日経新聞が天皇の“お言葉メモ”とやらをスクープしました。「昭和天皇は靖国へのA級戦犯合祀は不愉快」との当時の富田宮内庁長官のメモが発見された!とのこと。
メモの真贋について既に議論が噴出しているし、報道内容も細かい点を誤魔化したりしており、信頼に足る内容なのかどうかもよくわかりません。
ただ、この時期の「日経新聞」のスクープ、というのが意味があります。つまり「靖国問題で中国との関係を悪くしたくない」財界が、小泉首相や次の首相の靖国参拝を阻止したいと考え、財界御用新聞である日経新聞に報道させた、という感じでしょうか。
いずれにせよ、その後を見ていると報道の大きさにちょっとたじろいでしまいます。
そもそも今や天皇は象徴に過ぎず、彼の意見は普通の人の意見以上の意味は全く持たないはずなのに、なんで、こんなに「天皇の御心」とかいうものが重要視されるのか?ちきりんにはまずここが理解できません。
「天皇は神」という教育を受けた世代は、既に70才とか、かなりの年齢のはず。ということは、今テレビで議論している人の大半は、生まれた時から「天皇は象徴」ですよね。
そういう人達が天皇陛下の意見について「これは尊重すべきおおみごころ」と報道し、自分達が選挙で(間接的とはいえ)選んだ首相の行動より優先すべきように言うのはどうなんだろ??
ちきりんもこれを「当時の天皇陛下のお気持ちの分析」に使うというなら反対はしないし、そういう研究には画期的な発見なのかもしれないとは思うけど、「現代において私たちがどう生きるか」について、何かの示唆ととる必要は全くないと思う。ところがテレビでは「これで小泉首相は参拝しにくくなるでしょうか?」みたいな議論が盛んに行われてる。不思議なことです。
次に東京裁判の解釈に関して。これも皆、すごい真剣で驚く。
東京裁判は、勝者の裁判とか事後立法とかいろいろ問題が指摘されてますが、そんなこといわれるまでもなく、こんな裁判が正当だと思っている日本人はほとんどいないでしょう。そんなこと議論する必要さえあるのか?って思います。
なんだけど、こだわる人も多いよね。例えば「戦犯」という言葉、「東京裁判を認めない立場」としては「戦犯という言葉は使わない」んだそうです。こういうのって・・・実質的な議論というより、言葉へのこだわりにしか見えません。
だって・・・・戦争に負けたんだからしゃーないじゃん?不当な裁判されるとか、仕方ないでしょーが。それの正当性を云々するって時間の無駄じゃない??
極端な人なんて「我が国で自主的に裁判をやり直すべきだ」とか「東京裁判の結果を受け入れることを前提としたサンフランシスコ条約の締結の是非は・・・」みたいな議論するんだよね。
超実務的なちきりんには、そんなこと今更蒸し返してなんの意味があるのか、マジでわかりません。というわけで、ちきりん的にはこれも全くこだわりがもてない。どうせ戦勝国が勝手にやった裁判なんです。放っておけばいいじゃない。言わせておけばいいじゃない、と思う。
さらにいえば「天皇が戦争を避けたがっていたか否か・・・」的な議論も皆さん好きですね。つきつめれば、「天皇に戦争責任があるのか」「いやいや、軍部の暴走を天皇はできる限り止めようとしたけど、無理だったのだ」みたいな議論です。
これも・・・どーでもいいじゃん、と思ってしまうちきりんですが、一部の人にはすんごい大事なことらしい。
ちきりんに言わせれば、「もう死んだ人のことだし」「たとえ責任があったとしても、今から何も変わらないし」「どうせ真実はわからないし」どーでもいいじゃん、です。
戦争責任があったか?と言われたら、あるに決まってるでしょ。でも「彼だけに全責任があるか?」って言われたら、「そんなはずはない」って思う人が大半なんじゃない?
それ以上、いったい何を議論したいのかさえよくわからない。
不思議です。
ではまた明日