病を受け止めるということ:王監督

王監督の一連の記者会見を見ていて、頭が下がるというか、舌を巻くというか、ほんと感服します。自分が66才になった時に同じ振る舞いができるか・・・いやいや「世界の王」と自分を比べるなんて不遜もいいとこなんですけどね、


週刊誌には、王監督が入院後かつ手術前に病院を抜け出して銀座のなじみの料理屋を訪ねたと書いてありましたが、「抜け出した」などというのはありえないことで、当然医師もご存じでしょう。

「早期の胃ガン」といいつつ「全摘出」なわけで、「胃がない」という状態になれば「もう一生、普通の食事はできないかも」くらいのことを覚悟する必要、もしくは瞬間、があるわけです。

だから、病気ではあっても、手術の前に「最後にあれを食べておきたい」「最後の(普通の)食事を楽しんでおきたい」という気持ちはすごく切実なものだったと思う。


そして手術後の会見で彼は「テレビを見ていて食べ物がうつると、いつかあれを食べられるようになるぞ!」と心に誓っていると言っていた。これも、すごい発言だと思うわけです。

胃がなくなるということは、消化ができないということだから、最初はおかゆとかすりつぶし系のものとか消化の非常に楽なものばかりを食べることになるんだと思うんです。加えて、普通の量を食べたりはできないし、普通の大きさでも食べにくくなるのかもしれない。

たとえば胃を全摘した時点から、「一生」焼き肉は食べられない!となるかもしれない。

ただし実は、人間の体は生きているので、胃がなくなっても、小腸の一部が胃の代わりにふくらんで消化機能を担ったりと、一部そういう「再生的な動き」はあるわけです。でも、だからといって、じゃあ、焼き肉ががんがん食べられるようになるか?といえば、それはやっぱりとても厳しい。まあ王監督の場合、もとプロ選手だし、体の鍛え方が普通の人とは違うから、それも可能なのかもしれないけど。

いずれにせよ、彼は「俺は食べる機能を、元に戻すぞ」という決意を、たんたんと述べたわけです。


たとえ早期であっても胃にガンが見つかった時点で、「もう、一生普通の食事を楽しめないかも」となるということなわけですが、それでも「幸せなほう」かもしれない。とりあえずは「命云々の前に打つ手がある」ということだから。

でもね、自分だったら・・・と考えると、ほんと落ち込むと思うし泣きたくなると思うし、何も前向きになんて考えられなくなりそう。

そういう状態の時に、「いつかああいうものが食べられるようになるぞ、と思ってるんですよ」といえる王監督。

すごいよな〜、この人は。と思いました。お涙頂戴にも、悲壮感にも、カラ元気にもせず、淡々とそういうこといえるのが、すごいなあと。


手術の報告記者会見で医師の方が、出血量が非常に少なかったとおっしゃっていました。特殊な技術の手術であったと理解しています。

「外科手術」ってのは、ものすごい「原始的」な方法なわけです。実は医学ってのは案外進歩してないよね。基本的に「悪いところが見つかったら切る」しかないなんて。進歩したのは、「切る時の痛みを感じないようにする麻酔」とか「どこを切ればいいかをわかりやすく見るMRI」とか、そういう技術ばっかで、結局は「人間の体のどこかが機能しない→捨てましょう!」みたいな話なんです。

こういう「患者への負担がもっとも重い」方法論である「外科処方」がいつか医学の中心ではなくなる日が、早くやってきてほしい。と思います。


王監督は、その人生において、大変なことがたくさんあったでしょう。そんな中でこれだけの成果をあげ、かつその姿勢において、あれだけの人徳を示せるってのはすごいと思います。

ちきりんも(比べるなって?)、二十余年後に「胃ガンです。胃を全摘しますよ」と言われた時に、同じような態度をとれる人になっていられたら、すごい進歩であるよなあ、と思います。

とてもなれそうにない気がするよ。そうなるためには、何が必要なんですかね。どういう経験なり生活なりが必要で、どういう心がけで生きていけばよいのでしょうか。そういう成長をしていきたいよねえと思います。


んではまた。