、という道を選ぶ人たちが増えているのです。もちろん「研究者」以外の職に、ということです。

修士までであれば、理系はもちろん人文系でも、普通に「新卒就職」ができます。ドクターコースの一年目くらいでも可能でしょう。昨年あたりから労働市場は非常にホットになりつつあり、需要はたっぷりあります。

で、見ていて「おもしろいなあ〜」と思うのは、この「途中下車する人たち」に一定の特徴があるということです。


・社会のトレンドに敏感
・「好きなことをやる」より「社会ニーズのある」ことをやりたいと思っている
・「一人で考える」より「皆で作り上げる」「対人関係の中で仕事をしたい」と思っている

人たちが、どんどん途中下車しているのです。

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「ほんとは研究者になりたいんだけど、一応、就職活動する」という人もいます。その「試しの就職活動」によって、「やっぱ就職するか」と思い始める人もでてきます。上のように確固たる意思をもった途中下車ではなく、「降りてみたら、そっちも楽しそうだから途中下車する」人たちです。この人たちも、上に書いた特徴をもっています。

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でも同じように試しにやってみたけど、途中下車しない、という人もいます。

・学卒の時に就職活動する→なんとなくピンとこない。修士へ進学。
・修士の時に就職活動する→なんとなく「やりたい」仕事がない。博士へ進学。
・博士課程の途中で、学位をとっても就職先が極めて限定的だとわかる→今までよりは本気で就職活動する→いままでの2回より、圧倒的に就職市場で厳しく見られる→とりあえず、学位を目指す世界に戻る→博士号取得

という人たちです。やばいかも〜と思いつつ、進み続ける人たちです。

この「試しにやってみたら・・・」という人たちの中でも、同じ傾向があります。途中下車する人たちには、やっぱり「共通した」志向、傾向、特徴があるわけです。

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もう、見えましたよね・・・意思をもってにしろ、なんとなくにしろ、途中下車する人たちの特徴(上に書いた3つ)は、民間企業が「採用したい」と思う人の条件と完全に一致してるんです。

彼らは決して、「研究者として劣っている」わけではありません。もちろん「あきらかに研究者には向いてないよね」という人もいるし、一方で、学生時代から学振からの給与をもらっているような(研究者としても)将来有望な人もいます。研究者としての資質にかかわらず、上のような傾向のある人が、民間職業へと「途中下車」しているのです。

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これが必然的に引き起こす問題があります。それは、「途中下車しない人たち」の資質・適性にも偏りがでてきている、ということです。一定のプロファイルの人「だけ」が抜けるので、残っている人たちも「共通点の多い」人の集団へと凝縮されていくのです。


残る人の特徴は?

・現代の社会トレンドではなく、真理に関心がある、
・「好きなこと」を(社会ニーズにかかわらず)やっていきたいと考えており、
・一生「一人で考えつくす」ということに適性のある人たち、ということです。


明らかに研究者向きですよね。研究者が「今のはやり」なんて追っていては話にならないでしょう。

でも、これ・・・たとえ、22才の新卒学生であっても、「企業としては、あんまり採用したくない」人のプロファイルなんです・・・・

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途中下車せずに残っている人のプロファイルが偏ってくるにつれ、民間側の「博士号なんてもってる奴は使えない」というイメージはますます強固なものとなり、また、個別の人も、博士課程修了後に就職しよう、と考えても、全く採用されない、という状況につながっています。

彼らの大半は、30年前に生まれていて、余程の金持ちでなければ新卒で就職せざるをえない、という環境の中にいたら、たとえ苦手であっても22才で社会にでたのです。そして、社会環境の中で、もともと苦手かもしれないビジネスの社会での仕事のやり方を覚えていくわけです。慣れていくわけです。適性がない、とか言ってられなかった。幸か不幸か、今は「苦手な道を選ばず」「自分に向いた道を選んで」30才まですごすことができるようになりました。幸か不幸か・・・

★★★

長くなるので、ここまで。また(たぶん)明日。

ふーむ、な問題です。はい。