時代と空間のジグソーパズル

ちきりんは大の旅行好きなのですが、古代遺跡を巡る旅の際、いつも頭をよぎることがあります。それは「もしもここにすべてが揃っていたら、どんなにすばらしいだろう」ということです。

ご存じのように大英博物館には、エジプトの遺跡からでた多くの発掘品や、ギリシャのパルテノン神殿のすばらしいレリーフが展示されています。パリのルーブル美術館はモナリザなどの絵で有名ですが、イスラム世界やオリエント時代のコレクションも圧巻です。ドイツの博物館でも、中近東やイスラムの遺産が観賞できます。

一方で、ギリシャに行けばパンテオン宮殿の骨格は残っていますが、最もすばらしいレリーフはイギリスに行かないと見られません。教科書にも必ずでてくるロゼッタ・ストーンも本国のエジプトにはレプリカしかなく、本物は大英博物館にあります。

ちきりんは、欧米の大きな博物館も大半は訪れたことがあるので、ギリシャやエジプトの遺跡では、過去にロンドンやパリでみたすばらしい発掘品やレリーフを思い浮かべ、頭の中で合成した図を想像しながら当時の様子に思いをはせます。時間と空間を越えてバラバラにされたジグソーパズルを頭の中で組み立てるような作業をしながら楽しむのです。


そしてそんな時いつも考えるのは、「すべてがオリジナルの場所に揃っていたらどんなにすばらしいだろう」「でも、本当にそれが一番いいんだろうか?」ということです。

たとえば、当時の欧米諸国は経済力や軍事力において圧倒的でした。大半の遺跡も、欧米の調査団が最初に発見しており、彼等はそれらの多くを無料、無断で祖国に持ち帰っています。“いや、合法的に購入したはずだ”と主張する場合でも、実際には、遺跡がでた土地の所有者であった農民に10ドルほどを渡して発掘品を“正式に購入した”ようなパターンも多いのです。

中国はこれを非常に問題視していて、中国の遺跡に行くと説明パネルに「いかに欧米の人達が中国の財宝を勝手に持ち帰ったか」が説明されています。敦煌の莫高窟では、欧米人が壁の絵をはがして持って帰った、という話の他にも、“ロシアの軍隊が莫高窟を宿舎に使い、その中で煮炊きをして多くの壁画がすすにまみれ剥落した”などの記載もあります。

そういうことを、莫高窟を訪れた自国民、そして相手国の観光客に積極的に知らせようとする中国の姿勢は興味深いものがあります。実は日本の浮世絵も海外の美術館にすばらしいコレクションがありますが、ああいったものが海外に流出した経緯を聞くことは日本ではほとんどありませんよね。


ところで、もしも欧米の調査隊が自国に持ち帰っていなかったら、それらの発掘品はどうなったでしょう?欧米の博物館は、発掘品や財宝の保存に最先端の技術を適用するため多額の費用をかけていますし、修復や調査にも膨大な手間をかけています。彼等の調査により新たにわかった古代の事実も多いのです。さらに多くの国は、それらの財宝を無料もしくは非常に安いコストで誰にでも鑑賞できるようにしています。

しかし、多くの古代遺跡が元々ある国の方は、少なくとも今まではそんな多額の資金を自国の遺跡保護のために投入することは不可能だったでしょう。風雨にさらされて毀損してしまうかもしれないし、盗掘や盗難も日常茶飯事です。

ちきりんがエジプトの遺跡を訪ねた時には、壁画の色あせを防ぐためにフラッシュの使用が禁止されている遺跡内部で、「10ドル払えば、フラッシュで写真撮り放題にしてあげるよ」と持ちかけてくるガイドに何人も会いました。アフガニスタンではタリバンが古代遺跡の仏像を破壊してしまいましたが、宗教的な対立が続くエリアでは何千年前の歴史の残存物さえぞんざいに扱われています。

ある意味では「欧米諸国の調査団が大規模に持ち帰ったからこそ、ベストな状態で今まで保存されてきた」とも言えるのです。


もちろん、現地で毀損するならそれもまた歴史のひとコマと考えるべき、という意見もあります。古くから文明が栄えた地では、多くの遺跡が“多層”になっており、「一番外側の石をはがしたら、別の時代の遺跡がでてきた」という例はよくあります。新しい文明が起こると古い文明の遺産が塗りつぶされる、それこそが歴史だ、という考え方もあるのでしょう。

この意味で興味深いのが、北京の故宮と、台北の故宮博物館です。蒋介石が台湾に移る時に、故宮の財物のうち価値あるものの大半を運び出しました。なので、財物、特に小さいモノに関しては、一流のものほど(北京ではなく)台北にあると言われます。一方の北京の故宮には中身はなにもありません。なにもないけれど、あの建物、あの広さ、あの場、の持つ雰囲気は、いくら台湾がお金をかけて博物館を整備しても決して真似できない力を持っています。

台北の博物館に行くと、「これらの作品があの北京の故宮にあったら、どんなにすばらしいか」と思います。お手本となるのがイスタンブールのドルマバチョフ宮殿です。ここでは巨大な宮殿建築の中に、ソファやテーブルなどの家具、食器などの日用品、アクセサリーなどの宝石、装飾品までが綺麗に揃っており、往時のオスマン帝国の力と生活様式をとても具体的にビビッドに思い描くことが可能です。故宮に関しても建物と中身を一カ所に合せれば、驚嘆すべき過去の世界が再現できるでしょう。

でも、器である建物が北京に、中身の財宝が台湾に存在していることこそが、中国の歴史を表しているともいえます。最近は共同展示会の試みなどもあるようですが、それらが同じ場所で展示されることがあるとすれば、それは“歴史”自体がそう動いたタイミングと重なることになるでしょう。

★★★

ちきりんは、北京、台湾を行き来しながら、それらが故宮にあった時代を想像するのが大好きです。ペルガモン美術館(ドイツ)のイシュタール門と古都バビロンの風を、エジプトの砂漠と大英博物館の展示を、バルセロナの太陽とパリのピカソ美術館の一室を組み合わせ、時間と空間を使ったジグソーパズルをひとつづつはめていくことに心を奪われます。

実は最近はエジプト、中国などを中心に、流出した自国の古代文明の至宝について、返還要求をする動きもでてきています。

皆さんは奈良の大仏がずっと昔に売られていて大英博物館にあったら、返して欲しいといいますか?金閣寺は1950年に放火されて消失していますが、もしもその前にアメリカが解体してニューヨークに運んでおり、メトロポリタン美術館で本物が見られたとしたら、ありがたいと思いますか?

簡単に解決する問題ではありませんが、これからは多くの国の人達が、「歴史の遺物はどこに存在すべきか」という問いについて、考えなくてはならなくなるでしょう。


ではまた明日


追記)参考サイト)http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2716654/5586414