精神を病んでいる人が犯罪を起こしたニュースを聞いていると、これじゃあ犯罪に追い込でいるようなものだよなあと思うことがよくある。
大昔には「座敷牢」というのがあって、精神的に病んだ家族を閉じこめていた。貧しい家では、農機具の保存庫とかに鍵をかけていた。これは明らかに人権侵害でしょうということで、精神衛生法(今は自立支援法?)ができるきっかけともなった。当時は治療という概念はなく「閉じこめて、死ぬのを待つ」だけだった。
その後でてきた対処法が措置入院。強制入院とも言われるもの。本人の意思ではなく家族の意思で入院させられ、多くの病院が「人権侵害」を問われるような状態だった。精神病院に入ると一生でてこられない、というイメージがあった。つまり目的は“治療”と言うより“隔離”だったのではないかと思う。
こういった「閉じこめ型」対処法は、人権問題として多くの批判を浴びた。
一方で最近は、「あきらかにおかしいよな」と周囲の人は思っているけれど、なんの体系的な治療も受けないまま社会で自立生活をする人がでてきている。大阪の池田小学校に乗り込んで幼児殺傷をした被告は、ずっと一人で暮らし、車を運転し、結婚を繰り返していた。犯罪を起こした時だけ入院する(そうすると懲役にならない)が、成人した彼を誰一人としてケアしていない。
大阪で若い姉妹を殺した若者は、田舎で母を殺して医療少年院に数年いた後、社会にでてきたが、その後は文字通り一人で暮らしていた。
これは昔の「監視・監禁型対処法」とは対極にある処方だ。誰も彼らの治療、ケア、監視に責任を持たない。人権派の人たちは、監禁には反対するが、だからといって何の解決方法も提示しない。
上記のようなケースの大半でそもそも家庭は崩壊している。親は「成人したから」という理由で子供を放り出し、もしくは、勝手に出ていった子をそのままにしている。
未成年の時に母を殺して医療少年院に入り、数年で出てきて大阪で姉妹を殺傷した犯人は、ある意味では「なんの手だてをも持たない」社会の犠牲者とも言える。
「さかきばら」君と同じように「世間を騒がし耳目を集める犯罪方法」をとっていたら、彼にだってものすごい手厚い「治療・監視」体制がひかれたはずだ。精神を止み、母を殺して家庭とのつながりが途絶え、数年後に(決して病気が治ったと言えない状況で)世間にでてきた青年になにができただろう?
今の社会ってこういう人を「迎え入れる家庭がある」ということを前提に制度ができていると思う。病気で犯罪を起こした息子は、拘置所や少年院から「家庭に戻る」のだと。「家庭が受け入れる」のだと。そういう前提の制度だよね。
でも、実際には多くの人がそういう「帰るべき家庭」をもう持っていない。
そして、もしも家庭が曲がりなりにも存在したとしても、
家庭には
「どんな問題であっても」
「自動的に・内在的に」
「その処理能力がある」
とでもいうのだろうか。
そんなの嘘だと思う。家庭の「平均構成員数」が今の数倍あり、ご近所と親戚とが、個別の家庭と今の何倍も強いつながりを維持していた時代でさえ、家庭は「閉じ込めて隔離する」という方法しかもっていなかった。
「戻るべき家庭がない人」をどうしていくのか。社会で考えないとあかんと思う。
また明日。